「……Hello lovely Signorina. May I hit it?」(どうも、可憐なお嬢さん。イッパツ殴っていい?)


 流暢な英語だった。綺麗な声だった。それから、微妙に怒っていた。
 そして遠坂凛は動けなくなった。









     Fate×DMC for 777
Devil/stay night ―Another bullet―

―― 作者:rentaさん ――










 言の葉にはあやかしの力が宿るという。言霊、というものだ。
 その妖力とやらがこの場に働いているとする。それならばわたしが動けないことにも合点がいく。
 否。
 自らの取りとめもない愚考にかぶりを振って、凛は石化の眼を持つ魔獣にでも魅入られたかのように動かない四肢に力を込める。
 しかし思い通りに行かない。
 四方八方に根を張った大樹の如く、微動だにしない。
 自分の身体の舵を切れない。
 言霊――もう一度浮かんだその単語に、凛は胸中で皮肉った。馬鹿馬鹿しい。
 言霊なんてあやふやで不確かなもの、ここで自分が動けない理由にはならない。吸血鬼の魔眼あたりならばともかく。だいたい何かそれと解かるようなものに縛られているわけでもないのだ。
 そこで疑問が生じる。
 それならば何故、わたしは動けないのだろう。
 動けないからには、何かあるはず。
 実際問題、動けないのだから、他の純然たる理由が存在するべきだ。
 だが探せども見つからない。
 まさか本当に言葉の力というわけでもあるまいに。
 とにかく、状況打開のために凛は口を開き、相手とのコミュニケーションを図ろうとする。
 しかしすぐさま下を向いた。
 喋れなかった。


   1.Devil and encounter of gramary


「はっ――――ぁ!」
 引き攣る。声帯が強固な金庫にでも成り下がったかのような錯覚。きちんとした手順を踏めば開くのに、窮状の最中、それを失念する。そんなのはよくある話だ。例えば玄関を開錠しようと鍵束を模索する際、どれがこの場の鍵だったかをいちいち考えるのは無駄もいいところ。
 彼女独特の言い回しを借りるならば、それは心の贅肉という。ちなみにこれより上位のランクの表現もあるが割愛。
 だいたい考えてたって埒が明かないのだから、一個ずつ試して効率を求めた方が早い。
 きちんとした手順を踏んで、確固たる結末を招く。それが人間として当たり前のコト。
 ところが――これがこと魔術師となると話が違ってくる。
 補足/参照。
・鍵束の中からその場の鍵を愚考するのは効率の悪い人間。
・一個ずつ順繰りに試していくのは効率の良い人間。
・そして魔術師は、言うなれば“鍵を必要としない人種”である。
 施錠など、言の葉で事足りるのだ。
『閉まれ』と命ずればドアは世界の法則すらぶち破ってロックされねばならないし、『開け』と命ずれば親が死んでも開かねばならない。
 そんな簡単なことが成せなくては、何のための魔術か――
 そこまで逡巡して、遠坂凛は自らを鼓舞する。
 これまでの十七年間、ずっと勉学と鍛錬に勤しんできた。足りないものを補って、届かぬ目標に喰らいつき、邪魔な要素を排斥する。そんな生活を一日も休まず継続させてきた。それらは自信に繋がる。堆く積もった知識と経験は全て、遠坂凛(わたし)を形成する無駄のないファクターである。
 故に。
 恐れる必要はないのだと、遠坂凛は絶対的に理解する。
「ッ……ぅ……!」
 だというのに、未だ発声は行えず。
 頭がクラクラした。わけのわからない熱に浮かされている。まるで、わたしの中にナニカが流れ込んできているみたいだ。
 立っていることが辛い。それでも、凛は顔を上げた。
 ぼんやりと靄がかった視界の中枢。




 ――――そこに、完全体の“魔”が居た。




 魔は隣近所に居る、だなんて、誰がほざいたのだろう。ラブクラフトか。それともダーレスだったか。どちらにせよ、架空の邪神に魅入られた輩の残した台詞など愚にも付かない――そう思っていた。今は違う。そういった人たちの気持ちに、少し共感できた。
 遠坂凛は自らの矮躯を両腕で掻き抱く。竹箒の柄を胸元に包み込むかのように、埃っぽい大気を精一杯、双腕の中に収めようと躍起になる。当然ながら、それは片腕に遮られる。自分自身を完全に抱きすくめるのは、生物学上、どう足掻いても無理なことだ。常ならば、そんな当たり前のことが理解できぬ遠坂凛ではない。
 聡明で、
 理路整然としたアタマのナカ、
 決して固定概念に囚われない柔軟な思考力で以って、
 己と己を取り巻く状況を解析・診断する――
 それが本来の、彼女の在り方である。
 プロセスはエンドロールまで常に考えておく。最悪の結果を予想し、目の当たりにしても平常心を失わない。
 それが魔術師としてアタリマエの心構え。なお、魔術師のエンドロールとは即ち“死”か“根源”である。終わりか、終わりの向こう側か。完全無謬の二択。選択できない者はそもそも魔術を齧ることを赦されない。死を身近におけぬ者は、大人しく堅気の道を歩むべきだ。
 魔を識るというのは、そういうコト。
 それ相応の覚悟を大前提に据えなければ、踏み込めない領域。
 けれど、


 魔術が、更なる“魔”を呼び寄せるのだとしたら。それはどう反応すべきだろう。


 否定することはできない。朧気な意識を引き摺ったまま、凛はなんとなくそう感じた。
 否定したら、わたしの魔術まで否定する羽目になる。魔術が魔を呼び寄せるというのなら、そういう結論に至ってしまう。
(……わたしは魔術を否定できない。いいえ、むしろ魔術こそわたしの本質だから)
 凛は再確認のように胸中でひとりごち、すぐ傍の“魔”から視線を外さぬまま――愕然とした。
 ならば、あの“魔”を否定できないではないか。
 この、心胆から怖気を催すような存在を、否定できないではないか。
 悪性腫瘍のように脳幹を巣食う嫌悪の念に、凛は茫然自失。
 これは、およその人間には逆らえない感情だ。軽い嘔吐感を噛み下し、後味の悪さを十二分に堪能する。
 並みの人間ならば、嫌悪感では済まなかったかもしれない。
 多少なりとも魔を知る自分だからこそ、この程度で納まっているのかもしれない。だからとて安堵するような楽観は欠片も沸いてこないが。
 それはさておき、凛は落ち着くために吐息。雪原の空の下の如く震えていた。息は白くない。けれど、どことなく寒々しい心境ではあった。
 凛は口内に溜まった唾をごくりと嚥下し、
「アンタは――――」
 ようやく声が出た。息と同じく、震える声。
 もう一度、深呼吸。いったん視線を外し、床を見る。幸いというか何というか、相手はこちらの発言を待ってくれていた。 
 凛は覚悟を決めて面を上げ、続けた。
「アンタは、英霊なんかじゃない……!」
 ……英霊ではない、と。
 自分で言っておいて、なんて矛盾。
 矛盾は思考の齟齬を呼び、頭をパンクさせる。もはや凛は状況を完全に見失っていた。魔術師としての冷静さと打算もなく、ただ相手を否定するのみ。脳内でもう一度、自分の台詞を反芻する。英霊ではない。ならば、たった今語りかけた相手は他の何なのだ。
 アイツは、わたしのサーヴァントではないのか。
 わたしが召還した、正真正銘、わたしだけのサーヴァントではないのか。
 果たして相手は――




「閉口一番がそれなの? 面白い子ね、あなた」




 魔の体現であるその“女”は、むしろ苦笑して肩を竦めた。
 原型を留めぬまでに破壊された居間の内装。中腹ほどの瓦礫の上。
 女は、そこで優雅に足を組んでいた。
 不覚にも、凛は呼吸を忘れて見入ってしまう。いや、当初から見入っていたことは否めない。今の今まで、それを自覚していなかったにすぎない。
 ……肩よりも下を流れる金髪。
 目鼻立ちの整った美貌。
 白磁のような肌色。
 ボディラインも露な漆黒のスーツ。
 珠玉のプロポーションは、モデルで何年も食っていけそうなほど。
 まごうことなく美女だった。
 何処を見ても無駄がない。
 その無駄のなさが、女の全てだった。
 傾国と呼んでも差し支えのない美しい女は、薄紅色の唇を開く。
「勢いがあるっていうのは、とても良いコトだと思うわ。食って掛かる相手さえ間違えなければ、ね」
 女は云う。
「……まあ、いろいろと言いたいことも殴ってやりたいこともあるけれど、後にしようかしら。だってあなた、酷く調子が悪そうだし」
 女は云う。
「まずは落ち着かないといけないわね。どうも乱暴な召還のせいで、レイラインとやらが誤作動を起こしているみたい」
 女は云う。
「――そのせいで、私から逆流(なが)れる魔力は、はっきり言って桁外れよ、お嬢さん?」
 どこか面白味を含んだ女の言葉に、凛は眉を吊り上げる。
(……逆流、ですって?)
 それは、サーヴァントの魔力がわたしに流れ込んでいるということか。
 なるほど、という得心と同時に、有り得ない、という困惑の念。
 前者に納得した理由として、まず、己を蝕む理解不能な昂揚感めいた熱がある。これが彼女からの魔力供給だとするならば、なるほど。異物感にも似た体躯内の奔流について、一応の合点はいく。
 しかし、それは本来ならば有り得ないことではないのか。基本的に、サーヴァントはマスターからの魔力供給によって立ち位置を得るのだから――現実に留まるための接点でもある――それが反対になることは、サーヴァントの自滅を揶揄している。
 それに、
(自分で膨大とか言うだけのコトはあるわね……あ――くッ、なんなのよこれ。こんなの、わたしの中に収まるわけないじゃない……!)
 海から川に水が流れ込めば、どちらも本来の機能が果たせずに、やがて枯れるか腐るだろう。その喩えと同じことが起こっていた。
 遠坂凛という器に、溢れんばかりの膨大な魔力(みず)。入りきらない。朦朧と翳る意識で、凛はそれでも考える。
 サーヴァントは魔力によって全てを模る。それが他のどこかに奪われれば、遠からずの内に再び座に戻る羽目になる。
 由々しく、焦るべき事態である。
 ……だが、当の本人はピンピンしていた。女は他所に垂れる魔力などものともせず、あろうことか足の位置を組み替えたりしている。なんとなくワインでも似合いそうね、と凛は見当違いの感想を抱いた。それから、贅肉の類とは無縁そうな綺麗な肌を見て、何食ったらそんなふうになれるんだよ畜生、とも。
 彼女は海で、わたしは川だ。さきほどの喩えが、信憑性を帯びてくる。
 川は海の質量に耐えられない。単純に許容範囲の問題だった。わたしが一とすると、彼女は百。
 収まるわけがない。
 だから必然的に、凛は――膝を着いた。
(……くそ。なんて体たらくなの)
 およそ訊くべき重要なことが、まだ多々ある。それがどうもできそうにない。だって、こんなにも眩暈が酷いのだから。
 ゆっくりと倒れ込む。顔が床へと一直線。ベクトルはまっすぐ。
 あわや鼻を打つところで、凛は支えられた。
 覚束ない身体の手綱を今一度掌握して、凛は傍らを見遣る。
 そこに女がいた。
 こちらの鎖骨あたりを細腕で抱き込み、顔面衝突を防いでくれている。
「……ぁ」
 何か言おうとしたが、女は凛の身体をそのまま後ろへと持ってくる。
「辛抱なさい。暫くもしたら、きっと落ち着くと思うわ」
 優しげな声音。
 あたかも眠りの森の美女を扱うかのように、女は凛の背中を抱いて、言葉を続けた。
「……さて、と。これから聖杯戦争なんていう冗談みたいな劇が始まるわけだけれど」
 一つだけ訊いておくわね、と前置きして。
 七人目が揃いし時、開始の鐘が鳴り響く、規模狭量の戦争を前に、
 美女は問うた。




「――――“悪魔”と踊る自信はあって? マイ・マスター?」




 女――否。
“悪魔”は……にこりと微笑んだ。
 そのコトバをユメのように聞き取りつつ、凛の意識は奈落へと沈んだのだった。














   2. Tea


 目覚めてすぐに、凛は両手で顔を覆った。
 目覚めてすぐに、思い出してしまったから。
 昨夜の失態を。
「…………うわぁ」
 よくわからないぼやき。
 普段から人一倍と言わず二倍も三倍も寝起きの悪い彼女が、寝覚めから即座に落胆するなどということは、殊のほか珍しくはあった。額の上で手を重ねて、凛は瞼を隠す。どうしてこう、わたしはいっつもいっつも肝心な場面でミスっちゃうんだろう。
 昨夜――正しくは今日の午前中。何時間眠っていたか定かではないが、さすがに丸一日以上眠りこけるようなことはないと推測する――は、改めて回想するまでもなく失敗したのだろう。サーヴァントの召還の儀を。
 溶かした宝石をふんだんに使用した魔法陣に、自身の魔力が最も充実する時間帯を指定。その他、詠唱など諸々の要因はあるが、簡潔に纏めるとそれらがサーヴァントを現世に呼戻すために必要不可欠なものである。
(……で。失敗したと)
 脳内で皮肉って、凛は深々と嘆息する。なんかもう死にたいですお父さんこの野郎いらん遺伝なんぞ受け継がせやがって畜生。
「あー……もうっ!」
 短く叫んで、シーツを被りなおした。外界と自分を隔絶する。そして、あまりのままならなさに暗闇の中で悶えた。
 ……召還自体は上手くいったという自信があった。手ごたえは完璧だった。声にも出した。“かんっぺき!”と。しかしながら、常なら目の前に顕れるはずのサーヴァントは一階の居間に出現。イレギュラー極まりない召還の余波か、部屋の内装は嵐の後のようにズタズタ。さながら海から登場する怪獣あたりが踏み潰していったかの如く。
 上手くいった。何度でも思う。しつこく思う。わたしは上手に丁寧にやり遂げた。ただまあ、そこで遠坂凛の固有スキル“うっかり”が発動したってだけで。他は上手くやっていた。はずだった。
 そう。
 上手くいっていたはずだったのだ――家の時計が軒並み狂っていなければ。
「一時間ズレてるって、朝の時点で気付いてたのに……なんで忘れちゃうかなぁ」
 ちょっと涙声。
 布越しにくぐもった、遠坂家当主の悲哀満々な声。
 後の祭りだということは重々承知していたが、それでも憤懣やる方なかった。
 ちなみに時計が狂っていたことによって何を失敗したのかは省略。想起するのも嫌だった。
「忘れるヤツが悪いって、解かってるけど……解かってるけど!」
 それでも納得がいかない。
 聖杯戦争に向けて、これまでずっと鍛錬に励んできたのだ。それが失敗。
 笑えないボケだ。わたしが芸人だったらツッコミ殺している。
 それに、
「お金も掛かってたのよすごくー!」
 溶かした宝石。あれは地味に高価だった。それこそ家一軒買い取って余裕が残るくらいに。
 シーツに包まった蓑虫状態で、凛は暫くの間、バタバタと忙しなく悶絶した。
 鬱だ。
 金銭関係の問題はとても憂鬱だ。
 ただでさえ、わたしの魔術はやたらめったらと金が掛かるというのに。
「そう、それに」
 何より、
「召還したサーヴァントが“悪魔”だなんて……とんでもない恥だわ。それこそ末代までの」
 と。




「――――あら、そんなことはないわ。一級の悪魔を召還したんだから、むしろここは誇るべきよ?」




 唐突な声。
 すぐそばから。
「うひぇあっ!?」
 光速でシーツを引っぺがして、ベッドの上、ずざっと尻で後退さる。反射的に諸手を構えた。幾何学的に意味不明な型。
 唐突の女はそんな凛を見て、
「……蟷螂拳?」
「なんでよっ!」
 なんでそんなマイナーな拳法知ってるのよ、といった解かり辛いことこの上ない意味合いで、凛は鋭く突っ込んだ。
 だが何故か伝わった。
「いや、昔の相方がそういう馬鹿っぽいの好きだったから」
「……アジア映画の見すぎよそいつ。ていうか驚かさないでよね……」
 その相方とやらがどういった人となりだったか微妙に気にはなったが、とりあえず流して凛は女に抗議の声を上げた。
「別にびっくりさせるつもりはなかったのよ。御免なさいね?」
 女はベッドの縁の上で組んだ両腕に顎を乗せた格好で、くすりとひとつ上品に笑ってからそう言った。
「……まあ、いいけど」
 眉根を寄せて、困惑顔の凛。
 なんだかなぁ、と思う。悪魔のクセに、妙に親身なのが不思議だった。
 女は「それにしても」と前置きして、
「この国の女の子はみんなそうなのかしらね? 起きてすぐに唸り声上げるなんて。景気が悪いわ」
「え?」
 ……起きてすぐに、唸り声?
 それってまさか、と。
 凛は若干、頬を染めて問う。
「……どこから?」
 どこから見てましたか、といった曖昧なことこの上ない意味合いで、凛はおそるおそる訊いた。
 普通に伝わった。
「最初から。徹夜で看てあげてたのよ、感謝しなさいね」
 ――初めッから、見られてた!?
「あ、あああぁぁ……」
 凄まじい羞恥心に顔を噴火させて、凛は情けない声音を漏らしてがっくりとうな垂れた。最悪だ。死にたい。
 そして先ほど跳ね飛ばしたシーツを掴み、もう一度ベッドに潜ろうとする。
「あらあら」
 微笑ましげに合いの手なんぞ入れながら、悪魔な女にそれを手伝われる。ちょっと屈辱。
 頭まで被った。『穴があったからそこに入りました』的なスタイルで、凛は引きこもった。
 ――今日は学校休みます。
 人生についていろいろ考えてみます。


   ◆


「それで、これからどうするのマスター?」
 脳内で紆余曲折を経て、どうにかこうにか立ち直った凛に、悪魔の女は椅子に着座、なおかつ足組みで尋ねた。
 凛の自室。
 着の身着のままの格好――パジャマである。ゆうべ、女が着替えさせてくれたようだった。ガッデム――で、凛は階下から持ち出してきた紅茶をずずーと啜りながら、ひとつ頷く。
「これからの方針の前に、いろいろ訊きたいことがあるんだけど」
「人生について?」
「お願いさっきのは忘れてそしてさっきの話から離れて後生だから」
 顔を紅潮させつつ、凛は一息に告げる。女は苦笑してテーブルの上のもう一つのカップを手に取った。ヴェノアの誇り高い香りが鼻腔を優しく刺激する。サーヴァントは食事など必要ないのだが、自分だけというのは気分が悪いので一応用意したのだった。
「でね、これだけはまず訊いておきたいんだけど」
 女の向かいに座る形の凛は、最初の質疑を投げかける。
「……貴女、本当に悪魔なの?」
 自分で言って、なんとまぁ今更な質問か、と思う。
 そんなことは、こうして相対していれば解かる。
 ――身を焼くほど高密度な魔力。それはサーヴァントだからという理由だけでなく、もっと異質な雰囲気が漂っているからこそ。自分はそれなりに出来る魔術師だと自負しているが、彼女の前では色褪せる。膨大、というよりも、高波、と表現したほうがしっくりとくる。対峙するものを須らく重圧せしめる魔力は、控えめに言っても規格外だった。
 自分は他のサーヴァントを知らない。だから比べる要素がない。そもそも彼女が本当にサーヴァントのカテゴリに入るのかどうか定かではないが、それでも他と比肩して大差のないことだけは確実だろうと推測する。
 強い。
 この女、きっと戦えば異常に強いだろう。
 聖杯戦争を戦い抜くにあたっての実力は申し分ない。時期尚早だが、凛はひとまず安堵する。これでもしも戦力外通告下してなおお釣りのくるような雑魚だったら、多分わたしマスター放棄してた。
 とはいえ。
 凛は本家本元の魔術師である。魔術、というのは“根源”を目指す術(みち)なのであって、絶対に“黒魔術(オカルト)”ではない。悪魔崇拝者(サタニスト)などと一緒くたにされては困りものだ。
 事実、凛が履修途中の魔術は、生贄とかミサとかとは無縁だ。というより、そもそもそんな行為に及ぶような可能性は欠片も有り得ない。ジャンルによっては生贄というのはあるかもしれないが――合成獣(キメラ)とか、そういう厳密な意味での贄――凛の場合はそれこそ皆無。分野の畑違いということもあるが、そもそも考え方が気に喰わないのだ。“自分のために他の何かを捧げ、高次元の存在から力を得て、短時間で高みへ辿り着く”などという楽を求める愚にも付かない短絡思考が。
 誰かを犠牲にするのはいい。踏み台にする者は居て然るべき。だが間違ってはいけない。踏み台は土台にするモノであって、足蹴にするモノではないからだ。一歩一歩を踏み固め、おっかなびっくり歩いていくのが魔術師たちの基本となる姿勢である。
 魔術というのは、非常に時間がかかる。それを念頭に置かねばならない。
 決して黒魔術などという胡散臭い代物で超えていい到達点ではないのだ。まあ、往々にしてそういう人種はあっさり自滅するのだが。だいたい悪魔から力を得たって、それを自分のモノに流用できるかどうか。そこがまず解からない。そんなことも理解できない奴が、実のところこの業界には大勢いる。他力本願など、決してやってはいけないことなのに。
 物は試し、で身を滅ぼせるほど、わたしは勘違いしていない。故に“悪魔”などという存在には頼らない。凛は胸中で頷く。
 地道にいけば良い。それが最短なのだから。


 ――閑話休題。


 一通り思考を巡らせて、凛は自分が健全だということを悟る。うん、わたし、一端の魔術師だ。悪魔なんてジョーカーは食べたことありません。食べるつもりもございません。
 だが、眼前には明らかに悪魔がいるわけで。凛はこめかみを押さえる。
 ここにきて邂逅した魔術師と悪魔。これが戯曲だったら、きっとカスパールの話のように壮大なスケールの譜面になったと予想する。けど現実だ。確固たる今。覆せない時間。
 カスパールは結局のところ魔王に呪われた。では、わたしは? 自問しても、この時点で解かりようのない事柄ではある。何にしても、悪魔の向こうをはって、わたしは聖杯戦争に望まなければならないのか。全く肩の荷の重いことだ。
 凛は改めて、女を観察する。
 昨夜と同じ黒を基調とした装い。スレンダーな、それでいて反則的なスリーサイズの肢体は、見るものを魅了するには充分すぎる凶器だ。凛はいささか羨望の眼差し。半ば脊椎反射で、いいなぁ、とか思ってしまった。ない物ねだりだった。
 穏やかな物腰でティーカップを傾ける姿は、はっきり断じて綺麗である。白人女性らしく、鼻筋が高く通っていて、まるでブロードウェイのキャストのよう。他にどんな表現のしようもなく、彼女はただただ美人だった。
 そんな彼女に、凛はそう悪くない感想を抱く。
(なんか……信じられないのよね。こうして見ている分には)
 だが、かのファウストの前に現出したという悪魔は、驚くほど愛想のいい輩だったと聞く。もっともそれは最初のうちだけなのだが。
 らしくない。それが本音だった。悪魔なら、もっとそれっぽくてもいいのではないか。見てくれで判断するのは危険だが、それでも凛には、どこか違うように思えた。
 そういう理由で問うた『悪魔か否か』の質問。
 昨夜、凛が気を失う前に彼女は自らを悪魔と言った。
 だが、もしかしたらそれは生前の異名だか何だかかもしれないではないか。戦場では、なんかほら、そういうのあるでしょう。敵を多く殲滅したから二つ名として悪魔を冠することとなったー、みたいな感じで。
(ていうかお願い、本当の悪魔じゃありませんように。わたしを外法者にしないで)
 半ば祈る心地で、凛は女の返答を待った。
 女は紅茶を一口含み「あら、おいしい」という顔をしてから、あっさりと答えた。


「ええ、悪魔よ。本物のね」


 あぁ……そうですか。
 そうですよね。
 ええ、ただの藁縋りなんです。そんなに期待してませんでした。
 ですよね。そんな都合の良い話はないですよねー。
「……あはは」
 凛はどんな顔をしていいか解からなかったので、とりあえず適当に苦笑した。すると女も苦笑い。
「どうも嬉しくなさそうね……私、もしかして外れクジ扱い?」
「外れクジっていうか……わたしはセイバーを召還しよう、ってめちゃくちゃ手間暇かけたの。それなのに、出てきたのは悪魔なんですもの。少しは残念に思っても仕方ないでしょ?」
 憮然と言い返した。女は苦笑を崩さずに、
「まあ、アーチャーじゃ華々しさには欠けるわよね。確かに」
 と、自らのクラス名をこぼした。これで本格的にサーヴァント確定。自然に日本語を使いこなしている点でも、それは頷ける。
 アーチャーかあ、と凛は胸の裡で気落ちする。これでセイバーだったら、まだしも溜飲が下ったかもしれなかったのに。
 そんな凛の落胆っぷりを見て。んー、と考え込んでから、女は言った。
「そうね、じゃあアーチャーらしく――」
 そこで女はいったん紅茶を飲み干し、吐息。そして、




「――――頭をブチ抜きましょうか、お嬢さん?」




 ……ごりっ、と、額に押し付けられた鋼の感触。
 凛は「……え?」と放心したかのように、ぱちくりと瞬きしてソレを見つめる。
 拳銃だった。
 それも、映画でもお目にかかれないような砲身の長い、銀色のハンドガン。
 どうリアクションしていいか解からず、凛は女の方に視線を向けた。そして背筋が凍った。
 ――冷笑。
 それも氷のように淫靡な、殺気を十二分に孕んだ哂い方。
「な……ッ」
 いつの間に取り出したのか。女は傍目にも明らかな冷徹の気概で以って、鈍銀の大口径拳銃をしっかりと凛の脳天にポイントしていた。
「はっきりと告げるわ。外れクジ? ふふ、“糞喰らえ(ファッキンジャップ)”よお嬢さん」
 トリガーに掛かる指は、今にも引き絞られそうに力がこもっている。凛は悪寒に身を硬くする。
「乳臭い生娘風情が対等を気取って抜かさないでね。不愉快極まりないわ、それって。第一それは、あなたの不手際ではなくて?」
「……ッ!」
 顔が、かぁっと熱くなる。言い返せない歯痒さに。
 確かにそれはわたしの問題だ。失敗したのはわたし。彼女は、いわば巻き込まれた口だ。自分の態度は、彼女にとって不当な扱いだったのかもしれない。
 責めるべきは己。愚痴は恥ずべき行為だ。しかし、だからとて、
(生娘は余計よ……!)
 むしろそこに腹を立てて、凛は相手の目を毅然と見返した。
 剣呑な視線が交錯する。そんな昼下がりの午後。窓からは斜陽。決して麗らかな、とは言えなかったが。
 やがて、ふっ、と女が殺意を緩めた。神妙な表情。凛は怪訝に、それでも視線を外さない。
 女は言った。
「……こう見えてもね、舐められるのは大嫌いなの。解かるでしょう、あなたなら」
 ……同じではないが、“魔”の一端を担う女として。凛は言葉の意味をそう取った。
 それは否定しない。わたしだって、舐められるのは大嫌いだ。認めると同時に、気まずさが胸中を支配する。
 反省。
 彼女の言う通りだ。舐めていた。悪魔だからとか、アーチャーだからとか。そんな先入観を快く思わないだろう。
 第一、初対面だ。失礼にもほどがある。
 凛は目を伏せて謝罪した。
「……ごめん。悪かったわ」
「解かれば良いのよ」
 割とあっさり銃を引いて、女は再び微笑を造った。凛はぽかんとして、
「……いいの、それで?」
「訴えようにも、この国じゃ人権ないでしょ。悪魔には」
 どこの国にもないけれど。
「冗談よ」
「さすがに解かってるわよ」
「そう? 気が合いそうね私たち」
「そうかなぁ……」
 自信なさげに、凛は首を傾げた。
 女は銃をどこかにしまいこみ、もう片方の手に持っていた中身の失せたカップを卓上に置いた。
「ともかく、私はとっくにあなたをマスターだと認めているのよ。お嬢さん、あなたもそろそろ認めてくれないかしら」
「認めている?」
「ええ。だって私、悪魔の中じゃ気配が希薄なのよ? それを一目で理解したのだから、あなた、相当な慧眼の持ち主よね。“彼”だって、最初はぜんぜん気付かなかったのに」
 彼とは、生前に繋がりがあった誰かだろう。女は続けた。
「それに、こうして話をしていて尚更思ったわ――あなたとなら、上手くやっていけそうって」
 にこり、と。
 どこか照れくさそうに。悪魔であるはずの美女はそう言った。
「…………」
 凛は、その笑顔に不可思議な心地よさを覚えた。
 まいった。
 この人、すごく良い人だ。
 もしかしたら騙されているのかもしれない、と心の冷静な箇所が懸念を上げるが、凛は――それならそれで構わない、と覚悟した。
 もし騙しだとしても、わたしはそれを乗り越えてみせる。
 だから。




「――――認めるわ。我が祖・シュバインオーグの名に於いて、貴女をわたしのサーヴァントと」




 凛は、笑ってパートナーを迎え入れた。
 女――いや、アーチャーは満足げな面持ちで、ふと右手を顔の高さに掲げる。
 その意図を悟って、凛もまた右腕を上げた。
「What can you dance?(得意なダンスは?)」
 アーチャーが英語で訊いてきた。ナニカを暗喩した、気取った言い方。凛は不適に応える。
「The jitterbug with me(ジルバで決まり)」
 そして白磁の右手と、令呪の宿りし右手が――ぱぁん、とハイタッチ。
 ここに、契約が成立した。


   ◆


「そういえば、まだ名前言ってなかったわよね。わたしは遠坂凛。好きなように呼んで、アーチャー」
 改めて自己紹介。まだ明らかではない点はあれども、これから共に戦うのだから名前くらい知っておいてもらわないといけない。
 女はそれを聞いて、噛みしめるように小さく連呼する。
「遠坂、凛。凛……凛ね。とてもいい響きだわ、あなたに似合っていて。フロストと同じくらい当て嵌ってるわね」
「……フロスト? 誰それ」
「ああ、気にしないで。とある中級悪魔の名前だから」
「うわ、嬉しくないそれ」
「ふふ」
 そんな他愛のないやり取りの後に。
 アーチャーもまた、名乗った。信頼の証として。



「私の真名は“トリッシュ”。宜しくね、凛」











 ――――わたしたちの聖杯戦争が、始まる。













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