ACT6「運命が変わる夜」



 狼のそれに似た雄叫びと共に、魔力が爆裂した。
 すくい上げるような雷の斬撃が、飛来する魔力砲弾を空高く打ち上げる。キャスターの放った必殺の魔術は虚しく夜空に消えていく。魔力の余波がダンテの頬を撫で付けた。
「な……っ!?」
「場外ホームラン。今シーズンはいただきだ」
 絶句するキャスターを尻目に、ダンテはニヤリと笑って軽口を叩く。振り上げた大剣の刃が挑戦的に紫電を放った。
「な、なんだ、効いてねえぞ! この愚図、さっさとアイツを殺せ!!」
 それに怯えるように、マスターの男が後ずさりながら命令する。キャスターは無言のまま、再び自らの手に魔力を集中させた。
 しかし、傷の痛みと魔力不足の影響を受けて、先ほど以上の魔力弾を生み出すだけの力を集めるのに予想以上のタイムラグが生まれていた。ダンテがそれを見逃すはずがない。
 腰の銃を引き抜き、腕をクロスさせて白い銃口をキャスターに、もう一つの黒い銃口をマスターに向ける。男の悲鳴が上がり、それを飲み込むようにして轟然と二つの銃口が吼えた。
「ひ、ひぃぃいっ!!」
「……くっ!」
 足を竦ませたマスターを守るべくキャスターが魔力の障壁を展開して射線に割り込んだ。淡く光る盾を銃弾が激しく叩く。
 右手で盾を維持しながら、キャスターは左腕に魔術を発動させた。
 二つの異なる種類の魔術の同時行使。魔術師としては桁外れの能力だ。
 手のひらに、赤く輝く十数本の矢が出現する。
「これならどうかしら?」
 今度はダンテが息を呑む番だった。
 放たれた真紅の矢は、標的に向けて一斉に飛び掛かった。一本一本の狙いは甘いが、数にモノを言わせてダンテを覆うように降り注ぐ。一瞬視線を足元に走らせ、気絶したままのバゼットを確認すると、ダンテは意を決したように歯を食いしばった。
 赤い閃光が突き刺さり、小規模な魔力の炸裂があっという間にダンテを覆い尽くした。銃声はとっくに途切れている。
「ひ……きひひひっ、くたばりやがったかっ!?」
 男が脂汗を拭いながら、灰色の霧の向こうに眼を凝らす。
 返事はない。キャスターは黙ってローブの下から小さな白い塊を幾つか取り出した。
 風がゆるゆると流れ、コンクリートを抉って巻き起こった煙を払っていく。
 そして、突風が煙を切り裂いた。
「な……な、な、なぁっ!?」
「発音はしっかりしな、ABCだ。子供でもできるぜ?」
 なんら調子の変わらない軽口が返ってくる。
 巨大な刃を軽々と振るい、煙の中にダンテは佇んでいた。
 無傷ではない。真紅のコートには幾つもの穴が開き、裾は裂けて破れている。破れた穴からは血が流れ、確実に直撃を受けた跡になっていた。
 しかし、それでもダンテは立っていた。
 その驚くべきタフネスを発揮して、全身を穴だらけにされながらも背後のバゼットを庇って不敵に笑みを浮かべていた。急所への攻撃は全て剣で防いでいる。
「やはり、人間ではないようね……」
「血は赤いぜ?」
 頬に一筋の汗を滲ませながら呟くキャスターに、ダンテは額から流れる赤い血を舐めとって軽薄に答えた。傷を負った腕の調子を確認するように握った剣を一振りする。
「おまけに痛いモンは痛い。来いよ、鼻血が出るほどお返ししてやる」
 手負いの獣が獰猛な笑みを浮かべる。痛みがダンテの中のスイッチを入れてしまったらしい。全身から吹き上がる烈火の如き殺気と魔力に、キャスターは呻くように押され、マスターの男は悲鳴さえ出せずに震え始めた。
 一対一。しかも正面からの正攻法では通じないと悟ったキャスターは、手に持った生き物の牙のような欠片を素早く地面にばら蒔いた。そして紡がれる高速神言。言葉と共に魔力が編みこまれる。
 キャスターが蒔いたのは<竜の牙>。竜種の魔力と、大地の知識を吸収する事でそれはかりそめの兵士へと変化する。
 あっという間に、統一化された姿と剣を持つ<竜牙兵>が誕生した。
 5体の兵士がキャスターたちを守るように立ち塞がる。
「ワォ、今度は人形劇かい?」
 性質の悪いホラー映画のように、奇怪な形をした骨で構成された関節を軋ませながらにじり寄るブリキの兵隊を、挑戦的にダンテの右手が手招きする。抜き身の長剣の刃がガランッと無造作に地面を叩いた。
「いいぜ、来いよ。てめら全員、元の入れ歯の姿に戻してやるぜ!」
 ダンテが神速の域に達する踏み込みで先頭の竜牙兵を斬り上げた。
 ジリジリと慎重に間合いを計ってにじり寄ってたところに、いきなり距離をゼロに詰めた豪剣が唸り、骨格のみの体が紙屑のように引き裂かれた。凄まじい剣圧で竜牙兵の体が宙に舞い上がる。
 後方で見ていたキャスターにとっては一瞬の事だった。瞬きした瞬間に襲い掛かった竜牙兵が高々と跳ねたのだ。
 空高く跳ね上げられた竜牙兵が重力に従って地面に落ちる。その落下地点でダンテが不敵な笑みを浮かべていた。剣を納め、腰の銃を抜いて落ちてくる標的を歓迎する。
 烈火。
 <マズルフラッシュ>と呼ばれる射撃時に噴き出す炎が闇を切り裂き、人智を超えた速射によって無数の銃弾が竜牙兵に突き刺さる。
 そして、重力が無視された。
 馬鹿げた速度で放たれる銃撃によって、竜牙兵の体は空中に縫い付けられたまま『止まって』いた。銃弾の嵐でどんどん小さく削られながら、空中で小刻みに跳ね回る。
 その死のお手玉を止めるべく、背後に待機していた竜牙兵が一斉に襲い掛かった。
 剣を掲げて猛進する姿は墓から抜け出した神話の騎士そのものだったが、現代に置いては時代遅れの骨董品に過ぎなかった。
 空中に射撃を続けながら、銃身を一閃させて近寄ってきた敵を掃射する。右へ撃ち、上空へ撃ち、左と正面に叩き込んだ後に再び二つの銃口が揃えて弾丸を上に吐き散らす。
 忙しなく動き回る白と黒の獣の咆哮は、しかし確実に敵を捉えていた。
 空薬莢が乾いた音を立てて地面を埋め尽くし、砕けた骨の破片を撒き散らしながら竜牙兵は弾かれるように吹き飛ばされた。
 二匹の獣があっという間にマガジンの弾を吐き尽くし、悪夢のような銃撃がようやく止むと、銃弾のミキサーに掛けられた竜牙兵はその随分と小さくなった体で地面に落下した。蜂の巣にされ、もはや原型すら留めぬほどに破壊されたソレは粉々に砕け散り、灰となって消滅する。黒いブーツがそれを踏みつけた。
「さあ、パーティーしようぜ」
 加熱した銃身をガンホルダーに突っ込むと、ダンテは不敵に笑って両手を広げた。
 背後で怯えて喚くマスターの声などもはや聞こえず、キャスターはその姿に完全に呑まれていた。
 月明かりに照らされ、闇に飾られ、硝煙を身に纏った一分の隙もないポーズ。それは暗く、残酷で、ひどく美しい光景だった。
 倒れていた竜牙兵達が立ち上がる。胸に受けた銃弾は体を貫通していたが、命を持たない使い捨ての雑兵である彼らに<死>などない。動けなくなるほど破壊し尽くすしかないのだ。
 上げていた手を一転してダラリとぶら下げ、ダンテは軽い足取りで敵の一体に近づいていった。閃光のような身のこなしをするダンテにとってはあまりに緩慢な動作で、敵が剣を振り上げる。
 瞬間、紫電がほとばしった。
 残像を残す速度で抜き放たれた大剣が、竜牙兵の胴体を横薙ぎに斬り払う。魔力を纏ったその一撃は、敵の体を木の枝のようにへし折って粉々に砕いた。
 残った三体が同時に襲い掛かるが、それを大して気にも留めず、当たるを幸いとばかりに剣を振るう。
 兵士の振るう剣とダンテの剣とが激しく火花を散らすが、雷の魔剣の前に急ごしらえのナマクラが太刀打ち出来る道理などない。一方的な剣戟の嵐に竜牙兵たちは次々引き裂かれていく。ダンテが全身に負った怪我の影響など、もはや欠片程も残っていなかった。
「ハァアアアッ!!」
 最後の一閃と共に、ダンテを囲んでいた竜牙兵は灰塵と帰した。ダンテを中心に、螺旋状に吹き荒れていた剣風が粉微塵になった兵士達を上空に巻き上げる。
 流れる銀髪の隙間から、ダンテの眼光が呆然とするキャスターを射抜いた。涼しげな口元には笑み。炎のような真紅のコートが揺らめき、周囲を紫電が乱舞する。
 その寒気がするほど恐ろしい姿に、キャスターは体の芯が熱く疼くのを感じた。
 それは目の前の、得体の知れない魔剣士に対するおぞましいほどの畏怖であり羨望でもあった。
「出し物は終わりか?」
「ひっ、ひぃぃぁああああああああっ!!!?」
 ダンテの眼光に貫かれ、この世の終わりといった表情で男が奇怪な悲鳴を上げた。人間の本能が、目の前の闇の存在に恐怖し、絶対的な<死>を予感する。
「た、たしゅ助け……っ!」
「駄目だ、お前の命をよこせ」
 男の命乞いを無慈悲に切り捨て、ダンテは剣を構えた。
 刃を水平にし、剣先を男に向ける。体を捻り、弓のように限界まで引き絞ると、次の瞬間鋭い呼気と共に力を解き放った。
 凄まじい横回転を加えられた剣が、男の首を刈り取るべく一直線に投擲される。
「おおお、俺を守れぇええええっ!!」
「―――っ!」
 男がキャスターに命令する。令呪が輝き、それが生み出す絶対的な強制力が、既に疲弊していたキャスターの力を無理矢理限界以上に引き出した。
 独楽のように高速回転しながら迫り来る刃の前に躍り出ると、キャスターは全身が軋むほどの魔力を放出して盾を作り出した。
 剣と盾が激突する。
 強大な魔力のぶつかり合いはその場で拮抗する。本来ならば生み出された壁を突き破るか、逆に剣が弾かれるか、いずれにせよその結果は一瞬の出来事であるはずなのに。有り得ない事に、剣は回転しながらその場に『留まって』いた。
 回転を緩めずに滞空した状態で、ノコギリのようにガリガリと魔力の盾を削り続ける。
「……っくぁ」
 キャスターの力は既に限界を超えていた。目前で相殺される盾を抑えながら、苦悶の声を漏らす。
「……っぁぁああああああああああっ!!!」
 全身を過剰な魔力が駆け巡る激痛の中、キャスターは裂帛の気合いと共に魔力を爆発させた。拮抗が一瞬で崩され、刃が回転を止めて空中へと弾き飛ばされる。
 力を失った剣は、そのまま弧を描いてダンテの目の前に突き刺さった。
 相手の首を刈り取るはずの、必殺の一撃を防がれたダンテは、しかし眉一つ動かさずに予備弾装を銃に差し込んだ。キャスター達が必死の抵抗を続けている間に、恐ろしく冷静に銃のリロードを終えてしまったのだ。
 一息つく暇すらなく、キャスターとそのマスターに絶望が襲い掛かった。もはやどう足掻いても目の前の赤い死神から逃れる術はないのだ。
「敗者のルール。わかってるだろうな」
 男は腰を抜かしたまま、奇怪な足取りで後ずさる。それだけ恐怖に震えていながら腰を抜かしていないのは奇跡だったが、何時の間にか失禁してズボンは生暖かく濡れていた。拝むように合わせた両手の下には、怯えきった幼児のように、その顔がまるめた紙のように歪みきっていた。
「こっ、こっ、降参しますぅ〜。命だけはぁぁ〜!」
 相手の靴を舐めてでも助かりたいという様子の男に、しかしダンテは無言で銃を向けた。深遠の闇のように暗い銃口を見て、男は恥も外聞も捨てて泣き叫ぶ。
「ぁあああ〜、お願いですぅ〜。……そ、そうだ! コイツを差し上げますっ!」
 男は顔を輝かせると精一杯に媚びた笑みで、力を出し尽くして荒い息のままその場に立ち竦むキャスターをまるで物のように指さした。ダンテの顔がわずかに歪む。
「わわ私はマスターを降りますのでぇ、あああなたがコイツを使って下さい。へへへっ、た、大した役には立ちませんが、女ですからそれなりに使い道は……」
 媚びるような笑みを浮かべる男は、その一抹の希望に縋っていたが、男が言葉を発する度にダンテの瞳に篭る殺気は増していた。
 そして、取引の材料にされているキャスター自身は、夢遊病者のように虚ろな瞳でマスターである男を見つめていた。そこには『裏切られた』という失望も、見捨てられる悲しみもなく、ただ無表情にそのやり取りを見ていた。
「マスター……」
「うう、うるさいっ! マスターなんて呼ぶなぁ! も、もうお前なんかとは関係ないんだ! 俺は関係ないっ!!」
 それが、完全な決別となった。
「……そう」
 いい加減、聞くに堪えなくなったダンテが男の下卑た口に鉛弾を叩き込もうとした時。
「じゃあ、さよなら」
 キャスターが男の胸にナイフを突き立てた。




 それは装飾剣に近かった。七色に光る刀身は歪に曲がり、とても切る事を目的としたものとは思えない。持ち手には魔術的な装飾が施され、その短剣自体が強力な魔力を帯びていた。
 一種のマジックアイテムと思われるソレは、しかし武器としての機能も確かに持ち、その刃を男の胸深くに潜り込ませた。
 苦痛はなく、ただ肉を引き裂く感触だけをリアルに感じ取った男が、信じられないと言った表情でその赤く染まり始めた一点を見つめる。
 ―――マスターがサーヴァントに使用出来る令呪は三度まで。
 男を見限る決意をした時から、キャスターはこの瞬間に備えていた。
 彼女は従順なサーヴァントとして振る舞い、男の自尊心を満たし続けた。結果として簡単な、どうでもいい事に令呪を消費させたのだ。
 魔術師として優れるキャスターに屈辱を与える為、己の自尊心を満足させる為に男が使用した令呪は二つ。
 そして最後の一つは、たった今消え去った。都合良く、彼の決別の言葉と共に―――。
 グジュッと濁った音を立てて、刃が男の体の奥に到達する。そしてキャスターは、疲労の汗を滲ませる顔に、それでも冷徹な笑みを浮かべながら、己の宝具の真名を解放した。
「破戒すべき全ての符(ルール・ブレイカー)―――!」
 胸に刺さった短剣が、その呪文らしき詠唱に反応して七色のプリズムを放つ。ネオンのような光が夜の闇を裂いて煌き、それと分かるほどの膨大な魔力がほとばしった。
 それは戦うための剣でも、敵を殺す魔術アイテムでもなく、宝具の域に達した究極の対魔術兵器だった。
 光の収束と共に、全ての魔力を初期化する神秘の刃が、マスターとサーヴァントの契約のラインを完全に断ち切る。ここに、男とキャスターを繋ぐ最後の鎖が砕かれたのだ。
 血に濡れた裏切りの刃が、男の胸から引き抜かれる。キャスターに表情はない。自分を罵倒し続けた男から解放された爽快感も、喜びも、何一つ持たずに淡々と仰向けに倒れた男をただ見下ろしていた。
 ダンテは突然の事態に、二人を半ば呆然と見つめている。
「な……ぁっ?」
 男が何かを言いかけるが、喉を逆流してきた血が口から溢れて紡ぐはずの言葉を飲み込んでいく。腕の令呪が音もなく消え失せた。
「これで、本当にあなたと私は関係なくなったわね」
 乾いた笑いを浮かべながら、つい先ほど男の口にした台詞を返してやる。傷口から命を垂れ流しながらも、男は憎悪に歪んだ顔でキャスターを睨みつけた。
「ぎざま゛……う、ら……ぎりも゛の゛……っ」
「最初に言ったのは、あなたでしょ?」
 本当はこちらが先に言ってやるつもりだったのにね、と憎々しげに呟いて、キャスターは男を笑って見下ろす。
 契約が切れた身に残されたのは一握りの魔力。自分の身が保たないこともおかしければ、下卑たマスターの寝首をかいたこともおかしかった。
 おかしくておかしくて仕方がない。だから笑って。笑って、笑って、もう頭の中がごちゃごちゃしてワケが分からなくなって、何故笑っているのかも分からなくなってきて……。
 何故か溢れてきた涙がおかしくて、また笑った。
「……ご……のぉ、<魔女>めぇ……っ」
 男が震える声で、最後の呪詛を吐いた。
 その一言が、キャスターの張り詰めた精神をプッツリと切った。理性が吹き飛び、頭の中が真っ白になって、ただひたすら神経を焼き切るような殺意だけが彼女の体を駆け巡る。
「うるさいっ!!」
 衝動のままに、手に持った宝具を男の喉に突き刺した。
 既に魔力を失ったソレはただの短剣だった。歪な刀身が柔らかい首に突き立てられ、それがトドメとなって男は完全に絶命した。
 それが、自らの従者に裏切られた男の末路だった。
「あなたが、言わないでよ……っ」
 しかし、キャスターは尚も短剣を振り上げ、既に動かぬ男の胸に刃を突き刺す。
「……っアンタが! アンタが! アンタがぁぁああーーっ!!」
 何度も。何度も。泣き叫び、返り血を顔に浴びながらも、何度も短剣を男の死体に突き立てる。
 その姿を静かに見つめるダンテの眼には、泣きじゃくる少女の姿が映っていた。
 振り下ろされる腕は徐々に力を失い、やがてキャスターは脱力したようにその場に座り込む。手から離れた短剣は魔力を失い霞のように消える。
 しかし、もうどうでもいいことだった。彼女は全てを投げうっていた。
 魔力の枯渇した体は、もはや消え失せる。裏切られ、最後に押された<魔女>の烙印。
 何もかもが、彼女から気力を奪っていった。全てを諦めさせていた。
 もう、空っぽだ―――。
「……行きなさい」
 銃を納め、静かにこちらを見つめるダンテに、キャスターは感情の篭らない声で告げる。その視線は虚空を彷徨ったまま、何も見てはいなかった。
「ここには、もう誰もいないわ……」
 疲れ果てた表情で呟いて、キャスターは意識を手放した。
 残されたダンテはバゼットを抱え上げ、視線を倒れたキャスターに向ける。
 しばしの熟考を経て、ダンテは疲れたようにため息を吐くと、やれやれと肩を竦めながらキャスターに歩み寄った。







 文字通り、飛ぶように走ってバゼット達と根城にしていたホテルに辿り着くと、ダンテは部屋に直行した。
 もちろん、左腕を切り落とされ、背中からばっさり斬られた女を抱えたままロビーを渡り歩くなど出来るはずがないので裏口から。深夜と言う事もあり、部屋に着くまでの廊下で誰とも遭遇しなかったのはちょっとした幸運だった。
 そして今、部屋に戻ったダンテはベッドに寝かせたバゼットの容態を見て苦虫を噛み潰したような表情のまま立ち尽くしていた。
 予想以上に酷い。荒かった呼吸は峠を越え、もはやいつ止まってもおかしくないほど弱くなっている。ルーンの魔力は切れかけ、再び出血が始まった。
 ダンテには応急処置の知識程度しかない。彼自身も信じられないほどの大怪我をした事が多々あるが、全て彼の異常な回復力によって完治してしまうものだから、医療処置に関しては疎かった。今、彼がバゼットに出来るのはせいぜい止血するくらいのものだ。
 とにかくホテルに戻れば何か手があると思っていた。だが、部屋を探し、バゼットの荷物も漁って見たが使えそうなものは何も見つからない。もちろん、魔術の道具のような物は見つかったが、果たしてそれは治療に使えるものなのか全く分からなかった。ダンテは魔術師ではないのだ。
 しかし、病院に連れて行くのはまずい。身分証明書云々の公的手続き以前に、怪我の理由すら説明できない。魔術を秘匿すべき常識は、ダンテも知っていた。
 こういった時に、真っ先に駆け込むはずの監督者の場所へはもちろん戻れるわけがない。未だにダンテにはあの教会で何があったのか理解できていなかったが、バゼットがこの重傷を負った原因があの場所にある事くらいは容易に想像できた。
 ダンテは苛立ったように舌打ちし、ガリガリと頭を掻いた。
 このままではバゼットが死ぬ。
 もちろんそれを黙って見過ごすつもりなど毛頭ない。いざとなれば病院に駆け込むつもりもあった。
 しかし、ダンテにはわかっていた。それよりも、もっと良い方法が残されていると言う事を。
 並べられた二つのベッドのもう片方に視線を移す。
 そこにはキャスターが寝かされていた。
 返り血で赤く染まったローブを着たまま、こちらも衰弱した様子で眠っている。フードを取った為に伺うことの出来る顔は驚く程美しく整っていたが、白い肌には全く生気が感じられなかった。
 サーヴァントはマスターの魔力によって体を維持している。そのマスターとの契約を断った彼女の末路がどうなるかは容易に想像できた。
 このままでは彼女も消滅する。彼女は先ほどまで敵だったが、それはもう関係ない。美女を見殺しにすることはダンテのスタイルではなかった。
 この二人を救う方法はある。問題は相手の了承を得られるかどうかだ。
「……やっぱり、これしかねえか」
 ダンテは諦めたようなため息を吐くと、眠るキャスターを起こすべく手を伸ばした。




 犯した原初の罪は<裏切り>

 押された烙印は<魔女>

 罪人の名は<メディア>

 彼女は赤い夢を見る。
 神という選定者によって選ばれた英雄を助ける為だけに、まだ幼かった王女は心を壊された。美の女神とやらは、自らが気に入った英雄の為だけに、知りもしない男を愛するように呪いをかけ。
 そして少女は、その大いなる神の御心のままに父を裏切り、自らの国さえ裏切らされた。
 男の為に王である父を裏切った少女。
 祖国から逃げる為に弟を八つ裂きにし、無惨にも海に捨てた魔女。
 そして、彼女は捨てられた。
 死には死を。裏切りには裏切りを。
 今でも思い出すたびに笑ってしまう。なんて滑稽な人生。なんて無様な人形劇。その裏切りが罪だと言うのなら、彼女の人生を支配した神がしたり顔で裁く権利など何処にある。
 魔女はその不遇の生涯を終えた。押された烙印は消せぬまま。
 そして、魔女は聖杯を求めて再び現世に舞い降りる。
 求める願いは<第二の生> 偽りと裏切りに染められた人生ではない、もう一度自分だけが舵を取る人生を。その中で得る幸福も不幸も全て、ただ自分が自らの意思で得たものが欲しい。
 それが、この聖杯戦争に参加したキャスター・メディアの起源だった。







「……きろ。おい、起きろ」
「……っ」
 そのまま沈んでいくだけの夢の中から引き上げられ、キャスターは瞼を持ち上げた。魔力の尽き掛けた体では、ただそれだけでも大変な作業だった。
 視界は霞が掛かったかのようにぼやけて、自分が何処にいるのかも把握できない。
 だが、目の前に飛び込んできた銀色の髪と、見覚えのある鋭い鷹のような瞳だけは鮮烈に刻む事が出来た。あの得体の知れない真紅の男だった。
 彼はキャスターが眼を覚ますと、満足そうに微笑んだ。
「起きたな。くたばったかと思ったぜ」
 何故。
 そう尋ねようとしたが、もう言葉を発する力すらなく、ただ口をパクパクと動かすだけだった。男はそれを見ると、無言で彼女の前に手をかざし、取り出したナイフで自らの指を切りつけた。
「口を開けろ。意味はわかるな?」
 魔力はそれを持つ者の体液を媒体にする事で物理的に供給する事が出来る。キャスターはそれを理解していたので、答える代わりにわずかに口を開いた。男の血がそこに垂らされる。
 3、4滴の、ごくわずかな量だった。
 しかし、それを飲み干した途端、キャスターの体が大きく痙攣した。
「―――っ!!?」
 力など欠片も残っていないはずの体が強張り、全身の筋肉が引き攣る。血を飲んだ食道から胃にかけて、酷く冷たい熱が通り抜ける。高純度のアルコールを流し込まれ、内臓が全部焼け爛れるような感覚だった。
「気付け薬程度にはなったかい?」
 一気に意識が覚醒し、鮮明になる視界の中で男は戦いの時にいつも浮かべていたような、不敵な笑みをしていた。驚くキャスターの様子を見て、どこか愉快そうな表情だった。嫌な男。今だ熱を持つ体でキャスターは呟く。
 その男の血はとても冷たく、同時に熱く、酷く苦く……そして凄まじい魔力に満ちていた。
 急にクリアになった思考で、キャスターは自分の状態を確かめた。わずか数滴の血液は、その量からすれば信じられない程彼女の肉体を回復させた。もちろん魔術を行使するには全く足りないが、すでに消滅しかかっていた彼女の肉体を世界に繋ぎ直すだけの魔力は供給された。
 しかも驚くべき事に、酷く希薄ではあるが、男と自分を繋ぐ細いラインが形成されている事が感じ取れる。令呪を介した契約も成さずに、希薄とは言え彼の血はサーヴァントとの繋がりを作り出したのだ。
「細かい話は後だ。俺の質問にYESかNOで答えろ」
 信じられないと言った表情で見つめるキャスターに、彼は笑みを浮かべたまま一方的に告げる。
「死にかけてる仲間がいる。アンタも知ってる、ランサーのマスターだ。彼女を助ける為にアンタの魔術の力が要る」
 キャスターは、その言葉を一語一句逃さずに聞いていた。
 これは、チャンスかもしれない。
「だからな、ギブ・アンド・テイク。俺の命をやる、だからアンタの命をくれ」
 酷く極端な言葉だった。しかし、その言葉を聞いた途端、キャスターの体を熱いものが満たした。
 それは限りない等価。
 最高の等価を以って交換を行う。一方的な主従ではない、自ら同じ立場に立って交渉を行おうと言う意思の表示だった。
 男は笑っていた。その表情に、キャスターは恐怖と歓喜を同時に感じ取っていた。
「俺と、契約するか?」
 それは彼女にとってまさに、悪魔の誘いに等しかった。
「わた……しに、もう一度……チャンスをくれるなら……」
 震える声で言葉を紡ぐ。彼女は気づいていない。自分が今、笑っている事に。
「…………悪魔とだって、契約するわ」
 はっきりと紡いだその言葉に、悪魔のような男は満足そうに笑みを浮かべる。









 そして、<魔女>は<悪魔>と契約した―――。









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