ACT18「吼える魂」



 間桐慎二はもう人間じゃない。
 もう何度も感じ慣れた闇の気配と恐怖に、衛宮士郎は一目で確信した。
「慎二、お前……」
「アンタ、桜に何してんのよ?」
 動揺する士郎とは反対に、落ち着き払い、感情すら感じさせないほど静かな口調で凛が佇む慎二を見上げた。その表情は氷のように冷たく、反して瞳は怒りの業火で燃え上がっている。滲み出る威圧感に、傍らの士郎は思わず圧された。
 二人の様子を見て、慎二は愉快そうに笑う。その腕の中で口を塞がれた桜が逃れるように身をよじった。
「はははっ! いいなぁ、あの遠坂に見上げられるのって。すごく気分がいいよ!」
「桜を離しなさい。おとなしく従うなら見逃してあげるわ」
 言葉とは裏腹に何の慈悲も感じさせない声で凛は言い放つ。言葉を無視される形になった慎二は僅かに舌打ちしたが、すぐに自らの有利を悟ると踏ん反り返って悪魔に囲まれた士郎達を見渡した。
「あのさぁ、自分の状況理解してるかい、遠坂?」
「この悪魔はアンタが従えてるっての?」
「如何にも」
 慎二は芝居の掛かった会釈を返した。その余裕の仕草が癇に障る。
 普段の凛ならば、問答無用で手加減抜きのガンドを叩き込んでいる所だったが、表情に出さないまでも混乱はしていた。
 慎二の登場と同時に悪魔達が攻撃の意思を納めたのは確かであるし、何より魔術師の血が絶えた間桐の血族である彼の体からは今、自分すら上回るほどの魔力が迸っている。おまけにその魔力はここ数日で見慣れた、禍々しい悪魔のモノだ。
「―――お前、悪魔と<契約>したな」
「!?」
 冷たく響いた声に、全員が言葉を発したダンテに視線を集中させた。
 彼は笑っていた。
 乾いた、冷たい笑顔。悪魔が浮かべるものと変わらない、心無い笑み。
「悪魔の力を手に入れる為に自分の女房を生贄にした男が、昔いた。
 人間って奴はどうしようもないモンで、悪魔を怖がり、避け、忘れようとしながらも時々、その力に魅せられちまう馬鹿がいる」
 言葉の温度が急激に下がっていく。
 人間には決して持ち得ない闇の感情が冷気を放ち、それを受けた士郎と凛は僅かに顔を顰めた。味方だと分かっていても、どうしてもこの空気には怯えてしまう。それは周りを囲む悪魔達と同質の物なのだから。
 氷の視線の先にいる慎二は、しかしそれを受けながら恐怖など忘れてしまったかのように笑みを崩さなかった。その腕の中では桜の震えがいっそう酷くなっている。
「ああ、そうさ。僕は悪魔の力を手に入れた!」
 慎二は自信に満ち溢れた顔を笑みの形に歪めた。
「僕は魔術師になりたかった、特別な存在になりたかった! いや、なれる筈だったんだ! 僕が<マキリ>なんて枯れ果てた血筋になんて生まれなければ!」
 慟哭が響く。これまで溜め込んできた妬みと憎しみを込めた叫びが。
「衛宮、僕を見下してさぞかし愉快だっただろうね? 正式な魔術師の家系に生まれた僕が魔力を持たず、何処の馬の骨かも分からない魔術師の、おまけに血さえ繋がってない孤児のお前なんかが三流とは言え魔術師だったんだ!」
「慎二……」
「でもさ……もういいんだよ、衛宮ぁ。もう僕の気を使わなくていいんだ。僕はもう魔術師なんて超えちゃったんだから」
 慎二はいっそ優しいとさえ言える笑みで士郎を見下ろした。それは裕福な者が貧しい者を見下ろすような眼だった。
 慎二が空いた左腕を士郎に向けてかざすと同時に、士郎の右腕が突然燃え上がった。腕の中の桜が塞がれた口の中で悲鳴を上げる。
「なっ……うわっ!?」
「衛宮君、動かないで!」
 慌てて地面を転がって火を消そうとする士郎の腕を掴むと、凛はすぐさま簡易的な氷の魔術を炎に叩きつけた。二つの相対する作用を持つ魔力が相殺し合い、炎が鎮火する。焼け焦げた服と皮膚が少々凍り付いてしまったが、力のバランスを考える暇などなかったのだから仕方がない。
 腕を押さえて蹲る士郎は、痛みよりも驚きに眼を見開いて慎二を見上げた。
「あはははっ! 見たかい、衛宮! これが僕の手に入れた力さ、もちろん今のは手加減してあげたけどね!!」
 力に酔って哄笑を上げ続ける慎二を凛は睨み付けたが、背筋は冷たい汗を掻いていた。彼の持つ魔力が強大なのは実感できるが、何より先ほどの魔術は詠唱がなかった。どれ程の威力まで詠唱なしで発現出来るのかは分からないが、少なくとも能力的にはキャスターに匹敵する事になる。
「何とかに刃物って奴ね……」
 凛は苦々しげに吐き捨てた。
「……物珍しいからって、あんまりはしゃぐのはやめときな」
 ダンテの厳かとも言える言葉に、慎二は笑い声を止める。真紅のコートが揺れ、黒いブーツが一歩踏み出すと同時に、周囲の悪魔達は一瞬尻込みするように後退った。
「あんまりやると戻れなくなるぞ」
「戻る? 戻るわけないじゃないか、こんなに凄い力を手に入れたのに! 昔の僕なんかに、戻るわけないじゃないかっ!!」
 慎二が怒りを吐き捨てるだけで空気が爆発して衝撃波が襲い掛かった。しかし、ダンテはその風の弾丸を肩に担いだ魔剣の一振りで弾き散らす。
 その空を裂く太刀筋に、慎二は一瞬だけ怯えた。
 それは悪魔が人間の心に刻んだように、二千年の間で悪魔の存在そのものに刻み込まれた、魔剣士スパーダとその血に連なる者に対する絶対的な<恐怖>だった。
「悪魔がお前に無料で力を与えて、ついでにお家の世話までしてくれるとでも思ってんのか? いい夢見てるうちにさっさと眼を覚ましな。さもないと―――」
 二つの暗い銃口を持つ黒鉄の銃身が持ち上げられる。
「そのうち悪夢になっちまうぜ?」
 ダンテは闇に染まった瞳で、無機質に照準の先にある慎二の頭を覗きこんだ。
「く……っ」
 慎二と、二人のやり取りを見守っていた士郎もダンテの迫力に気圧される。何より、彼はいざとなれば躊躇いなく慎二を撃つだろう。それだけの凄みがあった。
 悪魔の力に陶酔していた慎二にわずかながら恐怖が戻る。彼の配下に下った悪魔達はもはや恐怖の対象などではなかったが、ダンテは別だった。悪魔でありながら悪魔を殺してきた男だ。
「……へ、へえ、さすがスパーダの息子だね」
 しかし、慎二は何かを思い出したかのように再び余裕の態度を取り戻した。
 慎二がダンテの正体について知っている事に違和感を覚えたが、ダンテ自身にとってはわざわざ動揺してやる程の情報でもない。彼は無言で引き金を引く指に力を込めた。
「でもさ、あいにくお前の相手は別の奴がする予定なんだよね」
「……何?」
 呟いて、慎二が傍らに視線を送る。
 そして全員が、ようやくその存在に気付いた。本当に何時の間にか、この緊迫した空気の中で誰にも感知されずに塀を越え、庭の中に侵入して壁際に佇む黒い騎士の姿に。
「サーヴァント……アサシンか」
 アーチャーが未だにおぼろげにしか感じられない気配からその正体を推察する。セイバーが慌ててその異様な姿のアサシンに剣を向けた。
「お前、は……っ」
 しかし、そのアサシンの登場に最も動揺を表していたのはダンテだった。
 どんな時でも不敵な態度を崩さなかった彼が、眼を見開き、体を震わせ、構えていた銃さえ無意識に下ろしてアサシンの姿を凝視している。その顔は何か信じられない物を見た、と言った驚愕の表情を浮かべていた。
「ダンテ、どうしたんだ?」
 士郎が尋ねる声さえ、耳に入っていないかのようにダンテは呆然と前を見据えている。その視線に気づいたのか、アサシンもまた硬く口を閉ざしたままその異様な眼光をダンテに向けていた。
「……そうかよ、まさかコイツが出てくるとはな」
 数秒に及ぶ無言の対峙の後、ようやく我を取り戻したダンテは怒りを含んだ笑みを浮かべた。
「なるほどな、そういう趣向で来るかよ」
「何よ、アンタあのアサシンの正体を知ってるの?」
 何か合点がいったらしいダンテが無言で銃を納め、剣のみを持つのを見て、堪らず凛が尋ねる。ダンテは視線をアサシンに向けたまま答えた。
「身内だ」
 絶句する凛と士郎を無視して、ダンテは剣を肩に担いで旧友に向けるような気さくな笑みをアサシンに向けた。
 その口が単なる彫り物か何かのように、無言を通したままアサシンは顔だけを軽く逸らして、士郎達とは離れた庭の片隅を指した。その方向にいるブレイドが、まるで道を作るかのよう身を退く。
 あからさまな誘いに、ダンテは楽しそうに笑い声を漏らした。
「なるほど、確かに俺の相手はコイツだな」
 慎二に一瞬だけ視線を送ると、ダンテはアサシンの指した方向へ歩み始めた。それに続くように、アサシンもボロボロの外套を翻して足を踏み出す。
 奇しくも、互いに巨大な剣をぶら下げた二人の背中は酷く似通って見えた。まるで鏡に映った一人の人物を見るように。
「ダンテ……」
「身内の問題は身内で解決したいんでね。悪いがお前らは自力でなんとかしてくれ」
 呼び掛ける士郎の声に、ダンテは歩きながら一度だけ振り返った。
「あのお嬢ちゃんを助けたいなら容赦はするな。そして、あのクソガキも助けたいなら……急ぎな。悪魔の力なんてモンはまともな人間が使えるもんじゃない」
「あ……ああっ! わかった!」
 ダンテの思わぬ言葉に、士郎は力強く答えた。






 数メートルの距離を挟んで、二人は対峙していた。
 広大な庭とは言え、上空に浮かぶ死神の群れや少し離れた位置では睨み合う慎二と士郎達がいる。しかし、その狭い空間の中で、ダンテとアサシンのいる場所は見えない壁で隔たれていた。何人たりとも立ち入れない、この二人だけに許された戦闘空間が形成されている。
 緩やかな風が二人の間を過ぎ、それぞれの黒い外套と真紅のコートを揺らしていく。互いに人が持つにはあまりに巨大すぎる剣を無造作に片手でぶら下げ、まるで鏡写しのように二人は佇んでいた。
「こうして対面するのは、どれくらいぶりって言えばいいんだ?」
 物言わぬアサシンに対して、ダンテは気にする事もなく気安く話しかける。それは旧知の者に対して向けるような声色だった。
「まったく、もう二度と会う事もないって思ってたんだけどな。地獄から這い上がってくるなんて、マジでガッツがあるぜ、アンタ」
 アサシンは答えない。
 岩を掘ったような不動の表情を貼り付けたまま、ただ静かに、そして厳しく、ダンテに視線を送り続ける。
 ダンテは胸にぶら下げたアミュレットの一つを、鎖ごとおもむろに引き千切ると、これまで後生大事に守ってきたそれを何の躊躇いもなくアサシンに投げつけた。
「アンタの遺品として貰っておいたんだがな、生き返ったんじゃしょうがねえ。返すぜ」
 無意識に持ち上げた手の中にアミュレットが納まる。アサシンは真ん中に真紅の宝玉がはめ込まれた、その神秘的な首飾りを凝視すると、その鉄の表情に初めて安らぎのようなものを浮かばせた。
 空っぽだった。多くのものを失った彼の中に、ほんの僅かだが、何かが満たされる。
 彼はそのアミュレットを、何か尊い物を手にしたかのように、大切に抱き締めた。するとアミュレットを押し付けた鎧の胸の部分が、まるで受け入れようとするかのように裂け、体の奥へと静かに飲み込んでいった。アミュレットの全てを飲み込むと、鎧はもう二度とそれを手放さないとするかのように、静かに、硬く穴を閉じる。
『ダ……ンテ……』
 それまで忘れていた言葉を、たった一言だけ、しかし鮮烈に思い出す。
「ああ、何だ? <バージル>……」
 ダンテは、ただ当然のようにアサシンの真名を口にした。
 その答えに、アサシンは続ける言葉を閉じて、静かに自らの大剣を構える。
 奇しくも、それはダンテが扱う剣技とまったく同一の構えだった。
「……おかしなもんだな。こんな所まで来て、俺はまたアンタと戦わなきゃいけない」
 ダンテが鏡写しのように、同じ構えを持ってアサシンと対峙する。
「宿命って奴か」
 ほんの少しだけ、ダンテは悲しげに呟いた。
 自然体の構えのまま、互いの睨み合いは続く。二人の間に既に言葉はなく、交える氷のような視線と殺気だけが空気を満たす。破裂寸前の緊迫感を、更に膨らませる。
 それは、選ばれた戦いだった。
 アサシンの目の前にはダンテが、ダンテの前にはアサシンが。視界の中に、その相手がいる事が既にずっと前から決定してかのように、二人の悪魔は月の下で邂逅した。
 ダンテの顔から笑みが消える。
 虚ろな空間に、ゆっくりと二本の剣が交わっていく。
 それはまさに、凍りついた時間が激しさを取り戻す瞬間でもあった。






 鋼の激突する音が近くで響いた。人ならざる者二人が、今死闘を開始している。激突する魔力の焼けるような熱さと、冷たい禍々しさが肌を刺す。
 しかし、そんな戦いにも気をやる暇などなかった。
「慎二、アンタは一体何が望みなの?」
 凛が自らの戦場に集中しながら鋭く尋ねる。慎二はその問いに小さく笑うと、桜を拘束する腕はそのままに口を塞いでいた手をどけた。
「せ、先輩っ!」
「桜……っ! 慎二、桜を離せ!!」
 目に涙を溜め、桜の悲痛な声が士郎を呼ぶ。その二人の様子を慎二はさも愉快そうに眺めていた。
「ははっ、いいね衛宮! この状況でその台詞、まるで絵に描いたような正義の味方だよ!」
 必死にもがいて慎二から離れようとする桜を、常人では有り得ないような腕力で笑いながら締め付ける。桜の苦悶の声が洩れ、士郎は怒りに顔を歪めた。
 凛は慎二に交渉の余地がない事を悟ると、不意を衝くように左腕を振り上げ、ガンドを放った。慎二の額に向けて狙い違わず直進した呪いの弾丸は、しかし彼に触れる直前で霞のように消滅する。そこに一切の造作もない、最初からガンドなど当たらないと分かりきっていた慎二の変わらぬ笑みがあるだけだ。
「レジストされた!?」
「やあ、怖いなぁ遠坂。少しは僕の話も聞いてよ」
 慎二は肩を竦めた。
「僕の目的って言ったよね? 簡単さ、僕はただ桜の本当の姿を衛宮達に見せてやりたいだけなんだ」
「本当の姿……?」
「兄さん、やめて!」
 サッと表情を、まったく違う種類の恐怖の色に染めた桜の声を無視して、慎二は静かに自らの手を持ち上げた。
 まるでそれが合図であったかのように、そしてそれに忠実に従うように、それまでその場を動かなかった悪魔達が一斉に士郎達に向けて襲い掛かった。
「兄さんっ!!」
「うるさいなぁ、桜。お前だって嬉しいだろ? お前の為に衛宮や遠坂が戦ってくれるんだからさぁ、命を賭けて!」
 屋根の上でキャスターがローブを翼に変えて襲い掛かる『死神』へと立ち向かう姿と、それを援護せんと弓を引き絞るアーチャーの姿がちらりと見えたが、すぐに士郎は周囲の事など気に掛ける暇もなくなった。
 風を斬る鋭い音と共に死角からブレイドが跳び掛かるのを、無様に地面に転がって避ける。
 状況は三対三。セイバーの力ならばトカゲと人間の出来損ないに劣る事などないが、士郎と凛は人間だ。悪魔相手には分が悪い。
 地面を転がって、剣を構えながらすぐさま体勢を立て直す。どんっと背中に当たる何かの感触に、思わず上げそうになる悲鳴を押し殺して背後に視線を走らせれば、そこには鮮やかな赤い服と黒髪が見えた。
「遠坂!」
「驚かせないでよ」
「それはこっちの台詞だって」
 士郎と凛、背中合わせになって周囲を警戒する。すぐ間近で聞こえる剣戟の音はセイバーのもの。
 二人に狙いを定めた二体のブレイドが、ゆっくりとにじり寄って来る。士郎の手の中にある鋼の感触が、ほんの少しだけこの緊迫した状況で安堵感を与えてくれた。
「士郎。アンタが前衛で、私が後方から援護をするわ。いいわね?」
「ああ、わかった。……って、遠坂?」
 冷静な凛の作戦の中に、聞き逃せない言葉があって、士郎は少し焦った。
「『士郎』って……」
「信頼できる相手は名前で呼ぶわ。背中を預ける以上、アンタを信頼しないといけないからね」
 振り返りもせず凛はぶっきらぼうに言葉を返す。しかし、士郎に見えない位置でその顔は僅かに頬を赤く染めていた。
 凛の『信頼』という言葉を噛み締めて、士郎は自分の中から見えない力が湧き上がるのを感じる。敵への恐怖や不安などが全部吹き飛んで、全身の筋肉に熱が篭もる。
「ああ、期待に応えるよ」
 たった一言で士郎は負ける気がしなくなった。背中に当たる彼女の体温が、彼に守るべき使命を与え、その為の力さえ与えてくる。
 二人が覚悟を決めたのを見計らったかのように、敵は地面を蹴った。二体同時に、挟み込むように飛び掛る。
「ハァッ!」
 上がる戦いの咆哮。しかしそれは士郎と凛のモノではなく、その場に割り込んだセイバーのモノだった。凛に襲い掛かろうとしたブレイドの横腹に、体当たりするような勢いで剣を叩き付ける。寸前でかざした盾がその一撃を受け、ブレイドの体は真横に吹っ飛んでいった。返す刀で、セイバーは自分を追撃してきたもう一体を迎撃する。
 背後の激突音を聞きながら、士郎は目の前に集中した。
 トカゲの怪物が鋭い爪を翻して突撃する。飛来する一撃を、フォースエッジの刃が力強く受け止めた。
 息をつく暇もない連撃を、士郎は的確に押さえ込む。速く、そして強い。しかし、セイバー程ではない。毎日彼をしごく鬼教官。あの気高い少女の振るう一撃に比べれば、本能のままに腕を振り回す技術の欠片もない攻撃など、足元にも及ばない。
 士郎は頭の中がスカッと冴え渡る感覚を感じていた。軋みを上げる筋肉、視界に霞んで映る攻撃。しかし、まったく当たる気がしない。
「でやぁああっ!!」
 すくい上げるような一撃が、ブレイドの爪を大きく弾き飛ばした。振り上げた切っ先を返し、剣の重量を利用して振り下ろす。火花と共に金属の破片が散り、剣先が敵の兜に深々とめり込んだ。爬虫類の甲高い悲鳴が上がる。しかしそれでも敵は相手に縋りつく事をやめない。
「―――Vier Stil Erschiesung!」
 爆撃。震えるようにして発光する魔術刻印。凛の詠唱と共に、解き放たれる。
 士郎が剣を引き抜くと同時に、見計らったタイミングで、魔力の塊がなだらかな傾斜を描いてつるべ打ちに叩き込まれた。四肢を飛び散らせたブレイドの断末魔が爆音に交じり、熱い風が士郎の頬を叩いた。
「セイバーは!?」
「大丈夫、もう一匹殺ったわ」
 悪魔が土くれに還っていくのを見届けた士郎が様子を伺うと、凛が冷静に答えた。ちらりと流し見たセイバーは、足元で消滅する敵の躯には目も留めず、素早く逃げ回る最後の一体との間合いを詰めている。一対一で彼女が負ける道理等ない。
 上空で響くキャスターたちの戦闘の音をあえて無視すると、士郎と凛は見下ろす慎二に視線を戻した。
「へえ、衛宮って意外とやるね」
「慎二。俺に用があるなら、一対一で話をつける。だから桜を離せ。桜は何の関係もないだろ? お前の妹だろ!?」
 士郎が慎二に対してではない、もっと漠然としたこの状況への怒りを滲ませて叫んだ。間違っている、兄が妹を人質にとって殺し合いをするなど。
 しかし、士郎の必死の叫びを慎二は哀れむような笑み一つで伏した。
「何だ、衛宮。何も知らないんだなぁ? 遠坂も、何も話してないの?」
 嘲るような言葉。
 その言葉に、士郎ははっとなって周囲を見回した。
「……どういう事だよ?」
 凛を見る。彼女は、それまで慎二に対して剥き出しにしていた敵意を潜め、何かに耐えるような辛そうな表情で唇を噛み締めていた。
 向けられた士郎の視線を避けるように顔をわずかに逸らす。それがどうしようもない疎外感を与えた。
「じゃあ、『やっぱり』桜は……」
「ああ、遠坂も可能性ぐらいは考えてたんだろ?」
 慎二と凛のやり取りが遠い事のように感じる。
「……どういう、事なんだ?」
 桜を見る。彼女は怯えるように士郎の視線から顔を逸らした。その恐怖を滲ませた瞳は確かに、士郎を避けている。
 どういう事なんだ。何を知らないと言うんだ。朝、いつも顔を合わせて挨拶をして、笑い合った少女の何を自分は今まで知らなかったというのだ。
 無知である事に、恐ろしいほどの罪悪感が湧き上がって来る。士郎は迷子になった子供のように、急に襲い掛かってきた不安を抑えながら、にやにやと笑みを浮かべる慎二を見上げた。まるで答えを請うかのように。
「どういう……ことなんだよ?」
「桜は魔術師だ。おまけに枯れたマキリの血じゃない、エリートの遠坂の血を継ぐ養子。つまりさ、遠坂の実の妹なんだよ」
 その答えは、士郎の思考を停止させた。






「まったく……」
 鼓膜をガンガン叩く音を気にした風もなく、バゼットは目の前の光景に呆れたようなため息を吐いた。
 激しい爆音と共に、石畳が不定期的に、しかし連続して弾け飛ぶ。舞い上がる破片の間を縫うように、蒼と紫の影が掠めては消えた。
「まさか、これほどまでとはな。これが英霊か」
 呻くバゼットの目の前では、ランサーとライダーが激突していた。
 はっきり言って、見えない。強化した視覚を持ってしても、バゼットが確認出来るのは二人の残像であり、それも色と形状でかろうじて識別できる程度のものだった。石畳が砕けるのは、二人がより速く駆ける為地面を踏み砕いているからである。
 互いに機動力を武器とするサーヴァントがトップスピードで激突する高速戦闘は、人間では決して到達し得ない領域だった。その規格外の速さは銃弾を目で追うに等しい。
 一際大きな火花が散り、互いの必殺の一撃が防がれた事に鋭く舌打ちしながら、ランサーとライダーはようやくその動きを止めた。奇しくも、二人の位置はお互いがスタートした位置とまったく同じだ。
「さすがに、敏捷性はアナタの方が上のようですね」
 悪態をつく様でもなく、ただ淡々とライダーが事実を告げる。本来なら同等のスピードを持つライダーは、しかし偽臣の書の制約によって身体能力が減少している。それはバゼットから魔力供給を受けていても解消されたわけではない。
「そういうてめえもやりにくい武器を使うな」
 ライダーの持つ杭を指して、ランサーがぼやく。
 一見、リーチで言えばランサーの槍の方が上なのだが、杭から伸びる鎖が曲者だった。強度は鋼鉄並みで、魔力で編まれているせいか長さも自在に伸縮している。それを鞭のようにしならせて、器用にランサーを攻撃するものだから、未見の武器と高速戦闘という状況も相まってかなりの苦戦を強いられていた。
 相手が正攻法ならばまだ速さで押し切れただろうが、しなる武器は槍で受け止めてもそのまま絡め取られてしまう。それは手足も同じで、不規則な軌道の攻撃にランサーは十分な速度を出せないでいた。
「おまけに主の差は歴然としてる」
 臆す事無く佇むバゼットに一瞬視線をやって、ランサーはわずかに妬んだ口調で皮肉げに笑った。
「捨てられた男が、未練がましいですよ」
 その視線を遮るようにライダーの長身が動く。能面のような顔には僅かな笑み。ランサーは無表情な相手の口から出た思わぬユーモアに今度は心底楽しそうに笑った。
「ったく、月夜に美女二人とデートとは、ようやく女運が向いてきた……ッぜ!!」
 蒼い獣が弾け跳んだ。一瞬だけ遅れて紫の髪が風に舞う。
 ランサーがこの地上で最も速い獣に変貌して駆ける。真紅の牙が鋼鉄の杭と噛み合い、火花を散らすと同時に死角から鎖がしなって襲い掛かった。
 ランサーのスピードが更に上がる。もはや世界と時間を置き去りにして、蒼い疾風が滑空する鎖を飛び越えた。その勢いのままに槍ごと突撃する一撃を、ライダーが紙一重で横に回避する。
「遅いですね」
「なにぃ……っ?」
 耳元を掠めた平坦な声に、ランサーは突撃の勢いのまま地面を滑りながら肩越しに振り向いた。掠める衝撃波に髪を数本散らしたライダーが静かに顔を向けている。
「俺が遅いだと!?」
「ええ、遅いです。最速の英霊の実力はその程度ですか?」
 安い挑発だと、ランサーもライダーも思った。何よりそう言ったライダーよりもランサーの方が俊敏性で勝っている事は確かだ。
 しかし、ライダーは確信していた。こう言えば、彼は必ず乗ってくると。例え挑発にしても、それを真正面から粉砕するだけの自信があり、それ故に彼はこれ程までに速いのだと確信していた。
 そして、その最速と謳われた英雄は『そう』だった。
「冗っ談じゃねえええっ!!」
 ランサーの瞳がギラッとした光を放つ。地面を削り取りながら制動を加えると、バネのように体をしならせて、彼はかつてない勢いで地面を踏み抜いた。
 全身全霊を賭けた最速の一撃が来る。それは矢よりも弾丸よりも速く、ライダーの心臓を目掛けて空間を切り裂き、突き進む。
 視界を隠したライダーにもはっきりと見えた、雷光の如く迫る槍の矛先が。そしてそれは一瞬にして距離をゼロにした。
「っぁあああああああああああッ!!」
 知らず、ライダーは吼えていた。迫る真紅の牙から僅かに身を逸らし、その軌道に腕を差し出してあえて貫かせる。魔力を込めた筋肉を容易く貫通して、槍はライダーの腕と肩を串刺しにした。
 宙に広がる鮮血と脳を貫く激痛を無視して素早く空いた手を突き出し、相手に制動を掛ける。それでも槍はブチブチと筋肉を引き裂いてライダーの背中から矛先を突き出し、その衝撃は踏ん張る体を数メートル後退させた。
「……っなんだと!?」
 そして、止まった。
 肉も骨も断たせて、しかしライダーはランサーの一撃を完全に停止させた。凄まじい怪力によって筋肉が収縮し、突き刺さった槍を固定。貫かれた右腕は痛みと引き換えに槍の動きを奪い、ランサーの肩を掴んだ左手は軋みを上げて指を突き立てる。
 停止したのは一瞬。あるいはランサーの持つ槍が彼の宝具であり、一心同体の武具である<ゲイボルク>でなければ、彼はその槍を手放してその場を離脱する事を躊躇わなかったかもしれない。しかし彼は一瞬躊躇った。そして、それが致命的な隙を生んだのだ。
 パチンッと金具の外れる音がして、ライダーの眼帯が宙を舞った。その下からあらわになるライダーの素顔。その神がかり的な美しさにランサーが気を取られる間もなく、彼はその異様な眼光に気がついた。
 石化の魔眼<キュべレイ>―――。
「やべえ!」
 四角い異様な瞳孔を直視してしまった瞬間に、ランサーは咄嗟に体を沈み込ませて槍に突き刺さったままのライダーの体を持ち上げると、その下腹に蹴りを叩き込んで、背中から地面に転がりながら全力で吹き飛ばした。形としては変則的な巴投げだ。
 体が持ち上がると同時に、ガクンッと籠めていた力が抜け、ライダーはそのまま投げ飛ばされてしまった。ずるっと槍が体から引き抜かれる嫌な感触と痛みに僅かに顔を顰めながら受身を取る。バゼットを視界に入れないように、素早く眼帯を拾い上げるとそれを装着して魔眼を封印した。
「……運がよかったですね」
「やれやれ、まったくやってくれたぜ」
 言い合う両者は互いに満身創痍の状態だった。
 槍に心臓近くを貫かれたライダーは言うまでもなく、ランサーの右腕は完全に石化して動かなくなっていた。
「即死だと思ったのですが」
「だろうな。強力な魔眼だったぜ、こいつを描いてなかったらやばかった」
 言ってランサーが指す胸を見れば、そこには血で見たこともない文字が描かれている。
「守りのルーンか……」
「当たり。あと、俺の魔力もそう捨てたモンでもないんでね」
 呟くバゼットの答えを満足そうに肯定した。ライダーがそれに珍しく舌打ちする。ランサーの真名を事前にバゼットから聞いておきながら、その可能性に至らなかった自分のミスだった。
 ゲイボルクで受けた傷は簡単には治らない。互いに相応のダメージを負う結果になってしまったのだ。
「なるほど、アンタの正体はメドゥーサか」
 おまけに真名もばれた。ランサーと、おそらくそのマスターにも。
 予想以上のリスクを負った事にライダーが僅かに口元を歪める。
「気にするな、ライダー」
 背後からバゼットの力強い声が掛けられ、ライダーは我に返った。
「ここからは私もサポートさせてもらう」
 バゼットがコートの下から二挺のルガーを取り出して構える。
「俺に飛び道具は効かないぜ?」
「それだけの事で私が何も出来なくなると思ってはいないだろう? 二対一だ、後ろから撃たれても文句はないな」
 彼の持つ<矢避けの加護>の特性を理解した言葉だった。ランサーと対峙して、初めて見せる『戦闘用』の笑み。それを見たランサーは嬉しそうに口の端を持ち上げる。
「ああ、構わないぜ」
 最高。やっぱりいい女だ、畜生。なんで自分はこんないい女を手放してしまったのか。彼女の傍らで、自分がいる筈の場所でさも当然のように佇む異形の美女に嫉妬すら禁じえない。全ては自分がどうしようもない間抜けだったからだ。
「ライダー」
「はい、マスター」
 金の拳銃と、鋼の杭と、真紅の槍。そしてその担い手達。
 月下、厳かなる教会の前で再び緊迫した闘争の空気が張り詰める。
「いくぜっ!!」
 蒼い獣が牙を剥き、その脚に力を込めた。
 その瞬間、全く別の場所で空気が爆ぜた。




 茂みから飛び出した二つの影が、対峙する三人に向けて疾走する。
 それは文字通りの影。比喩でも何でもなく、本当に『影』としか表現できない塊だった。
「何だ、てめえらっ!?」
 真っ黒に塗りつぶされた塊は飛来しながらその途中で瞬時にその形状を巨大な刃へと変えて、それぞれの標的に突進した。ランサーがその俊足で、ライダーがバゼットの体を風のようにさらってその場を離脱する。激突と同時に刃が石畳を抉り抜いた。
 馬でも両断できる巨大な影の刃。それは地面に突き刺さると同時に硬度を失くし、液体のように地面に広がる。形を失くしたソレは、まさに『影』だ。形もなく、ただ真っ黒なシミのように地面に広がっている。ただ一つ、それが生命を持つように蠢く事以外は。
「新手のサーヴァントですか?」
「いや、違う…………<悪魔>だっ!」
 その薄っぺらい影から放たれる強烈で禍々しい魔力を感じ取ったバゼットが声を荒げた。
 何もない所に浮かぶ二つの影が、その叫び声の中に滲んだわずかな恐怖を感じ取ってその正体を現し始めた。
 『影』が盛り上がり、その不安定な形を徐々に認識できる形へと変貌させていく。それを成しているのはバゼットがこれまで感じた事のない程濃密で強大な魔力と闇の気配だった。
 間違いない。アレは悪魔の中でも上位に位置する存在だ。
 影は瞬時にして四足歩行の獣の姿を取って、二体それぞれの獲物へと真紅の眼光を向けた。犬とも狼ともつかない異形の獣となった『影』が、足元の影を引き摺るようにして駆け出す。
「速いっ!」
「後ろへ」
 銃を構えるバゼットを後ろに押しのけ、ライダーが『影』を迎撃した。間合いに入ると同時に『影』がその不安定な形を容易く捻じ曲げて、体の半分を覆うほどの巨大な顎(あぎと)へと変化させ、その牙でライダーに喰らい付こうと迫る。
 踊りかかる巨大な顎にライダーは両腕を突っ込んだ。普通の人間ならば、そのまま両腕を食い千切られてお終いだが、ライダーはその細腕から発揮される異常な腕力を使って、閉じる口に杭を突き立て無理矢理抉じ開けた。
 真っ黒に塗り潰された『影』の口内。その存在が影そのものであるなら、体の中に『構造』などありはしないだろう。喉がないのだから驚愕に上げる声もなく、ライダーは無言で『影』の口の中に強烈な蹴りを叩き込んだ。
「―――っ!?」
 脚に響く硬い衝撃に、ライダーは無言で顔を歪めた。
 繰り出した蹴りを遮るように、光り輝く壁が発生していた。濃密な魔力で形成されたその盾はライダーの脚力によって打ち出された蹴撃を完全に殺している。ギチッと呻く、突き刺さった杭。体勢を崩した事で支えられないと悟ったライダーは、素早く敵の口から杭と足を引き抜くとその場から後退した。
「この野郎……っ!?」
 別の場所でもう一体と戦っているランサーからも、同じように動揺した声が上がる。突き出した槍の矛先が、影の獣の眼前に出現した光る盾によって虚しく弾かれたところだった。
(魔力の障壁。形成までのタイムラグが短すぎる。魔術ではない、アレにとっての反射動作に過ぎないという事か)
「魔術師を馬鹿にしているとしか思えんな……」
 目の前の現象を冷静に分析しながら、バゼットは苦々しく呟いた。魔術の基礎原理そのものをひっくり返す、いちいち驚くのも馬鹿らしくなるような常識破りのオンパレードだ。
 実体を持つ影の体。そして詠唱も、動作すらもなく、ただ敵の攻撃に反応する反射だけで生み出される魔力障壁。しかもそれはサーヴァントの物理攻撃を防ぐほどの防御力を持っているときた。
 おそらくは悪魔がその種類によって持つ固有能力とでも言うべき代物なのだろう。存在そのものが魔法の領域に達する悪魔ゆえの力である。
「ハァッ!」
「うぉりゃあああっ!!」
 鋼の牙が無数に突き出され、真紅の牙が一直線に影を引き裂こうと飛来する。しかし、加速したその攻撃はいずれも同じように生み出された魔力の壁に弾き返されてしまった。
 その盾の頑強さもさることながら、ライダーの負傷、動かないランサーの右腕など要因は他にもある。しかしそれは現状を不利とする原因であれど、全く言い訳にはならない。
 影で出来た獣は再び変形した。地面に広がる自らの影を『回収』すると同時に空高く飛び上がる。その空中で黒塗りの頭部を瞬時に刃へと変形させると、凄まじい勢いでプロペラのように縦回転を始めた。
「マジかよ……っ!」
 空気を撹拌する大回転に大気が震える。その黒い大鉈は空中で回転の力を溜めると、弾け飛ぶようにしてそれぞれの標的へ向けて突進した。
 ランサーは素早くその場から跳び、ライダーは刃の軌道が自分ではない事をその一瞬で悟った。
「バゼット!」
 根本的な事だが悪魔が獲物とする存在は人間だ。その見た目どおり獣の嗅覚なのか、その場にいる存在の中で、二体は人間を超越した超存在である事を悟った『影』は唯一の人間であるバゼットに標的を絞っていた。
 迫る黒い大斬撃。唸りを上げる刃を咄嗟に横に跳んで回避すると、コンマの遅れで切り裂かれた地面が弾けて散った。
「ぐ……っ!?」
 左足に走る焼けるような激痛。紙一重は無理があったか、裂けたズボンから鮮血が飛び散る。足首がまだ繋がっている事にバゼットは幸運を感じた。
 痛みに泣いている暇はない。地面を転がって体勢を立て直すと、地面に突き刺さり再びその姿を獣に変えようとしている影の悪魔にバゼットは両腕のルガーの銃口を向けた。『影』の持つ盾の硬度を考えれば、向ける武器にはバズーカくらいが欲しかったが何もしないよりはマシだ。何より、やられっぱなしは性に合わない。
「喰らえっ!」
 黄金の獣が二匹、口を揃えて咆哮を放つ。
 標準的な9ミリパラベラム弾を撃ち出すそれは決して大地を震わせるような激しいものではない。バンバンッと予想よりもずっと軽い音を立てて、弾丸が発射された。
 放たれた三重の牙は影へと直進し、しかしバゼットの予想に反して的確に獣の体にめり込んだ。
「何?」
 拍子抜けするほどあっけなく突き刺さった弾丸にバゼットは思わず声を上げる。魔力の壁は銃弾を阻まず、真っ黒な獣の横腹に全て命中した。
 体全体で唸るような黒い獣の呪詛が響く。バゼットはその雄叫びの中に、何か戸惑っているような感情を感じ取った。そして直感する。敵は銃弾を防がなかったのではなく、防げなかったのだと。
(銃なら通じると言う事か!)
 理由や根拠など考えない。確信すれば行動は速い。バゼットは続けざまに両腕の銃を撃ちまくった。
 獣もまた戸惑いをすぐに失くしてバゼットに襲い掛かった。元々痛みなど感じないのか、全身に銃弾を浴びながらその動きに怯みはない。頭部に力を集中させて、それを槍へと変化させるとバゼットの心臓目掛けて突き出した。
 その攻撃の瞬間、バゼットを突き動かしたのはそれまでの戦いで培った戦士の勘だった。飛来する槍の矛先を紙一重で跳んでかわす。コートの裾がわずかに切り裂かれて宙を舞った。左足の痛みを無視して、飛翔したバゼットはあろう事か突き出された槍の上に着地した。
 その位置は剥き出しの頭部をつるべ落としに撃ち抜く絶好のポジション。獰猛な笑みで引き金に指を掛けるバゼット。悪魔め、驚いたか。人間を舐めるな。
「脳漿を、ぶち撒けろ―――っ!!」
 残った銃弾を全部叩き込む。銃口から連続して噴き出すマズルフラッシュの炎。放たれた弾丸は全て黒い獣の頭に突き刺さった。
『■■ァ■ァアアア■■■ァーーーッ!!』
 この世のものとは思えない断末魔の叫びが響き渡る。ありったけの銃弾を叩き込まれた『影』は内部から爆発するように弾け跳んで、地面に飛び散った。
 しかし、それで影の悪魔が消滅したワケではなかった。飛び散った影の中から、マグマを内に秘めたような赤い輝きを放つ巨大な球体が姿を現す。そこから放出される莫大な魔力と脈動するような赤い光が、その球体が影の化物の心臓であり核(コア)である事を如実に証明していた。
「ライダー!」
「ハァアアアーーーッ!!」
 一瞬で分析し、判断したバゼットの言葉を聞くより早くライダーは駆け出していた。両手に構えた鋼の杭を凶悪な腕力で突き出す。削岩機のような連続攻撃がコアの一点に集中して突き刺さった。予想以上に硬い手応え。しかしライダーは意に介さず、猛烈な勢いで打突を繰り返す。
 秒間に繰り出される無数の攻撃に、パキンッと音を立ててついにコアに亀裂が走った。周囲の影が痛みにのたうつように蠢く。バゼットはそれを無視して、至近距離で左腕を突きつけ、内蔵したボウガンを発射した。
 三重の矢がコアの亀裂に突き刺さり、その瞬間爆発した。その矢はただの鋼ではなく、ルーンを刻んだ物でもない。矢じりに爆薬を仕込んだ<フレアボウガン>だった。
 内部で起こった爆発に、コアの亀裂は全体に広がった。破裂する寸前の風船のように魔力を暴走させ、空気を振動させる音が悲鳴のように響き渡る。
 周囲を覆っていた『影』が崩壊するコアの魔力によって真っ赤に煮え滾り醜く蠢いた。その様子にバゼットは一瞬爆弾がタイムリミットと共に爆発するイメージを思い浮かべ、そしてそれは正しかった。
 どす黒い赤に変色した影が最後の力を振り絞ってバゼットを飲み込もうと躍り掛かる。その直前にライダーが風となってバゼットの体を攫い、その場を大きく離脱した。
 獣は、最後に悔しげに一声吼えると、そのまま内に抱え込んだ崩壊するコアの爆発に巻き込まれて炎に飲み込まれていった。
「自爆か。危なかったな……」
 夜の闇を引き裂いた爆光と、その名残のように焦げた地面から立ち上る黒煙を眺めて、バゼットは額の汗を拭った。
「足は大丈夫ですか?」
「ああ、歩けない程ではないようだ」
 ライダーに抱えられていた体を下ろし、足を地面に着けると突き抜けるような痛みが走ったが、それさえ堪えれば体重を支えられない事もない。腱が切れるような重傷でなかった事は幸いだった。
「ランサーは?」
 呟いて、向けた視線の先では互いの槍を交し合う二匹の獣がいた。
 影の獣が頭部を変形させて繰り出す攻撃をランサーはそのスピードで回避する。片腕が使用不能になっていてもその体捌きは敵の攻撃に追いつく事を許さない。しかし、ランサーの攻撃もまた魔力の障壁に阻まれて一撃も許す事はなかった。
「クソッ!」
「ランサー、槍では駄目だ! 原始的な武器は通用しない!」
 威力では勝るランサーとライダーの攻撃を防ぎ、バゼットの銃は無反応で通す。それは使用する武器の違いだとバゼットは判断した。
 スライドの上がった銃に新しい弾倉を差し込んで、ランサーの元へと駆け寄ろうとする。
「ランサー、援護を……っ」
「バゼット、撃つんじゃねえぞ!!」
「!?」
 敵に向けていた殺気をそのままバゼットにぶつけて、ランサーは一喝した。照準までつけていた銃の引き金を引く指が硬直する。
 苦戦を強いられながら、しかしランサーははっきりとバゼットの助力を拒絶したのだ。
 バゼットに注意を向けた一瞬の隙を突いて、敵が槍を繰り出す。額に迫る黒い閃光から顔を背けるようにして頭を動かしたが、避け損ねた矛先がランサーのこめかみを削り取った。
「ちっ!」
 ダメージは少ないが飛び散った血に片目を塞がれる。一旦引っ込めた槍が再び繰り出されるのを、ランサーはほとんど勘で受け止めた。真紅と闇色の牙が交差して噛み合う。
「ランサー、何意地を張っている!」
「ほっとけ! 俺はお前の敵だろォがっ! 撃つんなら俺を撃て、背中からでも構わねえぜっ!!」
「……っんの、馬鹿!」
 バゼットの罵声が激突する金属の音に混じって聞こえる。呆れたような、あるいは諦めたようなライダーの視線を感じる。そんな周囲の反応に、情けないと感じる。
 繰り出す攻撃。真紅の閃光と見紛う最強の一撃は、しかし全て『影』の作り出す盾に弾き返されていく。かつて多くの敵を屠った無敵の槍が、たった一枚の壁さえ貫けないのだ。
 それが情けない。苛つく。ムカつく。まったくもって腹が立つ!
「バゼットの前でよぉ、みっともねえ真似させんなよ! 格好つかねえだろう!!」
 片腕だろうと言い訳になど出来ない。したくもない。
 ランサーの猛攻を歯牙にもかけずに敵がその身を影の中に沈ませた。途端に感じる悪寒にランサーは歯を食い縛りながら後退する。敵の影がランサーに向かって伸びると同時に、そこから天に向かって生えるように、次々と槍が突き出された。
 眼前を過ぎる黒い棘を避けながら後退する。しかし、それはこれまでとは違う、回避の為ではない反撃の為の後退だ。
 離された間合い。それは同時に最強の一撃を放つ為の助走距離となる。
「悪魔だろうが何だろうが、たかが犬コロに遅れを取ったとあっちゃぁ―――」
 ランサーを中心にして渦巻く大気中の魔力。
「<クー・フーリン>の名が廃るぜ!」
 真紅の槍が放つ雄叫びに周囲の空気が悲鳴を上げる。必殺の槍を片手で構え、ランサーは眼前の敵に照準を合わせる。
 魔力を蓄えた赤い牙を放つため、ランサーがゆるりと腰を落としてその両足に力を集約させた。
 かつてない魔力の収束に、バゼットが眼を見開いた。
「宝具か! しかし……っ!」
 通じるのか―――?
 バゼットの心に浮かぶ疑念と不安をランサーは意に介さず、自らの槍と敵に集中した。
 魔槍・ゲイボルク。放てば必ず敵の心臓を射抜く最強の一撃。ならば当たる。この槍の穂先は敵を貫く。それを信じる。事実であるからこそ信じる。信じるからこそ貫く。受けろ。受けろ。この一撃を受けてみろ、悪魔―――!
「―――刺し穿つ(ゲイ)……」
 蒼い獣が地面を踏み砕いて突進する。突き出される敵の槍を加速しながら回避して、その血に濡れた気高き真名を告げる。
「……死棘の槍(ボルク)―――ッ!!」
 突き出される赤い閃光と化した槍の、一筋の軌跡。それを阻む為に生み出される魔力の障壁。ランサーの最速の一撃を持ってしても、それは攻撃を予測していたかのように一瞬速く発生した。そして、先ほどと同様にその一撃は盾に弾かれてしまう、筈だった。
 しかし、その真紅の一撃は槍の真名と力が解放された必殺の一撃。槍の軌跡はあろう事か意思あるモノの如く捻じ曲がり、盾を避けて伸び上がり獣の額へと突き刺さった。
 槍を奔らせる前に心臓を貫いているという結果が存在している。発動させたらその結果をもたらすよう現実を改変する、それがゲイボルクの持つ『因果の逆転』の能力。
 影の獣が硬直する。潜り込んだ矛先は何処まで届いているのか。盾を回避したとは言え、コアを包む影は形を持たず、立体から平面への変形を見る限り内部は異次元空間にも似た構造になっている。それを抜けて、果たして槍はコアまで届いているのか―――。
「…………へっ、手応えアリだぜ。犬コロ」
 握り締めた槍から伝わる感触に、にやりとランサーが笑みを浮かべた。
 断末魔と共に『影』が弾け飛ぶ。その中から現れた真っ赤な球体に深々と突き刺さった真紅の槍。無数に走る亀裂から暴走した魔力を噴き出させる、敵の心臓部であるコアを必殺の槍は確かに貫いていた。
 臨界を突破し、肉体を維持できなくなった影の獣は膨張する魔力を押さえきれずに爆発した。その最期を見届ける事なくランサーは背を向ける。
「あばよ、化物」
 歩き去る背中を爆発の熱と風が撫でていった。




 パチパチパチ―――。
 悪魔が消滅し、つかの間の静寂を取り戻した夜に拍手の音が厳かに響き渡る。それは教会の中から、ゆっくりとバゼット達の下へと近づいてきた。
「……よお、門番はもうしなくていいのか?」
「ああ、かまわん。十分なモノを見せてもらったからな」
 返って来た答えに、ケッとランサーは唾を吐いて槍を肩に担ぎながらそっぽを向いた。その顔に浮かぶのはバゼット達との戦いが中止になった安堵が半分、落胆が半分の表情だ。
「コトミネ……」
 自ら姿を現したランサーのマスター。それを見据えるバゼットの瞳に驚きはない。
 バゼットの傍らにライダーが付き従うように立つ。対峙する言峰の傍らには、ランサーが少し距離を置いて態度も嫌そうに佇んでいた。
「いい眼だ、バゼット。かつての私を信頼する、腑抜けた視線よりも魅力的だぞ」
「ああ、どうも私には男運がないらしい」
「それって俺も含まれてるか?」
 挑発的な冷たい笑みを浮かべるバゼットの言葉に、ランサーが場を茶化すように呟いた。それに苦笑して、バゼットは言峰に突きつけていた銃口を下ろした。殺し合いをしに来たわけではない、今はまだ。
「先ほどの『影』は文字通り<シャドウ>と呼ばれる中位悪魔の一種だ」
 言峰は未だ視界の隅で黒煙を弱々しく上げる爆発の跡を指して説明した。
「アレは大昔から戦いの中で力と経験を蓄えてきた純血の悪魔だ。先ほど見ての通り、本体であるコアを実体のある影で包み、強力な呪文でくくっている。影は鎧のようなものだ。その身に蓄えた戦闘の経験から、剣や槍など古い武器には対処法を備えている。故に、アレの弱点となるのは記憶にない新しい武器、つまり銃などによる攻撃なのだ」
「やはり、あの悪魔はお前が差し向けたものか」
 スラスラと敵の正体を説明する言峰をバゼット冷たい殺気を込めて睨み付けた。その言葉に冷ややかな笑みを浮かべる。
「半分だけYESだ。
 教会には悪魔祓いを専門とする部門も存在する。魔術師とは違い、悪魔は恐れるべき存在ではなく、打倒すべき存在と認識しているのだ。よって悪魔に関する情報も、協会と比べて多く保管されている。先ほどの知識はそこからの物だな。
 そしてもう一つ。悪魔は人間を超越した存在だ。彼らを完全に使役できる人間などいない」
 淡々と話す言峰の顔は愉悦を浮かべている。その要領を得ない説明に相手が困惑する事を楽しんでいるのだ。
「コトミネ、全てを話せ。貴様が何を企んでいるのか、今この街はどうなっているのか、全てだ」
 目の前の男の性分を嫌というほど理解しているバゼットはそれを無視して率直な言葉をぶつけた。
 言峰綺礼は歪んでいるが、限りなく聖職者でもある。惑わしはしても、尋ねた事に嘘はつかない。そして黒幕であろう彼が自らその姿を現した以上、彼はバゼットのあらゆる問いに答えるだろう。そう確信していた。
「……よかろう」
 真っ直ぐなバゼットの視線を受けて、言峰は穏やかな微笑を浮かべた。









「では、話そう。此度の聖杯戦争の真実と、この街が陥っているおぞましい現実を―――」
 月の下で謳うように紡ぐ言葉は、本当に聖職者そのものだった―――。









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