ACT27「眠れぬ夜に唄う歌」



 深夜零時。
 丁度、日付の変わる瞬間だった。命を賭すほどに慌しい一日もこれで昨日の出来事になる。
 今夜は静かだ。士郎は窓の外の星明りを眺めて、他愛もない平和に苦笑した。ここしばらく、夜中は大概馬鹿でかいトラブルに巻き込まれている。
 多くの生物が眠りに就く夜が静かなのは当然の事だ。それに違和感を覚えてしまうのは、この聖杯戦争が士朗の心に残した数多くのトラウマの内で最もささやかなモノの一つなのかもしれない。
 静まり返った部屋の中に聞こえるのは二つの呼吸音だけだ。士郎のものと、その目の前で横たわる少女の浅い寝息だった。
 士郎は少女が確かに息をしている事を僅かに上下する掛け布団の動きで確かめて、もう何度目かの安堵を感じた。眼を包帯で覆ったイリヤは穏やかな眠りに落ちている。熱もひき、容態も安定している筈なのに、この部屋の静寂が無意識に不安湧き上がらせる。
 士郎はもう何時間もここに居座り、イリヤの様子を見守っていた。そこに意味があるかどうかはともかくとして。
「シロウ君、ちょっといいかい?」
 不意に聞き慣れない女性の声で名前を呼ばれ、士郎はそれまで落としていた視線を持ち上げて、入り口の襖の方を振り返った。
 つい先日知り合った異国の麗人がそこに立っていた。
「バゼットさん、何ですか?」
「……最初に言ったように、別に敬語で話す必要はないんだけれどね。私はそれほど歳がいっているワケではないし、第一君はダンテにはタメ口じゃないか。あの調子でいいんだよ?」
「あー、いや。なんていうか、これはもう雰囲気というしかないです……」
 口篭る士郎を見て、バゼットは「変なヤツだな、君は」と小さく笑った。その笑顔は彼女自身が言うように、美麗な外見に残った幼さを感じさせるものだった。見た目だけなら、士郎達とそう歳の差は感じない。
 士郎が彼女を目上に感じてしまうのは、その立ち振る舞いや言い回しに他ならない。バゼット自身の自然体が、大人の雰囲気を振り撒いているのだ。何より、彼女は士郎の知る唯一の魔術師である遠坂凛とは違い、冷徹で冷静な<魔術師>としての顔を地で持っていた。
 実際、バゼットの口調一つでももう少し違っていたら同じ目線で話せたかもしれない。士郎の敬語は、二人の間にある距離の長さを示していた。
「それで、何か用ですか?」
「煙草を吸いたいんだが、灰皿が無くてね。この家には置いてないかい? 確か家主の衛宮切嗣はヘビースモーカーだったと聞いたんだが」
 既に一本吸殻を窓から道端へ捨ててしまった事などおくびにも出さずに、バゼットは尋ねた。
「ああ、ありますよ」
 『衛宮切嗣』の名前が出た時、士郎は咄嗟に何かを尋ねたい気持ちになったが、すぐにその『何か』が何であるか自分でも分かりきれていない事を理解すると、表情には出さずに自然体で立ち上がった。
「―――イリヤスフィールの傍にいてあげなくていいのかい?」
 バゼットは確かめるように尋ねた。
「……俺が傍にいても、仕方がないです」
 士郎は、ようやく自分の中で割り切るように答えた。
 傷ついたイリヤの傍に付き添っていたいという気持ちはあるが、この場に自分が居てもあまり意味がない事も承知している。傷の治療云々については凛やバゼットに可能な限り力を尽くして診て貰った後なのだし、今休息が必要なのはイリヤだけではない、士郎自身もだ。
 ただ気を揉んでいるだけなら、明日に備えて―――いや、いつあるかも分からない事態に備えて体の一つも休めておくべきだろう。まだ自分達は戦いの中にいるのだから。
 最後にイリヤの安らかな寝顔を確認すると、士郎は静かに戸を閉めた。
「―――ライダーに、時折様子を見るように言っておこう」
 連れ立って歩く背中にバゼットの気遣いが掛かる。
 イリヤのすぐ隣の部屋では桜が未だ深い眠りに就いたまま横になっている。ライダーはこの家にいる間、ほとんどの時間を彼女の傍に付き添って過ごしていた。過保護かもしれないが、桜の立場を考えれば護衛は終始必要だった。そして、それは今やイリヤも同じ事だ。
 士郎は素直な感謝の気持ちを感じて、バゼットに礼を言った。すると苦笑が返って来る。
「君とダンテは似ているが、そういう所が違うんだな……」
「え、俺とダンテが?」
 気がついたら何処へともなくフラリと姿を消していた男を思い浮かべて、士郎は訝しげに眉を寄せた。
「割り切り方が違うだけで、あの少女に甘いのは同じだ」
 そう言い切られれば、そうなのかと思わず納得しそうになる。確かに、枕元で不安げな表情を浮かべながら付き添うダンテの姿など想像出来なかったが、自由奔放な彼がやるべき事もないのにイリヤの治療の時は傍で見守っていた。
 悪い男ではない。それは分かる。
 あんな風に自信を持って、肩で風を切りながら生きる生き方に正直憧れる。
 ―――とは言え、『似ている』と言われればちょっと賛同しかねるが。良い意味でも、悪い意味でも。自分はあそこまで破天荒じゃない。
 誰もいない居間の電気を点けると、士郎は手馴れた様子で戸棚を調べた。士郎を引き取ってから、切嗣は煙草を吸わなくなったが、灰皿は捨てずに仕舞ってある。遺品なのだ。物に執着しない彼の所縁の品は、これと後はいつも着ていたコートなど数点の服程度しかない。
「ありがとう」
 安いステンレス製の、所々黒ずんだ年季のある灰皿を渡すと、バゼットは軽く礼を言って踵を返した。
「―――<衛宮切嗣>って、どういう人間だったんですか?」
 その背中に、自然と問い掛けていた。
 謎の魔法使いで、父親代わりで、そして自分を助けてくれた<正義の味方>である男の事を尋ねるのに、その質問が一番適切かどうか分からなかったが、言葉は勝手に口から出ていた。
 バゼットは振り返り、しばらくどう言うべきか思案した後、おもむろに口を開いた。
「魔術師を殺す魔術師―――。
 私のような戦闘型の魔術師にとって、ある意味『神のような男』だった。それは同時に『悪魔のような男』と評するのと同じだ。
 衛宮切嗣は<目的>の為に最良の手段を最速で模索し最大の結果に繋げる、理想的な戦闘者だった。彼は理性ある殺し屋だった。一種の<聖人>と言っても良い―――私は直接会った事はないが、魔術師の間ではそういう血生臭い噂の絶えない男だ」
 バゼットは淀みなく一気に言い切り、そして士郎もその話を一語一句漏らす事無く聞き入れていた。彼の記憶にある切嗣の穏やかな物腰に、バゼットの話す切嗣の人物像は欠片も重ならなかったが、何故か否定しようという気は起きなかった。自分の知らない<衛宮切嗣>の姿をすんなりと認めた、穏やかな理解すら得ていた。
「彼の冷静で冷酷なやり口は、尊敬は出来ないが模範にはすべきものだ。私のような人間にとって―――」
「……そうですか」
「納得出来ないかい?」
「いえ……ただ、俺はこれまで色んな事を知っているつもりだったんだなって」
 士郎は本心を呟いた。呆然としているワケではなかったが、呟いたのは無意識だった。
 あるいは気付かないだけで、切嗣の一面にショックを受けていたのかもしれない。
 ただ、納得は確かにあった。どんな人間にも陰の部分、見えない部分は存在するものだ。
「……私は、素直に驚くよ。衛宮切嗣が君のような<息子>を育てていた事実は、私のこれまでの認識を変え得るものだ。
 君の知らない衛宮切嗣、私の知らない衛宮切嗣。他人を完全に知る事は出来ない、とよく言うがまさにその通りだな」
 そう言って、バゼットはくっくっくっと低く苦笑した。慰めなのか、皮肉なのか、言葉を掛けられた士郎自身には判断がつきかねたが、真意を問い正す前にバゼットは今度こそ本当に居間を後にした。
「外にいる」
 短く告げ、足音が遠ざかっていく。
 一人残された士郎は、手持ち無沙汰に居間を見回し、特に用事がない事を悟ると電気を消して台所に向かった。
 戦闘で大破した筈の―――早朝にアーチャーが修復したらしい―――縁側からは月明かりが家の中に降り注ぎ、電灯が無くてもぼんやりと蒼白く室内が見える。
 周囲の家々にも灯る明かりは少ない。深夜なのだから当然だ。衛宮邸に灯る明かりは離れの、凛の部屋がある場所だけだった。
 士郎は小さな水音を聞いていた。本当に小さな音だったが、夜の静寂の中ではそれすらも鮮烈に響く。
 引き寄せられるように台所へ辿り着くと、電気を点けた。
 水道の蛇口から定期的なリズムで滴が落ちている。閉め忘れと言うほど緩んでいるワケではないが、まるで義務感のようなものを抱いて、士郎はそれを閉め直した。
 静かになる。やる事も無くなった。
 ここに至って、士郎はようやく自分が何か行動するべき理由を探している事に気がついた。
 心の奥で何かが急いている。何かに備えるべきだと、その為に行動するべきだと、ごく僅かだが確かに湧き上がる焦燥感に士郎はようやく気付いた。
 だが、相変わらずその『何か』が何なのか一向に分からない。
 いや、そもそもこの根拠のない焦りこそ錯覚なのかもしれない。神経が参るには充分すぎる出来事が起こり過ぎた。
「……寝よう」
 緩やかに続く焦燥感を押さえ、士郎は自分に言い聞かせるように呟いた。
 ―――そして振り返った時、いつの間にか帰宅し、自分の家のキッチンを覗き込むような気楽さで周囲を見渡す、見慣れた銀髪の男の姿に気が付いた。
「……」
 士郎とダンテの視線がかち合った。
 彼は夜中に棚を漁るところを母親に見つかった子供のように愛想の良い誤魔化し笑いを浮かべると、右手に持った買い物袋からその中身を取り出して見せた。
「ヘイ、塩とレモンはないか? お前も付き合うってんなら、ついでにグラスを二人分だ」
 封も切られていない新品のテキーラの瓶を宝物のように掲げて、ダンテは得意そうに笑った。







 入り口から差し込む青白い月明かりだけが照らす薄暗い土蔵の中、凛は足元に転がるガラクタを一つ一つ拾い上げ、鑑定するように見定めていた。その傍らではセイバーが見守っている。
「……これもそうね」
 苦々しげに凛は呟く。手の中に納まったガラクタは、正真正銘何の役にも立たないガラクタに過ぎなかったが、凛はそれが信じ難い物であるかのように凝視していた。
「目を疑うような光景だな」
 不意に揶揄するような声が聞こえ、二人が振り返ると、土蔵の入り口に紫煙を口から燻らせながら佇むバゼットの姿があった。
「何の変哲もないガラクタだが、『我々』にとっては月の石より希少な代物に見える。それらは本来、『在ってはならない物』だ」
 呟く言葉に何かを察した凛が警戒の視線を向ける中、バゼットは片手に持った灰皿に吸いかけの煙草を押し付けると、おもむろに土蔵に足を踏み入れ、手近なガラクタを掴みあげた。
「―――投影魔術によって成された物質だな」
 如何なる慧眼か、彼女は断言する。
「しかも消えない。世界に存在が固着している」
「驚かないの?」
「任務柄、驚きには慣れているからね。そういう君こそ」
「何度か実際に見たわ。これはただの確認」
「なるほど」
 二人は示し合わせたように、互いの手に持ったガラクタを投げ捨てた。
 二人揃って土蔵を出る。僅かに遅れて、セイバーが凛の後に続いた。彼女は二人が中身のないガラクタに集中している間、ずっと土蔵の隅にひっそりと描かれた魔方陣を見つめていた。
 夜空の下、静寂が漂う。バゼット、凛、セイバーは互いに顔を合わせず、土蔵の入り口でただ何となく思い思いの場所に視線を固定していた。
「……貴女は正式な協会所属の魔術師だわ」
 凛が呟くように切り出した。
「全てが終わったら、士郎の事を協会に報告するの?」
「もし報告すれば、彼の行く末は良くて生きたまま瓶詰めだろうね」
 目を合わせずにバゼットは言った。決して大げさな冗談ではなく、実に現実的な見解だった。
「一応、私に報告する義務はあるわけだが……」
 言いかける途中で背筋に悪寒を感じ、襲い掛かる重い圧力の発生源を一瞥してバゼットは苦笑する。
「やめておこう。折角の心強い味方が敵になってしまいそうだからね」
 言って、凛を挟んでこちらを見据えるセイバーに対して軽く肩を竦めた。
 バゼットが自らの言葉の通りに実行する気ならば、セイバーは今この場で彼女の死神となる事を躊躇わないだろう。迷いを挟むほど、二人は互いの時間を共有していない。それを理解した上で、気を悪くした風もなく自然にバゼットはセイバーから視線を外した。
 返答を聞き、凛は気づかれないよう静かに安堵する。
「遠坂の魔術師は、随分と甘い」
 しかし、バゼットには気づかれていたらしい。ギクリとして視線を向ければ、意地悪げな微笑を浮かべたバゼットが凛を見ていた。
「―――だが、友人にはしたいタイプだ」
 思わず口篭った凛が何か反論しようと口を開きかけたのを遮って、バゼットは懐に忍ばせた左手を彼女の目の前に差し出した。
 突き出された手の中にある物を凝視する。それは封を切られた外国産の煙草が入ったケースだった。
「一本どうだい?」
 未成年者に煙草を勧めるスーツの麗人。口元にはすでに新しい煙草が一本咥えられている。
 凛は眼前にあるケースと、相手がどういう反応を返すのか興味深げなバゼットの顔を何度も見比べた。意図を図りかね、困惑に眉を顰める。困った事に、目の前の代物に対して好奇心というものが湧いていた。
「……凛」
 視界を腕に横断されているセイバーが迷惑そうに一歩退きながら、無意識に手を伸ばす凛を咎めるような視線を送る。
「…………もらうわ」
 煙草なんて百害あって一利なし。そんな模範的常識を掲げるセイバーと青少年健全育成の精神に対する、今時の若者らしいささやかな反抗心も手伝って、凛はケースから一本煙草を抜き取った。
 呆れたようなため息を吐くセイバーを横目に、初めて手にした<大人の嗜好品>に対する僅かな興奮と緊張を凛は味わっていた。自分を『優等生』と評価する学校の教師や級友達が、あるいは亡き父がこれを見たらどう思うだろうか? 凛は何故か初めて魔術書を手にした子供の頃のようにドキドキして無意識に笑みを浮かべていた。
 火遊び好きな年頃特有の感情。遠坂凛もまた、若いのである。
 凛が煙草を受け取ると、バゼットは左手のケースを懐に仕舞い、灰皿で塞がっている右手の代わりに再び左手を差し出した。
 訝しげに思う凛の目の前で、淡い光が夜の闇をささやかに照らした。バゼットの指先に小さな火種が灯ったのだ。
「魔術? 手品?」
 僅かに驚いた表情で凛が尋ねる。この程度の発火現象など魔術としてはお遊びのようなレベルだったが、詠唱も動作もないシングルアクションの過程については目を見張るものだった。
「魔術と科学の融合だ。私の左腕は特別製でね。さ、火を」
 バゼットは悪戯っぽく笑って、ウィンクした。
 タネを明かせば、キャスター特製の義手の回路を暴走(オーバードライブ)させて点火したのだ。小技と呼ぶにはあまりに危険な行為だが、バゼットは顔色一つ変えずそれを行ってみせた。逆に言えば、それほど精密な操作を行えるほど彼女は自らの<左腕>に馴染んでいた。
 バゼットに促されるまま、凛は口に煙草を咥えて恐る恐る先端を火に近づける。格好がつかないと思ったが、吸い方が分からないのでとりあえずストローのように吸う。途端、喉から肺にかけて不快な刺激が駆け抜け、凛は激しく咽た。
 同じように火をつけたバゼットが笑いを噛み殺しながら小さく肩を震わせる。
「ぐほっ、何これ……げほっ、よくこんなもの……ごほっ」
「吸い方にもコツがあってね。最初は肺に入れず、口の中に溜めてからゆっくりと吸い込むんだ。吹かすだけでもいい。それでも駄目なら、相性が合わないんだろう。素直に健康的な生活を送った方がいい」
 諭すような言葉にちょっとだけ意地になった凛は、何度か咽ながらも繰り返した。目の前に吐き出される煙にセイバーが顔を顰めるが、それを気遣う余裕もなくただ動作を反復する。
 バゼットの言うところの<相性>が良かったのか、コツはすぐに掴めた。何度目かの煙を吸い込んで、何か素晴らしいものを発見したかのような恍惚とした表情を浮かべる。
「これ、なんかいいかも……」
「癖になる、というヤツだな。実際、なかなか止められないものだ」
 苦笑しながらバゼットも煙草を吹かした。
 何となく月明かりを見上げながら、二人はリラックスした表情で緩やかに煙を吐き続ける。
「……」
 その間で、一人手持ち無沙汰なセイバーが左右から漂う煙に迷惑そうな表情を向けながら、列車でヘビースモーカーに挟まれた乗客よろしく耐えていた。
「体にも悪いし、歯も黒くなるし、こんな物吸う奴の気が知れなかったけど」
「人間、利になる事ばかりに捉われていてはつまらないさ。何より、煙草は女を美しく磨くアイテムの一つだ」
「そうなの? 他のは?」
「酒だな」
「それ、貴女の自論?」
「いや、ある女優のだ。気に入っている」
「ふーん。どんな根拠があるのか知らないけど、なんかいいわね。気に入ったわ」
「そうだろう。いい女に煙草と酒は付き物だ」
「<いい女>ね」
「<いい女>だ」
 やる気のないキャッチボールのように、どうでもいい言葉が、しかし軽快に二人の間で投げ交わされる。
 特に意味もなく、特に必要性もなく、寒空の下馬鹿みたいに突っ立っているだけの無駄な時間。だが、その緩やかな時間の浪費が、この騒然とした数日間の中で酷く心地よくて、バゼットと凛は旧知の仲のように笑い合いながら吐き出す紫煙と共に意味のない会話を弾ませていた。
「……家の中に戻ってもいいですか?」
 ぷはーっぷはーっ、と二方向から漂う煙に挟まれて、多大な疲労と諦めを含んだ声でセイバーは哀愁に満ちた呟きを洩らしたのだった。







 彼女達が女の宴を催している頃、男達も男達で華のない宴を行おうとしてた。
 士郎はテーブルの上に並んだ物と対面でニヤニヤと楽しそうな笑みを浮かべるダンテの顔を交互に見ていた。
 居間のテーブルには薄く切ったライムと塩が皿に盛られ、空のグラス二つが並んでいる。極めつけは、ダンテの手元にある外国語のラベルが貼られた酒瓶だ。銘柄も出所も分からない。
「テキーラだ。西部劇とかでよく出てくるメキシコ産の酒さ。知らねえか? 『荒野の用心棒』でクリント=イーストウッドが飲んでただろ?」
「いや、知らない……」
 異国の感性とは根本的に違うような趣味の壁を感じて、士郎はダンテの言葉に力なく首を振る。
「俺は何年も熟成させたものよりは、ほとんど熟成もさせてない安酒の方が好きなんだ。特にテキーラは人間くさい汗や埃、それに微かに失敗の匂いがする。……今の気分にピッタリさ」
 自分の言葉に苦笑しながら、ダンテは瓶の封を切り、グラスになみなみと注いでいく。一つはダンテの手元に、もう一つは当然の如く士郎の目の前に置かれた。
「……俺、酒なんて飲んだ事ない」
「そいつは良かった。過激な初体験になりそうだ」
 遠回しに断ろうとする意図を、ダンテは愉快そうな笑み一つで一蹴する。
 とりあえずグラスを手に取る。口元に近づけると、それだけで鼻腔に純度の高いアルコールの匂いが入り込み脳細胞を麻痺させた。
 慣れない匂いに顔を顰める。アルコールと接する機会など、料理用の調味酒以外ではお菓子のウィスキーボンボンくらいしかない。
 目の前の透明な液体が得体の知れないものに見えてきた士郎を面白そうに眺めながら、ダンテはすでにグラスの半分まで酒を煽っていた。まるで水か何かを飲むような気軽さだ。
「どうした、飲めよ?」
 ダンテは塩の山に人差し指を差し込み、白くなった指先を舐めながら、もう一口酒を含んだ。
「……美味いのか?」
「さあ? その感想を是非聞かせてくれ」
 苦し紛れの質問は、人の悪い笑みと意地の悪い言葉が返されるだけで取り付くしまもない。
 士郎は覚悟を決めた。
 満たされた酒をちょっとだけ舌で舐め取る。そんな情けない覚悟を決めた。
 恐る恐る口をつける。グラスの中身をほんの僅か、舌で掬い取るように飲み込んで―――口内から食道、胃にかけての内壁が焼け爛れるような熱を味わった。
「げほっ! ごほっ、うえっ!? し、舌が……っ!」
「ははははっ! 口で味わう酒じゃないぜ、火がつく代物だからな。さっさとライムを齧りな、水飲んだくらいじゃその熱は消えねえぞ」
 ゲラゲラと笑い転げるダンテを恨む暇もなく、言われるままにみずみずしいライムを噛み締めて、溢れ出た果汁に吸い付く。強い酸味が口いっぱいに広がって、顔の筋肉が引き締まった。要は物凄く酸っぱいのだ。だが、そのおかげか口の中を麻痺させるような熱が消えていく。
 ダンテもライムに手を伸ばし、その一切れを齧ってテキーラを一口飲み込んだ。冷たい熱が喉を焼きながら潤し、胃を熱くする。
 ―――皿を満たすライムの海。
 ―――月から降り注ぎ、グラスを通る半透明の光。
 ―――静寂が、この世界の音楽。
「飲まないのか?」
「飲める代物じゃない」
 答えを分かっていて尋ねるダンテに、士郎は顔を顰める。終始愉快そうな笑みを絶やさない彼を見て、もう既に酔っているのだろうと思った。
「酒は、飲めた方がいい。いろいろ助かる」
 頬には僅かな赤みさえ差していないが、気だるい重みがダンテの瞼を下げようとしていた。
「生きてくってのは、辛いからな」
「……」
「ささやかな支えが、人生には必要なのさ……」
 ダンテは一杯目のグラスを空けると、すぐに次を継ぎ足した。
 空の器に流れ込んでいく液体の動きが、ゆっくりとスローモーションに見える。
 自分も、もう酔ったのだろうか?
 士郎はぼんやりと目の前の光景を眺めていた。
「……初めてだ。誰かとこうやってお酒を飲むなんて」
 士郎の口から自然と呟きが洩れていた。ダンテもごく自然な仕草で頷く。
「俺も結局、親父とは酒を飲み交わす事が出来なかった」
「父親と息子は、酒を飲み交わすのが一般的なのか?」
「さあな。だが、キャッチボールするよりはカッコつくだろ?」
 そう言われて士郎は、魔剣士とその息子である悪魔狩人が公園でキャッチボールをする様を想像し、思わず肩を震わせ込み上げる笑いを堪えた。
「なんだ?」
「なんでもない」
「じゃあ、笑うなよ。可笑しな野郎だぜ、あの一口で酔ったのか?」
「悪い。ごめん」
 それでも奇妙なツボにはまった笑いは止まらず、士郎はあわててグラスを口元に押し付けた。先ほど喉を焼いた酒が、また少量胃に流し込まれる。だが、不思議と今度は咽なかった。相変わらず劇物のような刺激が口の中を刺すが、もう麻痺しかけているのかあまり気にならない。
 感覚と一緒に、思考が徐々に溶けていく。心地よい静寂が、二人の体から余分な力を吸い取っていくような錯覚を覚えた。
「よし、俺の話で笑ったんなら、今度はお前が話せよ。酒の肴にしてやる」
 ダンテに促され、士郎は断る事さえ思いつかずにごく自然と何を話そうか考えにふけった。
「…………イリヤの容態だけど」
「おい、酒の席でも他人の話かよ。それじゃ将来、つまらない男になるぜ」
「気にならないのか?」
 わずかな非難を含んだ声色で士郎が尋ねる。
「気になるのか? 気にしてどうする? 俺達には出来る事と出来ない事があるんだ」
 真っ直ぐに視線を見つめ返して、ダンテが諭すように語り掛けた。
 しかし、そう言いながら、彼自身も完全に割り切れているものではなかった。強い視線は傷ついた少女を想う感情と己への無力感で揺れている。
 その感覚を、ダンテは士郎よりも少しばかり多く経験している。冷たく吐き出した言葉が、自嘲にも聞こえた。
 ぎこちない沈黙が降りた。
「……傷は塞がった。でも、もうイリヤの眼は見えないだろうって」
 懺悔するように、苦渋に満ち、空虚さに溢れた独白を士郎は吐き出す。
「本当に、誰かを救いたいなら。俺は<正義の味方>じゃなくて、医者を目指すべきだったのかもしれない―――」
 ダンテは中身の半分入ったグラスを眺めながら、彼の言葉に耳を傾けていた。
「あるいは、消防士でもよかった。それとも何処かの救助隊にでも入隊すればよかったか。もっと現実的な、人を救う為の技術で、人を救う―――だけど俺は<剣>を選んだ。人を傷つける力で、人を救おうとしたんだ」
「なんだ、後悔してるのか?」
「そうかもしれない……。正義の味方を目指して、進んでいくうちに見つかるのは自分の無力さと馬鹿さ加減だけだ……」
「なるほど、いい感じに嫌な酒になってきたな」
 揶揄するような呟きと共に酒を飲み下すダンテに対しても怒りは覚えず、士郎は「悪い」と気の抜けたような返事を返す。
 ダンテは酒を注ぎ足しながら、考えた。
「―――つまりお前は俺にこう言って欲しいのか? 『その通り、お前は無力な存在だ。お前に本当に必要なものは、瀕死の傷も病も治せる奇跡の技があって、何処からともなく現れる脅威を予知能力染みた力で察知し、得体の知れない敵から可哀想な少女を守れるパワーを備えたヒーローの素質だ』ってな。
 だがな、俺はお前より数年長生きしてるだけの若造だがお前より人生は知ってる。そんな都合のいい話なんて、どこにも転がっちゃいないぜ」
 捲くし立てながら、ダンテは自分が士郎を励まそうとしているのか叱ろうとしているのか自分でもわからなくなっていた。ただ、彼は喋り続けた。
「おい、聞くぜ。俺達はスーパーマンか? 運命を左右する選ばれた勇者か? 違うね、こうやって嫌な事があったらアルコールに縋って愚痴り合うような、当たり前の人間さ。
 どんな時でも『ベストの状態』で待ち構えてられるハズがない。人間一人で何かをしようとしたら、いろんなものが足りなさ過ぎる。当たり前なんだ。出来る事はタカが知れてる。俺も、お前も、ちっぽけな存在さ」
「だけど―――」
 反論しようとする士郎をダンテは遮った。
「ああ、『だけど』さ。お互い、自分の無力さは身に染みてる。だけど、さ。諦めて、路地裏で転がってる奴らみたいにイジケながら生きていくのも我慢ならない」
 テキーラを口に含み、乾いた喉を熱で潤して自然な笑みを浮かべる。
「そういうところが、俺達はちょっとだけ似ている。……もっとも、俺の方が顔は良いけどな」
 最後の茶化すような台詞に、士郎は苦笑した。
 ああ、そうだ。俺達は似ている。割り切り方が違うだけで、俺達は誰もが夢物語で終える<正義>に今尚憧れた。
 それは自分の最も近しい人が、その理想を目指して歩み進んだ背中を知っているからだ。
 全てを失った少年と、この世に在り得ぬ血を与えられた少年の、空虚な痛みを消したのは、その背に対する鮮烈なまでの憧憬だったのだから。
 苦悩を経た。挫折を経た。喪失を経験し、絶望に満たされ、それでも俺達は歩みを止めようとはしなかった。止めようなどと考えたくなかった。
 この眼に焼きついた、憧れがある限り。いつだって、そうだ。
 これまでも。そして、これからも。
 急に目の前の、まだ出会って数日しか経っていない少年に対して旧知のような懐かしい感情を抱いたダンテは、自分の父親について久しぶりにしっかりと思い出してみた。
「俺の親父は……」
 口を開きかけ、しかしそれが酷く自分らしくない身の上話になる事に気づいて、苦笑するように首を振り、話の方向を変えた。
「そうだな、シロウ。お前は恋人を作るといい。それがベストだ」
「恋人!?」
 唐突な言葉に、士郎は素っ頓狂な声を上げてダンテの顔を凝視した。火のつく酒を煽り続けた影響が、ついに脳にまで達したのかと本気で心配になった。
「なんでさ……」
「お前に必要なのは愛さ。愛は世界を救う、間違いない。ラブ&ピースってやつだ」
「酔ってるのか?」
 士郎は真顔で尋ねた。『頭は大丈夫か?』というニュアンスを含んでいた。
 しかし、ダンテは空になったグラスの淵を軽く舐めながら「真剣さ」と笑って返した。
「女はいい。強いからな。男を救うのは、いつだって女だ」
 力強く断言する。ダンテが話すと、それが世界の真理に思えてしまうから困りものだ。
「俺達は、ちっぽけな存在だ。一人で出来る事は少ない。だからさ、男が戦う為には『助け』が必要なのさ」
「だけど、ダンテは一人で戦ってるじゃないか?」
「馬鹿言えよ。俺も例外なく女に支えられてる男の一人さ。今夜それを痛感したぜ。まったく、マジで情けない話だけどな」
 言って、ダンテは無意識に左手を握り締めた。
 ―――あの時の<彼女>の叱責が、今もはっきりと耳に残っている。
「だからな、割とマジな話さ。お前にもパートナーが要るぜ。欲張るなら、とびっきりの美女がいい。おあつらえむきに、候補には不足しないだろうしな」
「バ……ッ! 遠坂とはそんなんじゃない!!」
「へえ、本命はリンか? 確かに将来有望だし、何よりファッションセンスは最高だ」
「……っ!」
 ぐうの音も出やしない。
 士郎は一体どの辺から話がこんな奇妙な方向に捻じ曲がってしまったのか、茹で上がった頭で考えた。クラクラするのはアルコールのせいだけではあるまい。
 ただ、その熱のせいか、混乱のせいか。もう悩む事はなくなっていた。
「―――何でも一人で出来るなんて思うなよ? 一人じゃ無理だ。他人を救うどころか、自分一人が生きていく事さえ出来ない」
 静かに流れる言葉を聞く。それは驚くほど士郎の心に浸透した。
「だけど、お前の周りにはたくさんの人間がいる。ブラザーでありフレンドだ。そして、そいつらを手放すな。縋って、助けてもらうんだ……」
「……ああ、そうだな」
 士郎は何度も頷いた。大切な何かに気付いた気分だった。
 その何かを言葉で表す事は出来ないが、きっと10年前に自分が失った多くのモノの中で最もささやかで尊いものだと、彼は理解した。
「俺に出来る助言はそれだけだ。…………畜生、為になるお喋りは性に合わないぜ」
 苦々しく自身を笑って、ダンテは空になったグラスになみなみと、もう何度目かの酒を注いだ。
「―――愛と平和に乾杯。ジーザス、ハレルヤ、ロッケンロール」
 自身が考え付く限りの祝辞を口にして、ダンテは夜空を見上げながら、また一口酒を飲んだ。士郎もその視線を追って、空を見上げる。
 いい気分の夜だった。
 いつだったか、偶然見た映画で語られていた話がある。
 ―――天国では、みんなが話す。海のこと。夕陽のこと。あのバカでかい火の玉を眺めているだけで素晴らしい。海と溶け合うんだ。ろうそくの光のように一つだけが残る。心のなかに……。
 月を眺めながら想う。この闇の向こうで、そんな海の話が交わされているかもしれない世界を。
 それはきっと少し前の自分には考えもつかなかった事だろう。
 だが、今は。海の話を、いつか誰か自分の傍にいるかもしれない大切な人としてみたいと思った。それは、きっと素晴らしい事に違いない。



 ―――その時、警鐘が鳴った。



 衛宮邸に進入した敵意ある存在を知らせる結界の音を聞き、士郎は一度目を瞑った。
 不思議と確信に近い予感を持って、彼はこの音の原因である敵の正体を察知していた。そして、ダンテもそうだった。互いの感性が捉える感覚のまま、この場を訪れた者が何を望み、何を成そうとしているのか、理解していた。
 全ては、姿は見えずとも建物の壁を抜けて矢のように士郎へと向けられる敵意と意志が語っている―――。
「……行かなきゃならないみたいだ」
「らしいな」
 自分でも驚くほど落ち着き払った心で、士郎は静かに立ち上がる。脳を支配していた酩酊は跡形もなく消え失せていた。
 ダンテは腰を下ろし、空を見上げたままだった。
「―――なんとなくだが、お前と<アイツ>の関係がわかったよ。
 俺自身が今夜、自分の片割れと戦った事でようやく気付けた。やっぱり、俺とお前は似てる。こんなところまでな」
 皮肉げに苦笑しながらダンテは士郎を流し見る。
「だからな、きっとコイツは『お前だけの戦い』だ。俺は決着を付けた、次はお前の番さ。勝てよ?」
「ああ―――ありがとう」
 士郎は笑みを浮かべた。
 それは些細な感情の含みなどではない、ただはっきりとした清々しいまでの笑顔だった。そして、強い決意を宿した者が見せる顔だった。
「……結構さ、悪くないもんだな。こうやって酒を飲むのも」
 そうして、笑って背を向ける。
 自分を待ち構えているだろう、道を違えた<もう一人の自分>の元へ進んでいく。
「―――正義の味方に乾杯」
 グラスを掲げ、ダンテはその背中を見送った。









 その門を潜った時、遠い昔に聞き慣れた警鐘が響いた。
 激動の時間。己の人生の中で、あれ程までに苦しく、痛く、辛く―――そして輝かしかった日々はない。
 多くのものを失い、多くのものを手に入れた。
 他愛のないものも、尊いものも。
 確かに其処にあった筈なのに、今はもう思い出す事さえ難しい。
 彼からそれらを奪い去ったのは、強大な敵でも運命の力でもなく、時間だった。痛みを感じない刃で、ほんの僅かずつ己を擦り切っていく緩やかな絶望。
 残されたものは、理想の欠片と背負い切れない罪悪だけ。
「―――遅かったわね、アーチャー。何処で道草食ってたの? 連絡くらい寄越しなさい」
 衛宮邸に足を踏み入れたアーチャーを迎えたのは、彼のマスターである凛と、二人の会話に割り込まぬよう一歩退いた位置で佇むバゼットとセイバーだった。
 普段どおりの様子で話し掛ける凛の様子に、アーチャーはワザとらしく嘆息し、あえて自らもこれまでのスタイルを取る。
「私は子供かね? どちらかというと、私の方が小言を言いたい。その手にある物は何かね?」
「煙草よ。知らないの?」
 凛はぷはーっと煙を吐いて、何でもないように答えた。
 アーチャーは父親が娘の非行を目撃したような苦い表情を浮かべた。彼女の仕草が、なんとも違和感のない事もそれに輪を掛ける。
 ―――あと、煙草を吸う凛の背後に赤いオープンカーとかタイガーとかブルマーとか見えたような気がしたが、それは錯覚だろう。座から流れる<記録>のノイズだ。きっとそうだ。カットカットカット。どうでもよろしい。
 口を突いて出そうになる小言を、アーチャーは飲み込んだ。
 その視界に、ゆっくりと歩み寄る一人の少年の姿を捉えたからだ。
 それは彼が此処を訪れた目的だった。彼はアインツベルン城での激闘を終え、マスターの元に戻って来たのではない。
 やって来たのだ。
 この世でただ一人、己が唯一明確な殺意と許しを持って殺せる存在を求めて―――。
「……凛、悪いが話は後だ」
「……遠坂、悪いけど下がっててくれ」
 言葉が重なる。その声が似ている事に、どうして気付かなかったのだろう。
 アーチャーの視線の先。赤い髪に一房の白髪を混じらせた少年が、敵意と殺意満ちる自らの視線を真っ直ぐに見据えて佇んでいた。
 彼の変色した一房の髪が、彼の髪と同じ色である事に、どうして思い至らなかったのだろう。
「アーチャー、一つだけ答えて。最初に尋ねた質問よ」
「……何かね?」
 二人を交互に見る凛に対して、アーチャーはもはやその意識を目の前の衛宮士郎ただ一人に固定し、それがマスターである凛二対する最後の義務であるかのように応えた。



「貴方は、何処の英雄?」



 ―――同調、開始(トレース・オン)
「―――私は英雄などではない。ただの掃除屋だ」
 ―――創作の理念を鑑定し
「九を救う為に一を捨て続けてきた偽善者」
 ―――基本となる骨子を想定し
「その一の犠牲を積み重ね、切り捨てられた者達に対して償う術すら持たぬ愚か者」
 ―――構成された材質を複製し
「自分も救えぬ愚者が、遥か高みの理想を目指そうとして擦り切れた、<セイギノミカタ>を目指した男の末路だ」
 ―――製作に及ぶ技術を模倣し
「偽る事しか出来ない。模造する事しか出来ない。挙句の果てに、その理想さえ借り物」
 ―――成長に至る経験に共感し
「私が、望むものは唯一つ。それ故に、聖杯に喚ばれ、磨耗したこの身を此処へ―――」
 ―――蓄積された年月を再現する



「遠坂凛のサーヴァント・アーチャー。真名は<エミヤ>だ」



 その赤い弓兵の告白に、その場の誰も驚かなかった。
 アインツベルン城の戦いの場にいた、誰もが察していた事だった。分かって、肯定する事を恐れていた事だった。
 英霊がこの世の時間軸から外れた存在ならば、その存在が過去のものであるか未来のものであるか決める基準など全て曖昧だ。100年前の英霊とて、200年前の時代に呼び出されれば未来の存在となる。これは『そういう事』
 衛宮士郎の目の前に佇む男は、エミヤシロウの未来の姿なのだ。
 アーチャーの両手には、見慣れた黒と白の湾刀が握られていた。
 投影魔術。明確な工程を踏んだ様子を見れば、もはや凛にははっきりと理解出来た。代価無しに物質を生み出す、そんな異常な魔術を扱う人間がこの世に二人いる事こそが全ての答え。
「かつて、私もまた聖杯戦争を経験した。貴様と同じように」
 まるで嵐の中心に顔を向けているかのように錯覚する圧倒的な敵意と殺意を前に、汗を滲ませながらも耐える士郎に対して、アーチャーは剣を向ける。以前と同じように。
 アーチャーの鷹の目には、もはや義務感にも似た強烈な一つの意思しかない。
 目の前に佇む<間違った存在>をこの世から抹消する、ただ一つの明確な目的だけだ。
「その結末から、私は舞い戻ってきたのだ」
 悲壮とも言える、その決意の強さに誰もが息を呑む中、アーチャーは―――エミヤシロウは衛宮士郎を睨み付ける。














「かつて―――そして、これから。愚かだった己を殺す為に―――」













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