ACT4「神様のいない家」



「俺は反対だ」
「そうだな、やめとけ」
 バゼットから電話の内容を聞くと同時に、ランサーとダンテは口を揃えてそう言った。
 聖杯戦争の監督者、言峰からの電話は簡潔に言えば個人的な呼び出しだった。彼のいる教会まで来て欲しい、と。
 私的な用件である以外、その内容は伝えられていない。何か怪しい意図を含んだ言い回しさえない。
 それでも、二人はその話を聞くなり顔をしかめた。
「なぜだ?」
 開口一番に断言されて、いささかむっとした表情のバゼットが尋ねる。
「勘だ」
 ランサーが実にわかりやすく端的に述べる。
「俺も似たようなモンだ。
 それにな、監督者ってのは公平でなきゃ勤まらないはずだ。それが私的な用件で呼び出しって辺りが臭い」
 ダンテも言い切った。
 二人とも野生的な勘というモノにおいては理屈ぬきに信頼が置けるほど鋭い。根拠のない言葉は、しかし奇妙な説得力を持っていた。
 こと戦闘において自分よりも長けた二人が口を揃えて『行くな』と言う。普段のバゼットならばおとなしくその忠告を聞き入れていただろう。
 しかしバゼットは最初から答えは決まっていたかのように、静かに首を横に振った。
「バゼット」
「私の友人である言峰綺礼は、とても変わった男だ」
 詰め寄るランサーを手で制し、穏やかな表情で語る。
「魔術師の基本は等価交換だ。何かを与えられたら、何かを返さなければならない。
 しかし、コトミネは戦場で何度も私を助けながら、見返りを何も求めようとはしなかった。彼がそれだけ善人だったというわけではない。その程度の事に頓着する必要がなかっただけだ。
 私はそれが酷く悔しかった。まるで自分が眼中にないと思われているようでね。今の今まで、私は彼に借りたカリを何一つ返せていないんだ……」
 バゼットは、そう言って穏やかな微笑んだ。
「だから、私の力を彼が借りたいと言うのなら、私は喜んで借そうと思う。それは私の為でもあるし、彼を大切な友人だと素直に認める為でもあるんだ」
 言い切ったバゼットの表情は穏やかで、そして決意に満ちていた。
 ランサーはガリガリと頭を掻く。きな臭いのは変わらない。自分の無意識な部分が、その言峰という男の存在に酷く不快な感情を感じている。
 だがそれでも、彼女がそこまで言い切ってしまうのなら、彼に止める術はなかった。
 そしてそれは、横で聞いていたダンテも同じだった。
「しょうがねぇな……好きにしろよ」
「その代わり、もちろん俺もついて行くからな」
 ため息を吐くダンテ。ランサーがサーヴァントとして同行を申し出る。
「もちろんだ。聖杯戦争はまだ始まっていないが、他のサーヴァントはいるんだからな」
「俺もついて行くか?」
 やはり嫌な感じは抜けず、ダンテもバゼットに同行を持ち掛けた。しかし、その過保護な様子にバゼットは不機嫌そうに顔を顰める。
「……私は子供か? はじめてのお使いではないんだぞ」
「あー、いや。そう言うんじゃなくてだな……」
 瞳に心配そうな色は消えず、何とか同行させようと焦ったように口ごもる様子がまたバゼットを不機嫌にさせる。
「ダンテは部屋で待機だ。明日に備えて英気を養っておけ」
「お、おい……っ」
 断言すると、バゼットはもう取り合わずに代わりのコートを掴んで部屋を出て行ってしまった。
 頭を掻いて困ったように立ちすくむダンテの肩をポンッと叩いて、ランサーは苦笑する。
「まっ、大人しくお留守番してろよ。バゼットの事は俺に任せとけ」
「……ちっ、しょうがねえ。頼んだぜ、そのコトミネって男とバゼットがよろしくしてても変な気起すなよ」
 ダンテのいつもの軽口に軽く手を振って応えると、ランサーは霊体化してバゼットの後を追っていった。
 一人、部屋に残されたダンテは諦めたようにため息をつくと、テーブルに残った酒を処理し始めた。






 教会までの道を歩きながら、バゼットはぼんやりと月を眺めていた。
 まだ夜明けまで数時間ある。夜は長い。冷えた空気が頬に当たり、わずかな眠気を拭っていく。
「……ランサー」
『なんだ?』
 傍らにいるはずの従者に声を掛けると、姿はなく、ただ声だけが憮然と帰って来た。
「コトミネの事だが、お前の勘は当たりだよ。奴はおせじにも出来た人間じゃない。むしろ、心が一部欠落しているだろう」
『あん?』
 思いもよらぬバゼットの言葉に、ランサーは見えない顔を訝しげにしかめる。
「奴は神父だ。だが神に仕える身でありながら、奴には幸福とは何なのか分からないと言う」
 足音と、独白は淡々と続く。
「そんな事を以前奴は話した。それが、私に身の内を晒した最初で最後の事だ」
『……』
「コトミネは強かった。そしてそれ以上に頑なだった。奴の中には誰も入っていけない……私はそれが悲しく、悔しかった」
『……オマエは、ソイツを救おうとしてるのか?』
 ランサーの問いに、バゼットは答えない。沈黙が流れ、ただ足音だけが響く。
 そして、それも止まった。
「……わからない。だが、私が奴に会いに行く理由はそれだけだ」
 そう言って、微笑むバゼットは月明かりに照らされ酷く美しく、後ろにそびえ立つ教会がまるで絵画の背景のようだった。
 神の降りる家―――。
「では、行ってくる」
「……やっぱり中までついて行った方がいいんじゃねえか?」
 実体化したランサーが神妙な顔で尋ねる。
 バゼットの独白を聞いた以上、これが度を過ぎた配慮だとは自覚しているが、バゼットの背に立つ建物はお世辞にも神聖な空気を纏っているとは言えなかった。
 もちろん、思い込みもあるだろう。しかし、ランサーにはどうしても粘つくような嫌な感覚を拭えなかった。
「ダンテといい、一体どうしたんだ? 私は子供じゃないぞ」
 バゼットが呆れたように肩を竦める。
「用件を聞いたらすぐに戻ってくる。君はここで待機していてくれ、他のサーヴァントとの遭遇もありうる場所だ」
「ああ、わかったよ。行ってきな、マスター」
「行ってくる」
 小さく笑って、バゼットはランサーに背を向けて歩き出した。
 闇に佇む教会から洩れる光はなく、その闇がまるでバゼットを飲み込んでしまいそうに見えた。
 教会の扉に消えていくバゼットの背を見送り、ランサーは一人気を張り巡らせる。
 嫌な感覚はまだ消えない。






 夜は基本的にダンテの時間だ。特に月の出ている夜は、魔術全般の常識において魔力の増幅する時間とも言われている。
 部屋の中、カーテンを閉め切っていてもダンテには外の様子が分かる。月の光。濡れたアスファルトと狭い路地にわだかまる闇のコントラスト。その月の魔力に満ちた空気を呼吸するだけで、流れる血はその勢いを増し、銀の髪は一本一本の先にまで精気が注ぎ込まれ、感覚は異常に研ぎ澄まされてハイな気分になる。
 夜はダンテの本当の力を呼び起こしてくれる。
 そしてそんな時間の予感に限って、よく当たる。それも大抵は負(マイナス)の方向に。
 カチッカチッという時計の秒針の音だけが響く部屋の中で、ダンテはソファに持たれかかり、ただじっと天井を眺めていた。
 さっきから思考が行ったり来たりを繰り返してる。
 今夜、戦争の前哨戦があった。サーヴァント。強大な存在。あの戦闘の高揚は今だ冷めず、眠ることなど出来ない。だが、眼を覚ましているとどうしても頭の奥が疼く。
 根拠などない。何の理由もない、予感。焦燥感。
 やるべき事があるのに行動しない、そんな焦りを感じる。
 ダンテはもう何度目かの舌打ちをした。そしてまた何度目かの視線を部屋のドアに投げかける。
 バゼット達はもうそろそろ教会に着いた頃だろうか。彼女は着いて来るなと言ったが、さっきから確信を持てるほどに嫌な予感は続いている。
 何かよくない事が起こりそうな気がする。
 だが、もちろん確信などない。動く理由もない。
 ダンテは苛立っていた。何故こんなにも不自由なのか。思考さえ。
 そしてまた振り出しに戻る。
 埒が明かない。
「こういう時はアレだな」
 呟いて、ダンテはコートのポケットから25セント硬貨を取り出した。ポケットの奥に入ったまま日本に渡った小銭だ。
 ダンテはその一枚を指に乗せると、ピンッと軽い音を立てて真上に弾いた。
「表」
 空中で回転するコインを眺めて呟く。
 広げた手のひらにコインが落ちる。ダンテはそれを覗き込んだ。
 裏だ。
「……」
『表ならバゼットたちを追う』
 そう考えていたダンテは見事に出鼻を挫かれる。その瞬間、ダンテの中で何かが吹っ切れた。
 座った目つきで轟然と立ち上がると、素早く剣を引っ掴み、腰にガンホルダーを巻きつける。もう迷いなど一片たりともなかった。
 ホテルのベランダの窓を開け放つ。静寂の月夜が広がる。階下には静まり返った街。
 教会は同じ新都にある、距離的にはそう遠くない。ダンテは<最短距離>を進むことにした。
 夜空に浮かぶ月がダンテの体を魔力で満たす。
 ダンテは真紅のコートを翻してベランダから宙へと跳んだ。
 その顔には、ようやくいつもの不敵な笑みが浮かんでいた。






 異変は唐突だった。
 ランサーに送られる魔力の供給が、途端に激減した。供給者の生命力が極端に減少したのだ。
 ランサーの中で思考が弾け飛んだ。
 バゼットのいる教会に向けて走り出す。それは正に弾丸。爆発的な一歩からトップギアに上がった速度で教会の扉を叩き破る。
「バゼット……ッ!!」
 祭壇の前に立つ一人の男を見る。
 神に仕える神父の格好をしたその男は、服を返り血で赤く染め、右手に剣を持ち、左手には切り落とした腕を持っていた。
 そして、その足元に倒れた愛しい女。黒いコートは斜めに赤い線を描き、そこから絶え間なく赤い生命を零していく。その左腕がない。
 ランサーの中で思考に続いて、最後の理性が弾け飛ぶ。
 ブチ切れた。
 視界が真っ赤になって暗闇を更に赤で塗り潰す。見えるのは殺すべき標的只一人。
 ランサーは獣のように吼えた。その身は手に持つ真紅の槍と一体化し、ただ一条の閃光となって神父の心臓目掛けて突き進む。
 だが。
「令呪に告げる」
 それは無慈悲に。
「主替えに賛同せよ」
 堕とされた。



 バゼットの切り落とされた左腕に刻まれた令呪が輝き、ランサーの憎悪に満ちた体に抑制を掛ける。心を砕くほど荒れ狂う殺意に反して、その体は磔にされかのように動かなくなってしまった。
「ぎ……っ! ぎざま゛ぁああ゛あ゛ああ゛っっ!!」
 真紅の槍の矛先は、射抜くべき心臓のわずか数センチ手前で止まっていた。だが、その数センチが絶対的に進まない。ランサーは狂える憎悪と渾身の力をその先に込めたが、結果は変わらなかった。
「ふむ、危うかったな。お前の速さを侮っていたようだ」
 神父は……言峰綺礼は目前に迫る狂犬を見つめて淡々と呟く。
 その平坦な声が気に入らない。
 バゼットの背を斬りつけ、左腕を無慈悲に斬り落とし、倒れる彼女を視界に入れて何の感情も含まないその声が酷く気に入らない。
「殺して……やる……っ!!!」
 狂気にも似た怒りが体を支配し、その衝動のままに槍に意識を集中させる。
 宝具の解放。
 令呪がある以上、どう考えても不発に終わり、下手をすれば自らの破滅さえあり得る決断を下す。
 もはや何も考えない。ただ目の前の男を串刺しにする事しか考えない。考えなくて構わない。
「よせ、ランサー……ッ!!」
「っ!!?」
 しかし、その狂気の選択は聞きなれた心地よい声に静められた。
「バゼットッ!?」
「ほう」
 ランサーが驚愕と歓喜の混じった声を上げ、言峰が感嘆を漏らす。
 バゼットは立ち上がっていた。
 深く斬られた背中の傷から、肘から先のない左腕の傷口から、大量の血を流しながらもバゼットは立ち上がっていた。
 失血し、霞む目で言峰を睨みつける。
「バゼット、待ってろ! 今治療を……っ!」
「動くなランサー。従いたまえ」
「……ぎっ!!」
 駆け寄ろうとするランサーに冷徹な声が響く。
 『ふざけるな』と言ってやりたい。しかしそれは無理だ。
 冷静になった思考が理解してしまう。すでに令呪は奴に移った。奴が『バゼットを殺せ』と命じるだけで彼の体は意思に反してバゼットを殺すだろう。
 拮抗する状況。
 いや、拮抗などしていない。
 瀕死のバゼットに対して、相手は彼女と互角以上の実力を持つ言峰。そして理解などしたくないが、もはや彼の配下となってしまったランサー。
 状況は絶望的なほど一方通行だった。
「コトミネ、貴様……ッ!」
 何故、などと問わない。これが奴の答えだ。
 そしてバゼットは間違えた代償を払った。それはあまりに大きすぎたが。
「ランサー、バゼットを殺せ」
「てめえっ!!」
 既に足元さえ定まっていないバゼットを見つめて、言峰は更に無慈悲な命令をランサーに下す。吼えるランサーを一瞥すると、言峰は自らの左腕に移した令呪を掲げた。
「令呪を使って欲しいかね?」
「ク……ッ!」
 ランサーは歯を砕かんばかりに噛み締めた。
 冷たい視線と憎悪に燃える視線がぶつかり合う。
 沈黙は一瞬。
「……っ!」
 それを破ったのは、黙って状況を見ていたバゼットだった。
 血と一緒に力の抜けていく脚に残された魔力、生命力を全て込めて真横に跳ぶ。ステンドグラスを突き破って、バゼットは教会の外へと飛び出した。 体を丸めて、教会に続く広い石畳の上を転がる。背中の傷口を打ち付けて、狂わんばかりの激痛が走り抜けたが、もはやバゼットにはその痛みを十分に味わう余力さえ残っていなかった。あれが本当に最後の力だったのだ。
 しかし、それでも。
「死んで……たまるかっ」
 地面を赤く染めて、バゼットは立つ。
 ふら付く足に『ただ前へ』と命令する。
 数歩進んで、倒れ。それでも諦めずに、無様に這う。
 ただ一つ。絶対に諦めない事が、彼女の今出来る唯一の抵抗だった。



「バゼット……」
 ランサーが割れた窓から降り立った。手には真紅の魔槍。
 主従の関係になったとは言え、その命令一つ一つに強制力が働くわけではない。例えばここで、『バゼットを殺せ』という命令に背くことも出来るだろう。
 しかし、そうなればあの冷血な神父は躊躇わず令呪で命じる。いや、そんな事をせずに淡々と自らの手でバゼットの命を奪うかもしれない。
 それだけは。
 それだけは、この最悪な結果の中でも尚許し難い状況だった。
 令呪で命令され、あの男の意のままにかつての主を手に掛けるなど許せない。あの男が直接手を下すのはもっと許せない。
 もはや今、ランサーに出来る事は、彼女を自らの意思で介錯する事だけだった。
(バゼット……)
 静かに距離を詰めながら、ランサーはなおも前に進もうとする彼女の背に語りかける。
(お前さんの犯したミスは、あの男を救おうとした事だ)
 朦朧とする意識で這い続けたバゼットは、しかしついに力尽き、気絶した。
 ランサーはうつ伏せに横たわるバゼットを見下ろす。
(世の中にはいるんだよ。救いようがないクソ野郎ってのが)
 そして静かに、ランサーは槍を掲げた。
 己の怨敵であるあの男を狙ったこの槍の矛先が、今は元マスターの心臓を狙っている。
(……俺も相当救いようがねえがな)
「じゃあな。すまねえ、バゼット」
 ランサーは詫びた。
 主を自らの手にかける。その裏切りを謝罪で許されようなんて思わない。今この場で、自分の命をもって償おうなどと愚かなことも考えない。
 償いは誓いで成す。『必ず言峰綺礼を殺す』と。
 そして、ランサーは槍をバゼットの心臓目掛けて振り下ろし―――。








「何、トチ狂ってやがる。ボケたか、このクソ野郎」
「……へっ、遅えんだよ。馬鹿野郎」
 寸前で止まる矛先。ランサーは笑みを浮かべ、待ち望んだ存在を視線の先に捉える。
 月明かりの下。真紅のコートを炎のように揺らしながら、銃を構えた銀髪の悪魔が佇んでいた―――。









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