幕間劇「天使の病」



 その公園で、白い少女は一人の少年を待っていた。
 そっと、頭上を仰ぐ。空は灰色の曇天模様に覆われ、いつ崩れ出してもおかしくは無い。
 何をするワケでもなく、紺の帽子とコートを纏った銀髪の少女は虚空に視線を彷徨わせながら、ぼんやりとしていた。
 その公園で、衛宮士郎という少年を待っていた。もちろん約束したワケではない。そもそも、衛宮士郎と少女は聖杯戦争に置いて殺し合うマスター同士である。
 それでも、少女は待っていた。
 ここに少年が来る根拠などない。待つ理由など些細な事。
 ただ出会い、話をしようと思うのはいけない事だろうか。
 人を殺す残酷さと、人の温もりを求める純粋さを同居させる無垢の少女。
 少女は一人、何かを期待するように待っていた。
「イリヤスフィール?」
「―――っ、誰!?」
 不意に呼ばれた声に、イリヤは緊張感を滲ませて振り返った。
 日の昇っている時間は戦争をしない。それは人目を嫌う魔術師同士が争う聖杯戦争の定石であり、イリヤ自身のルールだったが、それが他のマスターに通用するワケではない。今は戦争中だ。
 今はいないバーサーカーをいつでも呼び出せるように令呪の用意をしたイリヤは、振り返った視界の先で揺れる真紅のコートを捉えた。
「よお、お嬢さん。寒くないか?」
 自分の物とは種類の違う銀髪と、端整な顔立ちに浮かぶ気さくな笑み。その友好的な態度に関わらず、イリヤは思わず顔を顰めていた。
「……最悪」
「ははっ、歓迎されてるようで嬉しいね」
 思わず洩れるイリヤの本音を受け流すように、楽しそうな笑みを浮かべる。
 イヤな奴。初対面での印象最悪の男、ダンテが紙袋を片手に佇んでいた。






 バゼットは久しぶりにスーツに袖を通していた。右手を開いて、握る。単純な動作だが、握り締める拳には確かな力が戻っているのを感じた。自然と笑みが浮かぶ。完全復活は近い。
「調子はどう?」
「悪くない」
 ベッドに腰掛ける形のバゼットに対して、少し離れた位置でキャスターが尋ねた。目線は広げた雑誌に注いだまま、時折バゼットの方を一瞥する。
「『左手』の方はどう?」
「まだ動かしてみていない」
 自分の左腕を持ち上げ、バゼットは神妙にその手のひらを見つめた。
 バゼットは左腕の肘から先を失った。どれだけ魔術が進歩しようとも、等価交換の基本は変わらない。何もないところから左手を生やす事などキャスターほどの魔術師であっても不可能なのだ。
 だから、キャスターは義手を造った。
 バゼットの左手には、今キャスター特製の義手が装着されている。半日以上に及ぶ製作時間の末に完成したバゼットの二つ目の左腕となった義手だ。
「人形は作ったことがあるけど、義手は初めてなの。どうかしら? 接合部分に違和感はない?」
「ああ、異物を付けているような感触は全く感じないな」
 袖をまくった左腕を何度か上下に動かし、バゼットは素直に答えた。
 繋ぎ目がわずかに見えるが、それはベルトなどで不恰好に繋いだものではない。
 だが、それは確かに義手だった。手首や指の関節の間にわずかな隙間があり、それがラインになって見える。丁度人形の球体関節のようなモノだ。人工物である事を如実に示す部分である。皮膚の質感も、何処となく光沢のある金属質なものだった。
「服と手袋で隠せば問題ないだろうが……む、動かない」
 バゼットは思わず呻いた。先ほどから手のひらに意識を集中させているが、指がピクリとも動かない。肘から先の義手部分に感触がないのは仕方ないが、手として機能しないのならば一般医療で普及している飾りの義手と何ら変わりはないのだ。それでは意味がない。
「材質が有機物じゃないから、神経は通ってないわよ。普通に動かそうとしても駄目。魔術回路を擬似神経にして置き換えてみたわ、魔力を通すイメージで動かしてみて」
 何とか指を動かそうと四苦八苦するバゼットに対して、キャスターが説明した。バゼットが言われたとおりに、義手に意識を集中する。義手に通う回路を、自分の体の中の魔術回路の延長として捉える。
 自分の体にそうするように、義手に魔力を通わせながら命令すると、それに従って人差し指がゆっくりと曲がった。
「手首を曲げて。指は全部動く?」
 その言葉に従い、ゆっくりと初めて車を運転する時の様に、慎重に指を一本ずつ曲げていく。五本全てを曲げて拳を握り込むと、触れた皮膚の感触、筋肉の強張りまではっきりと感じ取る事が出来た。
「……すごいな、感触まで戻っている」
 バゼットは素直に感嘆した。感動したと言ってもいい。
 魔術師の中には人間と何ら変わりのない人形を創り出す伝説の人形師もいるが、実際にその技術を目の当たりにした事はない。義手と聞けば、やはり木製の見た目だけの機能しかない物を想像する。
 しかし、この義手はバゼットの第二の左腕として機能出来る神秘の代物だ。動かし方に多少のコツは要るが、まるで自分の左腕が戻ってきたかのような自然さに喜びが溢れるのを止められなかった。
「後は慣れね。しばらくはリハビリをして、左腕の感触に慣れて頂戴。性能的には生身の腕とほとんど変わらないはずよ」
「……ほとんど?」
 キャスターの言い回しに、バゼットはわずかな疑問を浮かべた。やはり生身とは多少劣るという事なのだろうか。
「普通に動かすと、使わない魔力回路があるでしょう?」
 キャスターが雑誌に集中したままで答える。
 バゼットが義手に意識を集中すると、確かに腕を動かす上で全く魔力を通わせる必要ない回路が見つかった。
「ああ、あるな」
「魔力を通してみて」
「?」
 疑問に思いながらも、それ以上何も言わないキャスターの様子を見て、バゼットはその回路に魔力を流し込んだ。
 その瞬間、金属質な音を立てて義手が変形した。
「ぬぉっ!?」
 驚いたバゼットは思わず奇妙な声を漏らした。
 義手の手甲部分の皮膚が何箇所かめくれる様に勢いよく開き、開いた中から黒金の矢じりが顔を出した。同じように手首が外れて伸び、内部から展開されたワイヤーが顔を出す。
 一瞬でバゼットの左腕の手首から先が奇妙な武器に変形していた。手から変形したその形状は特殊で武器の種類を特定は出来ないが、手の甲から覗く矢じりから仕込み型のボウガンだと予想できる。
「……何かね、これは?」
 さすがのバゼットも、このとんでもないギミックには冷や汗を流して声を絞り出すだけだった。手の甲から突き出た三連ボウガンが凶悪な光を放っている。
「仕込み武器よ。筋を分割して三連のボウガンを内蔵させたわ。武器の展開方法は今やった通り、しまう時は魔力を止めて」
 平然と雑誌を読み続けるキャスターの説明に、バゼットは無意識に回路へ送る魔力を止める。その途端、ビデオの巻き戻しを見るように、一瞬でボウガンが義手に収納された。
 恐る恐る左腕を握り込むと、何の支障もなく手は動く。
「撃つ時にコツが要るけど、義手自体が魔力回路で動くものだから、慣れれば手を握る動作と同じくらい自然に作動させられるわ。でも慣れないうちは左手を人に向けないようにして頂戴。誤射の危険性もあるから」
 呆気に取られるバゼットを尻目に、キャスターが淡々と説明する。説明の中に、かなり物騒な内容があったようだが気のせいだろうか。
「下腕部分に矢の予備を収納してあるわ。義手自体は比較的簡単に取り外しが可能だから、整備の時にでも矢の補充をして頂戴。矢は小さいけど、三発同時発射だからかなりの威力になるわね。
 ただ収納空間の都合上、それほど多くは矢を装填出来ないわ。それに射程も短いから使用するなら近距離戦限定よ。
 機能の分、義手の強度も落ちているから気をつけて。強化しても、せいぜいナイフを受け止めるくらいしか出来ないから」
「……」
 キャスターの説明を聞き流しながら、感心を通り越して呆然とする。確かに左腕の代わりを造ってくれて感謝はしているが、サイボーグにしてくれと言った覚えはない。
 というか、本当に貴女は神代の魔術師かと問いたい。饒舌に語るキャスターの言葉の内容は、やたらと現代の武器開発技術に精通するものだった。
「ふふふ、本当に現代の<科学>とは素晴らしいわ。魔術とは同じにして対極……探究心が久しく燃えてきたわね」
 危ない笑みを浮かべながらキャスターは雑誌を読む事に没頭している。
 バゼットが眼を凝らしてその雑誌の表紙を覗き込めば、それはモデルガン専門のカタログだった。視線を動かせば、テーブルの上には似たような雑誌や本が山積みされている。『ガンスミス入門』『銃の歴史』『ガンスリンガー・マガジン』など、全て銃に関する技術や情報を載せた物だ。
(今度はコレに銃を仕込むつもりか……っ!?)
 自分の義手を見つめて、バゼットは冷や汗を流した。
 銃のない時代に生きていたキャスターには弓矢のノウハウしかなかった為、今回はボウガンを仕込むしかなかったのだろう。
 物凄い集中力で銃関係の本を読み漁るキャスターに、バゼットは思わず戦慄した。しかも、その本に埋もれてバイクカタログなど、乗り物の雑誌や本も置いてある。ひょっとしてバゼットの持つバイクも改造するつもりなのだろうか。
 現代の科学技術に、完全に魅せられているキャスター。
 今の彼女にピッタリの言葉がある。<マッドサイエンティスト>だ。
「そ、そういえばダンテは何処へ言ったんだ?」
 怪しいキャスターの雰囲気を払うように、バゼットは話題を変えた。
「偵察がてらに食べ物を買いに行ったわ。ここの食事は上品過ぎるそうよ」
 キャスターが何でもないと言った風に答える。
 聖杯戦争中において、マスターが単独で行動するなど愚の骨頂であるが、この二人に置いてのみそれは当てはまらない。むしろキャスターよりもダンテの方が一人歩きには安全なのだから皮肉なものだった。バーサーカー相手ですら逃げ切ったダンテならば、並みのサーヴァントに一方的に殺されてしまう心配などない。
「……やれやれ、サーヴァントがサーヴァントなら、マスターもマスターか」
 バゼットはその矛盾に苦笑すると、義手に少しでも慣れるべくリハビリの運動を開始した。






 イリヤはその赤い男が大嫌いだった。
 まずその余裕綽々の態度が気に入らない。いかにも自分は大人だと振舞う仕草や口調、気品のない言葉遣いでバーサーカーを馬鹿にしたり、イリヤを子供扱いしたりする。
 そして、そんな仕草がたまにちょっとカッコイイと思えてしまう。
 だからイリヤはその悪魔が大嫌いだった。
 それなのに、何故か今彼女とダンテは並んで公園のベンチに座っていた。
「……なんで、隣に座るのよ?」
「んん? このベンチはお前さんの所有物じゃないだろ?」
「別のところに座りなさいよ!」
「嫌だね」
 怒鳴り散らすイリヤをあしらいながら、ダンテは紙袋の中を漁っていた。袋には大きく「M」の字が書かれている。外国でも有名なファーストフード店のロゴだ。
 全く意に介さないダンテを横目で睨みつけながら、イリヤは口を膨らませた。やっぱりイヤな奴だ。
 長身のダンテと小柄なイリヤが並んで座れば、その体格差は歴然とする。まさしく大人と子供だ。どれだけイリヤが迫力を持って怒ろうとも、傍目には子供の癇癪にしか見えなかった。それがまた悔しい。
 この男の傍にいるだけで不愉快な気持ちになる。ならば公園から去ってしまえばいいのだが、ここで待っていた最初の目的を思い出すとそれも出来なかった。ならせめて別のベンチに移ればいいのだが、それも何だかダンテに負けたような気分になるので嫌だ。
 結局、ダンテの横顔を睨み付けながらイリヤは変な意地を張ってその場で徹底抗戦の構えを見せることにしたのだった。
「こんな所に、何しに来たの?」
 探るような目つきで尋ねるイリヤに、ダンテは人を食ったような笑みを浮かべて袋から紙に包まれたハンバーガーを取り出した。
「落ち着いて食える場所を探してたのさ。そしたら、ビックリ。ビッグダディの娘がぼんやり突っ立てるのを見つけた」
「だから、何でわたしにかまうのよ?」
 イリヤが不服そうな表情で睨むのを笑って受け流すと、ダンテはハンバーガーをもう一個取り出した。
「食うか?」
 その笑顔と差し出す仕草があまりに自然だったから、イリヤは一瞬呆然とした。
 セイバー、アーチャー、バーサーカー、キャスター入り乱れてのバトルロイヤルを展開した激戦の夜は記憶に新しい。にも関わらずダンテにはイリヤに対する敵意の欠片も見られなかった。
 呆気に取られている間に、ダンテがイリヤの手を取って暖かい熱を持ったその包みを持たせる。イリヤはようやく我に返った。
「い、いらないわよ! こんな安っぽい食べ物、わたしはお嬢様なんだからね!」
 鼻息を荒くして、イリヤは不愉快そうにハンバーガーを突っ返した。完膚なき拒絶の姿勢であったが、包みを差し出した途端イリヤのお腹が可愛らしい音をたてて空腹を訴えた。
 ダンテが声を上げて笑い、イリヤの顔が羞恥で真っ赤に染まった。
「ガキの腹は素直でいいや」
「うるさいっ!」
「怒るなよ、お嬢様。添加物を大量に含んだ体に悪い庶民の食い物だが、腹は膨れるぜ。よかったら受け取ってくれよ」
 なだめるようなダンテの言葉に腹が立ったが、長い間公園で待ち続けてお腹が空いているのも確かだ。手に持った包みからケチャップと香ばしいひき肉の匂いがして、食欲をそそる。
「……しょ、しょうがないわね。この国の言葉にも『敵に塩を送る』ってあるもんね」
 微妙に間違った用法だが、ダンテは日本のことわざ自体を知らなかったので誰も突っ込まなかった。意地よりも食欲を取ったイリヤは、ぎこちない手つきで包みを開くと中のハンバーガーに齧りついた。
「パン生地で具を挟むところはサンドイッチに似てるんだね。こっちの方がちょっと味が濃いけど」
 口では文句を言いながらも、物珍しそうに食べるイリヤの表情はそれなりに満足そうだった。お腹が満たされて機嫌が良くなる所は、やはりお子様だ。それを見て苦笑すると、ダンテは自分の分のハンバーガーに齧りついた。
 静かな空。公園の中でハンバーガーの包みが擦れる音だけが時折小さく響く。
 ベンチに座ったイリヤとダンテの奇妙な組み合わせを、たまに公園を通る人が物珍しそうに眺めていく。
「……外国人が珍しいのかな?」
 イリヤが不思議そうに呟いた。アルビノ特有の色素の薄い肌と赤い瞳を持つ彼女は確かに人目を引く存在だ。しかし、ダンテはそれを答えずに面白そうに笑った。
「いや、今気づいたんだがな」
「うん」
「髪の色がお揃いだ。親子か兄妹にでも見えたんじゃないか?」
「むぐっ!?」
 思わぬ言葉にイリヤは喉を詰まらせた。苦心してそれを飲み込むと、恨みの篭った眼でダンテを睨む。明らかにからかったと分かる意地の悪い笑顔がそこにあった。
「あんたなんかと兄妹なワケないでしょ! 冗談じゃないわよ!」
「いやいや、よく見れば似てるぜ。何より顔がいい」
「わたしのお兄ちゃんはシロウだけだもん!」
 怒鳴るイリヤに、ダンテは不思議そうな表情で尋ねた。
「なんだ、あのボウズは本当にお前の肉親だったのか?」
 その問いに、イリヤはハッと我に返った。ダンテ自身は大して考えもせずに口にした疑問だったが、イリヤにとってそれはまさしく核心を突いたものだったらしい。
 怒ったり笑ったり、それまで子供らしい百面相をしていた顔を無表情に俯かせて黙り込んでしまう。
 自分の失敗を悟って、ダンテはバツの悪そうに頭を掻いた。
「ああ、まあその……なんだ。複雑な家庭事情って奴か?」
「……」
 イリヤは唇を噛み締めたまま答えない。何とも言えない後味の悪さが広がっていく。
「詳しくは聞かねえから安心しろよ、俺も家族には苦労してるしな」
 言いながら、ダンテは自らの過去を思い出して自嘲の笑みを浮かべた。
 彼の家族はもういない。父も、母も、兄も、全員この世にはいなくなってしまった。
 いつの間にか、ダンテは首から提げた母の形見のアミュレットを握り締めていた。彼の持つ二つのうち一つは自分の物。もう一つは兄に与えられ、そして兄が遺した物だ。
「……変わってるね」
 自分の世界に没頭していたダンテをイリヤの呟きが呼び戻す。雪のように白い少女は、先ほどまでの無表情とも、機嫌の悪い時の顔とも違った、小さな笑みを浮かべていた。
「ねえ、ダンテは悪魔なんでしょ?」
「ああ、半分な。父親が悪魔だった」
「ふーん。じゃあ、ダンテはスパーダっていう悪魔を知ってる?」
「スパーダの伝説を知ってるのか?」
 意外そうなダンテの問いに、イリヤは嬉しそうに頷いた。
「魔術師の間じゃ、有名なおとぎ話よ。本を読んだ事があるわ。ずっと昔に、魔界の悪魔が人間の世界を支配しようとした時、正義に目覚めた悪魔がたった一人で立ち向かって……そして勝った、って」
「おとぎ話ねえ……」
「あ、やっぱりスパーダって実在するんだ」
 イリヤの純粋な問いかけに、ダンテは曖昧に頷いておいた。何故かスパーダが父である事実を話そうという気が起きない。
 そのおとぎ話を語るイリヤの瞳は、子供らしい純粋な憧れと、同じくらいの悲しさに満ち溢れていた。
「わたしは、このお話が大好きだけど……大嫌い」
「何故だ?」
「これは、すごく綺麗なお話だと思う。でも正義とか、大きな理想って色んなモノを犠牲にしたり置いていったりするんだよ。この悪魔も、きっと人間の味方をする為にいろいろなモノを手放しちゃったんだと思う。
 置いてけぼりにされたモノにとっては、すごく辛い事なんだよ……そこまでして、理想を追う必要なんてあるの?」
 イリヤは問いかける。知らず、スパーダの残した後継者のダンテに向けて。弱者の為に戦った父を尊敬するダンテに、慟哭のような問いを投げかける。
 伝説の魔剣士。『正義に目覚めた悪魔』と言えば聞こえは良いが、果たしてそれにどういう意味があったのか。
 スパーダは人間の味方をしたが、それは同じ種族である悪魔を裏切る行為であったはずだ。もちろん悪魔に仲間意識などあるはずがないが、それでも己に与えられた運命を裏切り、魔界と言う自分のいるべき世界にさえ敵対した。
 そこに何があったのか。その先に何があったというのか。それに見合う、価値はあったのか。
 ダンテにとって多くの意味を持つその問いかけを、ただ静かに聞いていた。
「ダンテは何の為に戦うの? どうして、この聖杯戦争に参加したの?」
 切実な問いかけ。どう答えるべきなのか。
 答えに窮したダンテは誤魔化すような苦笑いを浮かべながら呟いた。
「金」
「…………うわ」
 あからさまに失望したイリヤの視線が突き刺さる。
「ああ、なんかもう駄目。ガッカリって感じね」
「最初はマスターとして戦う奴がサポートの依頼を持ってきたんだよ、いろいろあってソイツはリタイヤしたがな」
「結局大人って、何処まで行っても仕事なんだ。仕事で殺し合いするなんて、いやだなあ大人の世界って」
「殺し合いに参加する子供ってのも、なかなかシュールだと思うがな」
 不機嫌そうに鼻を鳴らすと、ダンテは残ったハンバーガーの欠片を口に放り込んでコーラで飲み流した。
「本当に殺すつもりなのか、あのシロウって奴も」
「うん、殺すよ。だってこれは戦争だもの。わたしはアインツベルンのマスターだから」
 少女は当たり前のように告げた。しかし、その顔にいつか見た残酷な笑みはない。あまりに小さいその指先は、何かを拒むように膝の上で強く握り締められている。
「それに、シロウはきっとわたしよりも……」
 言いかけた言葉。その先は続かない。
 ダンテは静かに、少女の何かを耐えるような横顔を見つめた。自分でもよく分からない感情に振り回される、困惑した表情がそこにある。
 この少女は混乱している。この少女は自ら持つ感情に答えを出せるほどの知識を持っていない。普通の子供ならば、ごく普通に持ち得るハズの何かを決定的に欠いている。善も悪も理解していない、無垢な少女。そしてそれは、この少女自身のせいではない。
 ダンテはそれを理解すると、急速に自分の中の戦意が萎えていくのを感じた。
 これを殺せと言うのか。この少女と殺し合えと言うのか。笑ってしまう。それこそ転げまわって笑い狂う程性質の悪い冗談だ。
 キャスターとの契約とバゼットの信念、そしてランサーとの因縁。彼がこの戦争を降りるわけにはいかない理由は幾つもあるが、この聖杯戦争自体が心底くだらないと思えてしまった瞬間だった。
「本音を言えよ」
「え?」
 ダンテは何も気負わずに、気楽に言った。
「決めるのは結局お前だ。シロウを殺したいんなら、殺せばいい。シロウに抱き締めてもらいたいなら、そう言えばいい。あのボウズは笑ってそれを叶える。きっとな」
「―――っ、簡単に言わないで!」
 イリヤは激昂した。
 気安いダンテの救いの言葉が、どれほどの失望と絶望を抱かせるのか。事情も知らずに『言うだけ』の事が、どれ程容易いか。
 しかし、ダンテの笑みは変わらない。
「そんな単純に物事は運ばない! アナタ大人なんでしょ、そんな事もわからないで適当なこと言わないで! わたしはアインツベルンから送られたマスターで、アインツベルンはこの聖杯戦争を仕組んだ巨大な組織! その何よりも聖杯を欲しがってるアインツベルンが、そんなに簡単にわたしを自由にするわけないでしょっ!!」
「だったら壊せばいい」
「……え?」
「アインツベルンなんて、そんな『モノ』ぶっ壊しちまえばいいのさ」
 食べたくない物があるのならどけろ。走るのがつらいならやめろ。そんなどうでもいいような気軽さで、ダンテは素っ気無く言った。
「……そんなこと、出来るわけない」
「そうか? 俺、手伝ってもいいけどな」
 呆然とイリヤはダンテを見つめる。目の前にいる赤いコートの悪魔はそう言って、何度も見たあの不敵な笑みを浮かべた。
 呆気に取られて佇むイリヤを尻目に、ダンテは空になったハンバーガーの包みを丸めると紙袋に押し込んだ。ゴミ箱に放り投げて、コートを翻して立ち上がる。
「俺は<デビル・メイ・クライ>って便利屋をやってる。仕事を請けるには合言葉が必要なんだがな、お前は特別に無しでも請けてやるよ」
 その一言一言が、イリヤの胸に希望を灯していく。
 駄目だ。これ以上この悪魔の言葉を聞いては駄目だ。それは甘い誘惑に過ぎない。現実は厳しい。そう簡単に運命を変えられるものか。
 ―――ああ、それなのに。
「この戦争が終わって、気が向いたら電話しな。格安にしとくぜ?」
 にやりと笑った、その悪魔。出会った時から余裕に満ち溢れて、どんな危機に対しても不敵に笑って見せた悪魔。踵を返して公園を去っていく、その赤い背中がとても大きくて。
 イリヤは少しだけ、彼を信じてしまった。









「……やっぱり、イヤな奴」
 拗ねたように呟いて、イリヤは未だに手に持っていたハンバーガーを頬張った。すっかり冷めてしまったそれは、やっぱりあまり美味しくなかった―――。









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