ACT2「闘争の時間」




 ―――その杯を手にしたものは、あらゆる願いを実現させる。

 聖杯戦争。
 最高位の聖遺物、聖杯を実現させるための大儀式。
 儀式への参加条件は二つ。
 魔術師であることと、聖杯に選ばれた寄り代であること。

 選ばれる寄り代(マスター)は七人、与えられる使い魔(サーヴァント)も七クラス。


 剣の騎士、セイバー。
 槍の騎士、ランサー。
 弓の騎士、アーチャー。
 騎乗兵、ライダー。
 魔術師、キャスター。
 暗殺者、アサシン。
 狂戦士、バーサーカー。




 聖杯は一つきり。
 奇跡を欲するのなら、汝。
 自らの力を以て、最強を証明せよ―――。






「……以上を以って聖杯戦争と成す。何か質問はあるか?」
「いいや、先生」
 バゼットはダンテに聖杯戦争に関する事項を簡単にレクチャーしていた。
 正直、聖杯の仕組みや戦争の記録について長々と語る必要などない。ダンテはこの戦争に横槍を入れる、いわば傭兵であり、その彼に必要なのは英霊や魔術との戦闘に関する情報だけだ。
 英霊の戦闘力の桁違いさは、たった今も目の前でダンテに警戒の視線を送り続けるランサーの威圧感から実感出来ることだ。それに加えて、クラス特性によるスキル、宝具、そこから割り出される真名など戦いに関するデータがダンテの頭の中を駆け巡っていた。
 短い講義を聞き終えたダンテが顎にさすりながら、チラリとランサーに視線を送る。
「―――参考までにソイツの宝具と真名を聞かせてもらっていいか?」
「ああ、かまわない」
「おいおい、マスター」
 平然と返すバゼットを、ランサーが渋顔で制する。
 真名を知られる事は自分の素性を知られる事と同じだ。過去に英雄となり、死して英霊となった者には当然死因がある。それがそのまま弱点となるのだ。神話の英雄達にはあからさまに弱味となる物がある者もいる。
 故に真名とは易々と明かしていいものではない。真名に繋がる宝具の正体もまた同じ事だ。
 ダンテの質問はランサーの手の内を明かせ、と言う事と同じである。
「問題ない。彼は私が個人的に雇った優秀なハンターだ」
 しかし、ランサーの懸念は一笑に伏された。
「『信用』できるのか?」
「『信頼』できる」
 二つの言葉の微妙な違いを含んで、バゼットは言い切った。
 その言葉にダンテが勝ち誇ったような笑みをランサーに向けた。もちろんランサーの方は全くおもしろくない。
「もちろん、ランサーも信頼している」
 文句の一つも言おうかと頭を巡らせたところで、バゼットが極上の笑みを浮かべて言った。ここまで言い切られたら文句など言えようもない。
「当たり前だ。俺はアンタのサーヴァントだぜ」
 かろうじてそう言うと、ランサーは照れた様にそっぽを向いた。振り上げた拳を下ろす前に怒りが霧散し、わずかに残る心のモヤモヤに、何とも言えない表情になる。それを見てダンテは笑いを漏らしていた。
「それで話は戻すが、ランサーの真名は<クーフーリン>だ。宝具は<ゲイボルク>」
「ケルト神話の大英雄だな。魔槍ゲイボルクは敵の心臓を必ず射抜いたっていう。ルーン魔術の使い手でもある」
「……当たりだ」
 名前を聞いただけでスラスラとその素性を述べるダンテに、ランサー自身は苦虫を噛み潰したような表情で頷いた。
「『意外と』博識だな」
「アンタは見た目どおり『獣臭い』ぜ」
「てめえは『悪魔臭い』がな」
 それぞれが言葉の一部を、悪意を持って強調し合う。殺気が滲み出て、二人は睨み合いながら額を押し付けあった。グリグリと渾身の力を込めて押し合いを始める。
「アンタの仲間を知ってるぜ、俺の店のゴミをよく漁りに来る。野良犬だろ?」
「悪魔ってのは裸になって踊り狂うような変態に崇拝されるのが好きらしいな?」
「神話みたいに内臓ぶちまけてみるか?」
「磔にしてやるよ悪魔」
 ギリギリと歯を鳴らしながら二匹の猛獣が睨み合う。
 傍で見ていたバゼットはため息をついた。妙に疲れる。
「ランサー、令呪を使うぞ。ダンテ、報酬を減らしてやろうか?」
「……」
「……」
 平坦な口調で告げられ、二人はフリーズした。マスターであり、雇い主である。互いにバゼットには頭が上がらない。
 二人は「わははははっ!」と誤魔化すように大笑いすると、それまでの空気を振り払って笑顔で握手をかわした。みしみしっ、と骨の軋む音が響いているがバゼットは気にしない。
「俺は根に持つタイプじゃない!」
「仲良くやろうぜ、兄弟!」
 二人の笑顔は引き攣っていた。
 バゼットはもう一度ため息をついた。




 意外にもダンテとランサーの相性は悪くなかった。最初はすぐに衝突しそうになっていたが、互いに直情的で性格も似ている二人だ。一度ガツンッとぶつかり合えば、後腐れなど持たない。わずか数時間で互いを認めるまでになり、バゼットの懸念も杞憂におわった。
 そして深夜。
 バゼットは窓から外の様子を眺めていた。新都に溢れていた光はほとんど消え、人通りもない。静寂の夜は魔に属する者達の時間だ。
「OK。準備は万端だ」
 自慢の銃の調子を確かめ終えると、ダンテは立て掛けてあった大剣の布を剥ぎ取った。
 現れたのは鈍い鋼の輝きを持つ刀身だった。持ち手は禍々しい装飾が施され、全体がぼんやりと青白く発光しているようにも見える。夜になった影響か、その刃には濃密な魔力が感知できた。
「魔剣か?」
「ああ、正式な名前は<アラストル>って言うらしいがな。詳しくは知らねえ」
 長剣を背に固定しながらランサーの問いに答える。ある依頼の途中で手に入れた武器だが、分かっているのは<人ならざる者>に対して絶大な威力を誇るといった程度だ。それ以上の事などダンテには知る気も必要もなかった。
 バゼットも抗魔術加工を施された黒いコートを着て、完全武装している。
「私の知人に聞いたところ、まだサーヴァントは全員揃っていない」
 実体化したランサーを含めた三人が顔を合わせると、バゼットが告げた。
「知人ってのは、協力者か?」
「いや、聖杯戦争の監督者だ。個人的な友人でもある」
 ダンテの問いにバゼットが答えるが、その言葉に何故かランサーは顔をしかめていた。
 気にせずバゼットは続ける。
「まだ戦争は始まっていない。故に今夜は偵察を行う。
 私とランサーで深山町の柳洞寺へ、ダンテは郊外にあるアインツベルン城に向かってくれ」
 バゼットが指定したポイントは、いずれも聖杯戦争において深く関わるであろう場所だった。
 柳洞寺は冬木市を駆け巡る龍脈の要石とも言うべき、霊的基点である。山全体が強力な魔力に覆われ、それを利用すれば重要な拠点となりうる。聖杯戦争に参加する魔術師ならば、まずここを狙うだろう。必然的にサーヴァントと遭遇する確率の高い場所である。
 アインツベルンは聖杯戦争の始まりに携わった魔術師の一族の事だ。当然、これまでの全ての聖杯戦争に参加している。そして、その為にわざわざ自らの城を移築してきているのだから、まず間違いなくマスターの一人がいるだろう。
「アインツベルン城には数日前にランサーと偵察に行ったが、その時は無人だった。だが、アインツベルンはまず間違いなくこの戦争に参加する。今はもうサーヴァントと共に城にいるかもしれない」
「わかった。偵察だけでいいんだな?」
「聖杯戦争の古参だ、これまでの教訓は大いに活かされている。サーヴァントも並じゃない奴を揃えたと見るべきだろう。英霊と真正面から戦うのは危険だ」
「ああ、そこまで自惚れちゃいないさ」
 バゼットの忠告を、ダンテは反論などせずに受け入れた。目の前にいい例がいるのだ。
「悪いな、こっちはデートだ」
 その代表たる英霊はにやにや笑いながら軽口を叩いている。ダンテは軽く肩を竦めた。
「それと、渡す物がある」
 そう言うと、バゼットはコートのポケットから内側に文字の刻まれた奇妙な指輪と鍵を取り出した。
「これは私の使っているバイクのキーだ。目的地までの足に使え。
 こっちの指輪の内側には言語変換効果のある術式とルーンを刻んである。日本語翻訳機みたいなものだ。身につけておけ」
「はっ、助かったぜ」
 キーをポケットに放り込むと、ダンテは残った指輪を神妙に眺めた。
「効果は確かだ。私も付けてる」
 バゼットが左手の手袋を取ると、中指に同じ指輪がはまっていた。それに倣ってダンテも手袋の下に指輪をはめようとする。
「……なぁ、左手の薬指でいいのかい?」
 ニヤリと意味深げに笑いかけると、バゼットが苦笑し、ランサーがこめかみに青筋を浮かせてあからさまに殺気を送ってきた。
 ダンテはそれを見て「やり返してやった」と、声を上げて笑った。







 郊外の森の入り口付近で、ダンテはバイクを停めた。
 夜の森は不気味の一言に尽きる。夜風に木々がまるで生き物のように揺れ、月明かりが照らし出す影はそのままダンテにとって馴染み深い悪魔となって襲い掛かってきそうだった。そうだ、夜は悪魔の時間だ。
 故にダンテの時間でもある。
「ショータイムといくか」
 目の前に広がる闇に告げて、ダンテは一歩を踏み出した。
 その瞬間、ダンテの鋭敏な嗅覚に嗅ぎ取れた違和感。
 結界だ。
 バゼット達がここを訪れた時には張られていなかったのか、それとも気づかなかったのか。結界は第三者に気づかれてはいけない、巧妙に仕掛けるものだ。アインツベルンの結界ならば一流だろう。
 だが、そのどちらにしろ、今現在この森全体を覆うほどの結界を張った者がいるという事は確かだった。ダンテの、人間ではない霊的な感覚のみが感じ取れるほど巧妙な結界を。
 一瞬だけ足を止めたものの、ダンテはかまわず歩みを進めた。鬼が出るか蛇が出るか。だが悪魔に比べれば可愛いものだ。
 予備知識もなしに踏み込めば遭難も必至の森の中を、ダンテは危なげもなく進んで行った。地図など必要ない。彼だけがわかる暗い気配。悪魔の予感が告げる血と闘争の空気を辿って行けばいい。たどり着いた先に探すべき敵がいる。
 <英霊>と言う絶対的な存在が。
 どれくらい歩いただろうか。気がつけば、ダンテは巨大な城を前に立っていた。
「ジャックポット」
 ニヤリと笑ってダンテは呟く。言葉通りの『大当たり』だ。
 まだかなり距離を置いているにも関わらず視認出来るほど巨大なアインツベルン城が不気味に佇んでいる。ここに至るまでの森も常人には十分不気味に感じるものだったが、目の前の西洋風の城はそんなお化け屋敷じみた恐怖の演出などではない、魔力を帯びた非現実さを醸し出していた。まさしく魔術師の根城だ。
 そして何より、これから進む先。おそらく城の手前に、『何か』が待っている。
 それはダンテの感覚に直接訴えかけてくる桁違いの違和感だった。これまで彼が遭遇してきた悪魔たちの中でもとびきり上等な<バケモノ>と出会う時のような、圧倒的な死の具現が目前に控えていると半ば核心していた。
「久しぶりの緊張感だぜ。コイツは予想以上だ」
 自嘲気味に呟くと、眼を閉じて精神を集中させる。ここから先は異世界だ。
 眼を開くと、その表情から軽さが消えた。
 ダンテはゆっくりと歩みを再開した。




 空気が重い。海の中を歩くような抵抗感を受けながらも歩を進めると、城を見上げるほどの位置にまでやって来た。
 ダンテは足を止める。
 城の入り口のすぐ手前に、一人の少女が佇んでいた。
 月明かりに照らされたその少女はひどく幻想的だった。
 ダンテの鋼を思わせるような銀髪とは反対に、柔らかく輝く銀色の髪。そしてルビーのような赤い瞳。ゆえにその姿は人間離れした美しさだった。
「はじめまして、侵入者さん。わたしはイリヤ。
 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンって言えばわかるでしょう?」
「初めまして、お嬢さん。俺はダンテ。今日はこの城に偵察に来た」
 スカートの裾を摘んで可愛らしくお辞儀をする少女に対して、ダンテも同じように芝居の掛かった会釈を返した。
 馬鹿正直に目的を話したのは、何か考えがあったわけではない。単なるハッタリだ。相手の空気に呑まれるのが癪だっただけなのだ。
 しかし、外見は平静を装いながらもダンテは内心でいぶかしんだ。
 目の前に立つのはまだ幼さを残す、イリヤと言う少女一人だけだ。目の前の少女からは、外見からは想像も出来ないほど強力な魔力が立ち上っているのが分かる。
 だがダンテがここに来るまで感じ、そして今もなお全身で感じ取れる強烈な威圧感をそのイリヤという少女が放っているとは考えられなかった。
 ならば答えは一つしかない。
「偵察ね。残念だけど、アナタは逃げられないわよ」
 少女が不敵に笑った。
 不敵だが、少女らしい無邪気さも含んだ笑みだった。しかし、途端にダンテの背負う魔剣アラストルが異常を察知して紫電を放ち始めた。


「バーサーカー」


 少女が囁く。
 言うが早いか、少女の傍らにソイツは突如実体化し、姿を現した。
 バーサーカー。狂戦士。聖杯戦争における<最優>のサーヴァントがセイバーならば、バーサーカーは<最強>。そんな情報を思い出し、思わず納得してしまう。
 それは<死>だった。
 巨人の姿をした死の塊だった。
 鋼鉄を思わせる灰色の肉体に、右手に持つのは剣というのもおこがましい巨大な鉄塊。そして自らの前に立つあらゆる存在を押し潰すかのような殺気と威圧感。
 それは<死>だった。あらゆる<死>を内包した存在だった。
 その巨人が動けば死ぬ。睨めば死ぬ。息をしただけで死ぬ。それ程桁違いの存在だった。
 巨人が一歩、ダンテに歩み寄った。長身のダンテをして見上げなければならない巨躯に圧倒され、合わせるようにして思わず後退ってしまう。
「……強い魔力を感じたからどんなサーヴァントかと思ったんだけど、ただの人間みたいね」
 無言の相手を恐怖に竦んだ、と考えたイリヤがつまらなそうに呟く。
 バーサーカーが目の前の標的を叩き潰すべく、さらに一歩進んだ。
「……ハッ」
 そして、ダンテは……小さく笑った。
 すでにダンテの体からは恐怖など完全に消え去っていた。
 圧倒的な恐怖を振りまく怪物を目の前にして、ニヤリといつもの笑みを浮かべる。
 攻撃的に魔力と殺気を撒き散らす目の前の巨人は人外の怪物だ。しかしダンテもまた半分は人間ではない。死を欲し、血に酔う、闇に属する<悪魔>の血が流れているのだ。
 目の前に現れた強大な敵に対し、彼の中に残っていた人間としての感情や甘さは消え失せた。
 今この戦場に立つのは、多くの悪魔を狩ってきた<戦士>ダンテだ。
 背中の魔剣がこれから始まるであろう死闘に歓喜する。ダンテの中に流れる血が滾る。
 恐怖も、ここに来た目的も吹き飛んで、残ったのは戦闘への高揚だけだった。
「なんだ、化物。筋肉以外にもちゃんと詰まってんのか?」
 軽口を叩きながら気安く近づき、バーサーカーの足をトントンと叩いて笑う。てっきり相手が怯えているものと思っていたイリヤは、その余裕の仕草に不愉快そうに叫んだ。
「言ったわね! 叩き潰しちゃえ、バーサーカー!!」
『■■■■■ーーーッ!!!』
 完全に人間をやめた者の雄たけびが夜空を引き裂いた。
 さあ、始めよう。夜は悪魔の時間だ。









 獰猛に笑うダンテに向かって、天高く持ち上がった斧剣が豪腕によって振り下ろされた―――。









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