ACT15「悪魔と踊ろう」



 世界は闇より生まれた。



 果てしなき闇、混沌の坩堝。
 だが、その世界にも一条の光が差し、やがて世界は二つに分かれた。
 闇の世は<魔界> 光の世は<人界>
 二つの世界は共に在り続けた。長い永い間―――。


 だが、やがて闇の世に現れた王が言う。
『元は一つだったこの世界。再び一つに統べんとして何が悪い?』
 その時から、闇は光を覆わんとし、光は闇から逃れんと抗った。


 だが、人は脆く弱く、魔界の住人である悪魔の力になどかなうべくもない。
 深遠なる闇に、光は喰らわれ、人界の命は尽きようとした。


 まさにその時、その者は現れた。



 ―――『SPARDA(スパーダ)』



 魔の世界の住人でありながら、誇り高き魂を持った者。
 スパーダは同胞に仇なし、光の世のために剣を取る。
 か弱き人の為に剣を振る。
 その剣は、魔界の王さえ斬り伏せ、王を失った闇は力を失う。


 スパーダは闇の再来を恐れ、その世界を封じた。闇に与した悪しき人々や、忌むべき己が闇の力と共に。
 永らえた人々は彼を崇めた。人の世を救った<英雄>と。
 そして、いつしか彼をこう呼び始める。
 スパーダ―――<伝説の魔剣士>


 だが、スパーダは人知れずその姿を消し、人々は次第に彼の存在を忘れてゆく。
 実在したはずの英雄は、やがて伝説となり、伝説はやがておとぎ話となり―――。






 そして二千年が過ぎた。









 ロビーのドアが開くと、黒いブーツを鳴らして、もうこのホテルでは馴染みになった赤いコートが翻って入って来た。今日初めてチェックインする客達はそのコートの主を物珍しそうに、一部の女性客は熱に浮かされたような視線で見つめていた。受付嬢であり日系ハーフのジェニファーもその一人だった。
「おかえりなさいませ、ダンテ様」
 ジェニファーは目の前を通り過ぎる銀髪の美形に英語で言葉を掛ける。彼女の満面の笑顔がその客専用のものであると、隣の同僚の女性は知っていた。
 外で買い物を済ませてきたダンテは、紙袋を持っていない方の手で軽く手を振り、魅力的なウィンクを飛ばした。それだけでジェニファーは自分の脳が沸騰するのを感じた。
「はぁ、相変わらず素敵……」
「色目使ってんの?」
 エレベーターに消えていく赤いコートを見送ってジェ二ファーが感嘆のため息を吐く。それを見ていた隣の友人が別の意味のため息を吐いた。
「やめといた方がいいよ。あの人女連れでしょ?」
「バカね、それくらいじゃ諦められないわよ」
「でもさ、あの人なんかちょっとヤバイ感じがするのよね。ピリピリした空気っていうの? 日本じゃ、ちょっと見かけないわよ」
「だからいいのよ。危険な男は魅力的だわ」
 異国の感性の違いだろうか。一人は恋する乙女のそれで、その友人は何処か呆れたような視線で、ダンテの消えたエレベーターのドアを眺めながら二人は客が受付にやって来るまで日本語で言葉を交し合っていた。
 エレベーターで目的の階に辿り着いたダンテは、紙袋をガサガサ漁りながら自分の部屋へと歩みを進めていた。
 紙袋の中身は街で買った大量のジャンクフードだ。食事にうるさいバゼットがライダーと共に行動を開始して以来、ダンテは誰に咎められる事もなく自らの好物を手に入れる事が出来た。
 マナーなどスラム街に置いて来てしまった彼は、廊下を歩きながらハンバーガーに齧りつく。あっという間に一つを平らげると、丁度彼の泊まる部屋のドアの前にまで辿り着いていた。
「キャスター、入るぜ」
 返事を期待せずドアに声を掛け、ついでに袋から蓋で密閉された紙コップに入ったホットコーヒーを取り出し、その手で器用にドアノブを捻る。
「キャス……」
 びちゃっと粘着質な液体をブーツが踏む音を聞いて、ダンテは足元に視線を落とした。
 それは血だった。部屋に入ってすぐの床に、ホテルのボーイが大量の血を流しながらうつ伏せに倒れていた。絨毯に顔を埋めた彼の表情は確認出来なかったが、腹部から背中にかけて貫通した抉るような傷を見れば、彼が絶命している事など容易く判断できた。
「……」
 突然殺人現場に放り込まれたリアクションを軽く肩を竦めるだけに留めると、ダンテはおもむろに顔を上げた。
 いつの間にか、悪夢のように唐突に、目の前には等身大の奇怪な人形が佇んでいた。
 反応する間もなかった。のっぺりとした仮面を付けた人形は、その表情と同じように何の感慨も意思もなく唐突に、しかし素早くダンテの胸を手に持った短剣で貫いた。
 ザクリッという肉を裂く嫌な音が低く響く。持っていた紙コップが切り裂かれ、湯気を上げるコーヒーと短剣の突き刺さった部分から噴き出す血が空中に撒き散らされる。ダンテの体が衝撃にびくんっと震えた。
 木で出来た殺人人形は、その会心の手応えにも何の感情も表す事無く、突き刺した短剣をさらにダンテの胸に押し込んだ。俯いたダンテの表情は伺えないが、その生死は足元に転がるボーイと同じように確認するまでもないハズだった。
 それが人間であるならば。
「―――おい、コーヒーがかかったぜ。息子が火傷したらどうしてくれる?」
 ダンテはおもむろに顔を上げると、人形の空洞のような瞳を睨みつけて、飛び散ったコーヒーで熱く濡れたズボンを指差した。その声は喫茶店でウェイトレスが飲み物を溢した時に漏らすものと大して変わらない調子のものだった。
 動揺もなく、木人形はもう片方の手に握った短剣を振り上げた。筋肉などある筈のない枯れ木のような腕が、まるで糸にでも操られているかのように奇怪な形に関節を曲げて振り上げられる。
 しかし、それを振り下ろすより遥かに早く、コートの下に隠した銃を引き抜いたダンテが人形の頭を吹き飛ばした。
「懐かしいじゃねえか、来る時は連絡の一つも入れてくれよ」
 頭部を粉々に吹き飛ばされた人形は、そのままバラバラに崩れて最後は砂のように消滅した。まるで最初からこの世にはいなかったかのように。名残を残すのはダンテの胸に刺さったままになっている錆びた短剣だけだった。
 おそらくあの不気味な人形に恐怖と共に殺されただろう憐れなボーイの遺体を乗り越えると、ダンテは両手に白と黒の愛銃をぶら下げて無造作に部屋の中へと歩を進めた。
 ベッドが二つ並ぶ室内でダンテを待ち受けていたのは、先ほどの人形とよく似たおぞましい生気を放つ生きた人形の集団だった。決して広くはない室内でゆらゆらと揺れるように、そいつらは佇んでいた。
 ダンテにとって、彼らは旧知の友人とも言える者達だった。
「嬉しいね、わざわざ俺に会いに来てくれたってのか?」
 銃身で肩をトントン叩きながら、ダンテは愉快そうににじり寄る人形達を見渡す。
「OK、ベイビー。キスしてやるぜ」
 言うが早いか、ダンテは抱擁するように両手を広げて、左右に佇む人形の顔面に向けて引き金を引き絞った。悪夢のような光景を、気高い鋼の獣の咆哮が引き裂く。炎と共に放たれた銃弾が、ダンテの言った通り人形の額にキスをした。
 45口径の化物が冗談のように連射され、その凶悪な威力に木で出来た脆い人形が粉々に吹き飛ばされる。
 しかし恐怖を感じない彼らは、同時に動きに変化もなく、緩慢だった。振り下ろされる短剣は空を切り、その中心でダンテが踊るように銃身を四方八方に走らせる。魔力を纏った銃弾が発射される度に、射線上の憐れな的が破片を撒き散らしてゴミのように吹き飛んでいった。
 無数の銃弾が放たれる中、ダンテが撃ち倒した人形の数は明らかに当初の数を超えていた。しかし、ダンテはそんな事などお構い無しに、笑いながら銃を振るい続ける。
 その光景が悪夢であったのは、果たしてどちらに対してであったか。
 一方的な破壊の嵐はすぐに終わりを見せ始めた。正面の敵に二発の銃弾を同時に叩き込んだダンテは、そのままブーツの底で人形を吹き飛ばした。壁に激突したそれは灰となって力無く砕け散る。
 蛆のように何処からとも無く現れ出ていた人形達は、しかしダンテの圧倒的な破壊のスピードについて行けず、いつの間にかダンテの背後で片腕を失くした一体が残されるだけとなっていた。
 ギシギシと軋む関節を動かして、背後の人形が剣を振り上げる。それに振り返る事も無く、ダンテは撃ち尽くした銃をガンホルダーに納めた。今だ胸に突き刺さったままの短剣を無造作に引き抜いて肩越しに投げつけると、弾丸のように加速した刀身は狙い違わず最後の一体の顔面を貫いて砕いた。
 静寂が部屋に戻る。
 ダンテが倒した人形達は、やはり魔法のように消え去って跡形もない。ただ、壁に刻まれた弾痕や切り裂かれたベッドシーツなどの破壊の跡が、そこで戦闘があった事を示していた。
「子供にウケそうな人形どもだぜ。何処から湧いて出た?」
 人骨を模したようなデザインの操り人形たちを思い出して、ダンテは皮肉混じりに呟いた。短剣が突き刺さってスプリングの飛び出たベッドを軋ませながら腰を降ろす。
「キャスター、無事か?」
「ええ」
 いつの間にか、ダンテの背後には同じようにしてベッドに腰掛けたキャスターの姿があった。魔法のように姿を現した彼女に驚いた様子もなく、ダンテはベッドの脇の引き出しに無造作に納めてあった予備のマガジンを取り出して銃に装填し始めた。何もない所から唐突に現れる事など、おとぎ話の魔女には良くある事だ。
「さっきから姿を消して見物でもしてたのか? 主人思いで泣けるぜ」
「魔力供給をコントロールできないアナタが悪いのよ。魔術で姿を消すと手間が掛かるんだから」
「口が減らない魔術師だな。あの憐れなボーイは?」
「突然現れたさっきの人形に一瞬でね。手の出しようがなかったわ、ついさっきの事よ」
 答えて、ボーイの死体を眺めるキャスターの表情はわずかな同情を含む以外平坦なものだった。そう、彼は憐れだ。だが現状では、キャスターとダンテにとって彼の死はそれ以上の意味を持たない。
「あの人形、魔術による物ではなかったわね」
 今は跡形もなく消え去った人形達の姿を幻視して、キャスターは虚空を見つめながら呟く。竜牙兵という魔術を用いた事のある彼女には、先ほどの人形達が単なる魔術ではないという実感があった。
「力は大した事はないわ、だけどあの人形には魔術では成し得ない生気が宿っていた。しかもあれから感じた気配、私には何処かで覚えがあるものだったわよ」
「ああ、お前の予想通りあれは<悪魔>だ」
 予備弾装を装填し終えたダンテが何でもないという風に答える。
「悪魔の中でも雑魚の部類に入る下っ端さ。力が弱すぎてこっちの世界じゃ体も維持できないカスみたいな奴らが人形を魔力の受け皿にして活動していやがるのが、あのボロい操り人形どもだ。便宜上、<マリオネット>なんて呼ばれてる」
「アナタの専門っていう訳ね」
「見ての通り、魔術でなくても媒体にしてる人形をぶっ壊せば中身もガスみたいに霧散する。下手すりゃ魔術で作る人形よりも弱い。だが、とにかく数が多くてな」
 キャスターに簡単な説明をしながら、ダンテはベッドから立ち上がってクローゼットの中に仕舞っておいた魔剣アラストルを取り出した。キャスターも周囲を見渡しながら立ち上がる。
 人形の消え失せた部屋の中。しかし、その中で二人は確かに冷たい気配を感じていた。
 何かが来る。それが何かは分からないが、ほとんど確信していた。
「……元々悪魔自体頻繁に出現するものじゃないが、出る場所にはとことん出る」
「他の魔術師の仕掛けたものだと思う?」
「さあな。あの人形どもくらい下級の悪魔なら、使役する事も出来るだろうよ。黒魔術って奴だ」
 ダンテは無造作に剣をぶら下げ、キャスターはローブの下で印を結んだまま、互いに背中合わせで警戒する。
「前に、この部屋には結界を張ったと説明したわね」
「ああ」
「人形が出現する前にそれが破壊されたわ。やったのは気配からして悪魔、しかもあの人形とは大分桁違いの魔力だったわ」
「上級の悪魔か? まいったね、大分胡散臭くなってきやがった」
 不吉な展開を見せる状況にダンテはため息を吐いた。
 元より悪魔とは人間を凌駕する闇の存在だ。<契約>ならばともかく、多少なりとも力をつけた悪魔が人間に使役されるなど有り得ない。キャスターの言う悪魔がどれ程の力を持っていたのかはわからなかったが、ソイツが自らの意思を持って結界を破壊したという可能性は高かった。
 魔術師同士が殺し合う聖杯戦争の真っ最中。そして、その時期に突如現れた悪魔。単なる偶然とするには、重なるタイミングが悪すぎた。
「第三者の意図を感じるわね」
「最初から一筋縄でいく仕事じゃないと―――」
 不意にドアを激しく叩く音が室内に響いた。咄嗟に二人が視線を入り口のドアへ走らせれば、部屋の外から呼び掛ける声が聞こえてくる。
「……しまった、結界が解けているから音が全部洩れてたんだわ」
「じゃあ、銃声まで聞かれたってのか!?」
「たぶん」
 冷や汗を流して青い顔で答えるキャスターの言葉に、ダンテは思いっきり悪態をついた。本当にタイミングが悪すぎる。今この場で幸いだったのは、ダンテが部屋に入った時に鍵を掛けておいたという事だけだ。だがそれもすぐに開けられてしまうだろう。
 声と気配からして部屋の外で叫んでいるのはホテルの係員が数人だと分かった。ノックする音はより激しくなり、ガチャガチャとドアノブを動かし始める。ホテルの一室から銃声がしたとなったら、すぐさま警察に連絡してなだれ込んでくるだろう。
 更に、悪い時には悪い事が重なるもので、室内を満たす禍々しい冷気は徐々に濃密になっていた。ダンテはそれが悪魔の出現する直前の兆候だと分かり、キャスターにもこれが召還や空間転移の魔術で発生する魔力のうねりに似ていると理解できた。
 悪魔が来るのだ。
 その時に最も被害を被るのはダンテ達ではなく、この部屋に流れ込まんとする係員達とその次に餌食になるホテル内の人間全員だった。殺戮は悪魔が好む事の一つだ。
「ここを出るぞ。結界を壊したのなら俺達を襲う事が目的のはずだ」
 その言葉にキャスターが頷く。ダンテがベランダの窓を剣で叩き割っている間に、キャスターはローブの下から小さな木の実を取り出して床にばら撒き、普通の人間には発音できない詠唱を唱えた。その瞬間、室内を満たしていた魔力が霧散する。
 不意に周囲の圧迫感が消えた事に、ダンテは不思議そうに尋ねた。
「おい、どういう手品だ?」
「出現する座標の力場を崩して、転移を阻止したのよ。もう一度魔力が集まるまで時間を稼げたわ」
「ははっ、最っ高!」
 出現した悪魔達に鉛弾を叩き込み、剣を振るうスタイルを取る悪魔狩人であるダンテには、キャスターの行った事が本当に手品のように思えた。
「俺たちの荷物は!?」
「大丈夫、持ったわ!」
 答えるキャスターの方を見れば、紫のローブが揺れているだけで後は手ぶらである。しかし、彼女が魔術師である事を思い出すと、ダンテはそれ以上聞かずに部屋から飛び出した。
 窓を破ってベランダに躍り出ると、ダンテ達をほとんど沈みかけた太陽の残光が照らした。
 夜が来る。悪魔達の時間が。
「長い夜が始まりそうだぜ」
 ニヤリと笑い、ダンテはベランダから空中へと身を投げ出した。それにキャスターが続く。
 消えていく黄昏の中に、二人はダイヴした






『蒼白い月明かりの照らす真夜中に、眠らないでいる悪い子には悪魔がやって来て攫ってしまう』
 そんな話を子供は誰しも親から聞き、薄暗い部屋のベッドの下に潜むモンスターに怯えるものだ。
 そして世間一般が認める<子供>であるイリヤスフィールは、太陽から月へと空の主役を変えた時間に、薄暗い森の中で一人佇んでいた。
 少女の背後にはさながら魔城の如く、彼女の住むアインツベルン城が幻のようにぼんやりと佇んでいる。生暖かい風が吹き抜ける不気味な木々に囲まれ、イリヤは腕を組んで少女らしからぬ冷たい表情のまま周囲を見渡してた。
 こんな夜には悪魔がやって来る―――。
 すでに信じる事など数年前にやめた他愛もない昔話が現実であった事を、イリヤは目の前に広がる光景を見て知った。
 闇の滲む木々の間から、不気味な音を立てて人形の群れがやって来る。操る者のいない木人形達は、捻じ曲がった関節を動かして、まるでイリヤの存在に惹き付けられるように無数ににじり寄って来ていた。
 魔術ではない、それ自体は単なる木で組み上げられた人形がおぞましい生気を纏って迫る。常識の及ばない何かが目の前で展開している。
 しかし、その悪夢を目の前にして少女は恐れなど抱いてはいなかった。
「バーサーカー」
 短く告げる。ただそれだけで、彼女の忠実な下僕が眼を覚ました。
『■■■■■ーーーっ!!!』
 破壊の権化が具現化する。イリヤの目の前に出現した鋼の巨人は、迫り来る殺人人形の群れをその咆哮一つで吹き飛ばした。
 人の形を取った悪魔達。それは確かに常識を超えた、人間という卑小な存在には受け切れない恐怖の存在だ。それは確かだ。
 しかし、現れた狂戦士はそんなモノなど歯牙にもかけなかった。文字通り次元が違った。
 この世の闇に生きる悪魔達が、その手に血で錆びた短剣を握り、羽虫のようにバーサーカーへと群がる。刃を突き刺し、飛び散る返り血に酔い、闘争に歓喜する悪夢の存在達。
 しかし、残虐な結末など訪れはしなかった。突き立てられた刃は全て狂戦士の鋼の肉体に傷一つつける事叶わず、剛剣が唸り声を上げる度に、木製人形に宿った脆弱な悪魔たちがその存在ごと粉々に吹き飛ばされていった。
『■■■■■ーーーっ!!!』
 月明かりと木々が生み出す影に誘われるように、人形は無数に現れた。それ自体が呪いであるかのように、ただひたすら闘争に群がる。
 だがそんな枯れ木の集まりを狂える巨人は嵐となって蹴散らした。
 成す術もないとはこの事だった。秒単位で木で出来た屍達が粉々になって吹き飛んでいく。斧剣の斬撃を妨げる物など何もない。
 その森で行われた物は闘争などではない。単なる一方的な破壊活動に過ぎなかった。
「……」
 目の前で行われている<破壊>を、イリヤは変わらず冷めた眼で眺めていた。
 これは戦闘ではない。単なる破壊であり、癇癪を起した子供が玩具の人形を壊す事と何ら変わりない。そんな光景に何ら感情を抱く事などないのだ。
 しかし、彼らは見た目どおりの人形ではなかった。捻れた命を持つ、思考する存在だった。
 何十という同族が鋼の狂戦士に吹き飛ばされる中で、彼らは本能的にその少女が巨人の主である事を察知した。何より彼らが求める物は、生ける者が吐き出す恐怖の感情であり、恐怖を失くした狂った魔人と戦う事ではなかった。
 ならば後は、彼らがいつもやるようにその短剣を少女の胸に突き立て、甲高い悲鳴を上げさせるだけだ。泣き叫ぶ子供を攫っていく悪魔が、まさに彼らなのだから。
 とにかく数だけはまるで蛆のように湧いて出てくる人形相手に、バーサーカーも全て対応できるワケではない。剣の嵐が吹き荒れる中心から離れた場所にいたマリオネットの一体が、その上半身を独楽のように回転させ始めた。歯車やネジがそうであるように、人形の関節だからこそ可能な動きだ。そのまま回転の勢いに乗せ、イリヤに向けて短剣が一直線に投擲された。
 イリヤは視線をバーサーカーに向けたまま動かない。空を切り裂く錆びた刃は、少女の柔らかい首を無残に貫かんと迫る。
 だがそれは射線に割り込んだ白い風に阻まれた。
 白いドレスのような装束に身を包んだ侍女が、その両手に持つ不釣合いなライフル用の細長い銃剣(バヨネット)を一閃させて飛来する短剣を叩き落とす。その細腕の割りに強力な一撃は、錆び付いた刀身を粉々に砕いた。
 更に、金属を砕く音が響いたすぐ後に重い銃声が響き渡った。イリヤに向けて短剣を投げつけたマリオネットは、飛来した銃弾に頭部を吹き飛ばされて消滅する。
 その一連の音に、ようやくイリヤは視線を動かした。
「お嬢様、少々油断が過ぎます」
「今のちょっと危なかった」
 イリヤの左右に立ち従う白い従者達。
「セラ、リーズリット」
 イリヤは小うるさそうに二人の名前を呼んだ。その時だけ、イリヤは冷酷で無感情なマスターではなく年相応なお説教を嫌がる少女だった。
「聖杯戦争にはアナタ達は手出ししないって話じゃなかった?」
「はい、そうです。私たちはお嬢様の身の回りのお世話をするメイドに過ぎません。聖杯戦争はマスターであるお嬢様の戦いであり、アインツベルンの使者である者の使命です」
 セラという名の従者が、その冷え切った視線を周囲の魑魅魍魎に向けたまま饒舌に、しかし平坦に告げた。その両手には鈍い輝きを持つ銃剣の刀身がある。
「でも、これはちょっと変」
 反対に佇むリーズリットが端的に答える。セラも従者らしく感情を表に出さない顔であったが、リーズリットは表情自体がないかのようだった。だがセラとイリヤは、彼女がその無表情の仮面の下で結構不遜な事を豊かに考えている事を知っている。
「こいつら、悪魔」
 簡潔な事実のみを告げて、リーズリットは無造作に背後から迫ってきた人形の頭を撃ち抜いた。振り上げた右腕には黒光りする大型の銃が握られている。
 その銃は正式には<モーゼルC96>と呼ばれるドイツ製のセミ・オートマチック拳銃だった。頑丈なフレームに覆われ、トリガーの前に弾倉が固定された特殊なフォルムを持っている。
 強力だが、無骨なフレームと長い円筒銃身から分かる通り、かなりの重量を誇るその銃をリーズリットは片手で持ち上げていた。しかも残った左腕にも同じ銃をぶら下げて尚平然としている。
 細長い銃剣を握るセラがスレンダーな印象を受ける傍で、リーズリットは二挺の大型拳銃とついでに胸のボリュームも合わせて圧倒的な迫力を持っていた。
「マリオネットと呼ばれる下級の悪魔のようです。ですが、これほどの数ならば敵の魔術師が使役しているという可能性はないでしょう」
 書物で読んできたような事務的な内容を淡々と答えながら、セラもイリヤに近づく人形の群れを両手の刃で切り裂いていく。白いスカートが美しく翻り、その動きはまるで剣舞でも見ているかのようだ。
「この数、ちょっと異常」
「悪魔が現界する事自体稀な事です。それにこの国では悪魔の目撃例は一度も確認されていません」
「ふーん、少しイレギュラーな事態が起こってるみたい。どうでもいいけど」
 何があったって聖杯はわたしのだし。イリヤはつまらなそうに呟いた。
「ま、夜中に人の結界を壊して押し入ってきた奴らにはちょっとお仕置きが必要ね。マスターでもない敵なんて、居ても意味ないし」
 その幼い顔に冷徹な笑みを浮かべて、イリヤは徐々に数を減らし始めた人形達を眺めた。見て楽しむこともできないガラクタの人形劇になど興味はない。ただわずらわしいだけだ。
「わかった。じゃあ、セラとリーズリットも参加して。さっさと片付けて寝たいから」
「わかった」
「承知しました」
 互いのエモノを構えて、二人のメイドが一歩前に踏み出す。その全身を強化の魔力が覆っていた。
「バーサーカーもいるし、無理しなくていいよ」
 イリヤが何気なく二人に声を掛ける。しかし、その言葉がよほど意外だったのか、感情を表に出さないセラとリーズリットが僅かに眼を見開いてイリヤに振り返った。
 二つの凝視する視線に、イリヤは思わずたじろぐ。
「な、なに……?」
「イリヤ、私達心配するの珍しい。っていうか初めて?」
「そうですね、私達はお嬢様をお世話する人形に過ぎないと思われていた筈ですが」
「……っいいじゃない、別に! 二人が死んだらちょっと困るし、こんな奴らに殺されるのも馬鹿みたいじゃない!?」
 焦ったように言い返すイリヤに対して、しかしセラとリーズリットは子供に対して母親が向けるような笑みを浮かべた。
「いえ、悪いとは申しません。ただ少々意外で、少し喜んでしまいました」
「うん、やる気、出た」
 再び前を見据えるセラとリーズリット。その瞳には最初の機械が作業を行うように事務的なものではなく、確かな闘志が宿っている。
 その二人の背中を見て、イリヤは焦るのを止めた。自分らしくないとは思いながら、決して短い付き合いではないこの二人に、今更隠すまでもないと言葉を続ける。
「元々戦闘に向いた体じゃないんだから、十分注意しなさいよ」
「はい。元より、この身はお嬢様の為に」
「イリヤほど虚弱体質じゃないから、大丈夫」
「って、わたしは虚弱なんかじゃない! もう、やっちゃえ!」
「了解」
 途端にリーズリットのモーゼルが轟然と吼え、バーサーカーの嵐を運良く潜り抜けた人形を次々と撃ち砕いていく。射撃の反動をその細腕で完全に押さえ込み、確実に銃弾を命中させていった。
「―――お嬢様は、少し変わられましたね」
 喜びと、ほんの少しの寂しさを表した微笑を肩越しに浮かべて、次の瞬間セラが風のように駆け出した。
 左右の剣が音もなく閃き、すれ違い様人形の関節を一刀の元に切断していく。銃の先端に取り付ける為に軽量化された銃剣の太刀筋は鋭く速い。緩慢なマリオネットたちの動きは、その美しい白い影を捉える事など出来なかった。
 二匹の白い獣が疾走する中心で、鉛色の巨人が咆哮を上げて敵をただの木片へと変えていく。
 イリヤはそれを見ていた。
 蹴散らされていく悪魔達。彼らのガランドウの瞳を覗き込むと、心の奥底から湧き上がって来る僅かな寒気がある。
 それは、もちろん恐怖だ。
 人間が魂の根底に刷り込まれた、悪魔に対する恐怖だ。それを逃れる事は、人の形を持つ者である以上誰であっても出来ない。
 だが―――。
「違う……」
 イリヤは知らず拳を握り締めた。
 こんな物じゃない。本当の悪魔というものは、こんな物じゃない。
 より圧倒的で、より絶望的で。見る事が耐えられず、知る事にすら恐怖する。どうしようもない絶望を抱いて尚眼を背ける事を許さない、闇の存在。
 そしてその圧倒的な恐怖の中で、時として思わず魅入られてしまう魔の権化。
 それが、彼女の知る悪魔だった。
「ダンテ……」
 人間が作った枠など容易く破壊する。その力を見る。その力を知る。
 聖杯戦争というモノの為だけに作り出された少女は、その時初めて他人を知りたいと思った。






「まったく、どっから湧いて出てくるのよこの金食い虫ーっ!!」
 ヒステリックな声を張り上げて、凛はもう幾度目かになる宝石の投擲を行った。ペリドットが、ガチャガチャとうるさく動き回る人形の群れの中心へと放り込まれ、次の瞬間蓄積された魔力を炸裂させた。
 その宝石の色と同じように、緑色の神秘的な爆炎を撒き散らしてマリオネット達を飲み込んでいく。
 ペリドットには悪魔を祓う力が宿っていると言われている。広範囲に広がった魔力の炎は人形に宿る事でこの世に留まるしかない下級の悪魔達を片っ端から消滅させていった。
 宝石の輝きが悪魔達を討ち払っていく。そんな幻想的な光景を見て、しかし凛は感動など出来ない。その光景に、手のひらから消えていった宝石一個分の値打があるなんて思いたくない。
「ああっ、聖杯戦争とは関係ないのになんて散財! 最悪よ!」 
 新都を聖杯戦争のマスター探しの為に練り歩いていた時、その悲鳴を聞いて周囲に誰もいなかったのは運が良かった。夜はほとんど人が寄り付かない冬木中央公園の付近を歩いていた事自体が幸いだったと言ってもいい。
 お昼には周囲のビルの会社員達がのんびりと休憩して過す自然公園だが、そこがかつて起こった大災害の中心地であるというせいか、公園の更に中央にある広場にだけはほとんど人が近づく事はない。魔術師である凛の感性にも、その場所は不吉な何かを訴えかけて来る為普段は立ち寄らない場所だ。しかしそこから甲高い人の悲鳴が聞こえた時、凛は躊躇う事もなくそこへ足を踏み入れた。
 彼女を迎えたのは、二つの死体に群がる人ならざる者達の血に濡れた宴だった。
 男女二つの死体はおそらくこの公園に立ち寄った恋人達だったのだろう。そう推測する凛の視界には、今やそれがかつて人であった事すらはっきりと判らない程無残に切り刻まれた肉片が転がっていた。
 死体を玩具のように弄ぶのは、返り血に濡れた悪魔の群れだった。
 凄惨な光景に体を強張らせる凛の傍らに、アーチャーが黙して現れる。その両手には既に白と黒の剣が握られていた。横顔に刻まれた鋭い瞳には、怒り。
 そして、合図など必要もなく戦闘は始まったのだ。
「悪魔か。なかなかやっかいなモノだが……」
 走る白と黒の閃光。アーチャーが両手に持った二本の湾刀は、色を除いてまるで照らし合わせたように似通っていた。丁度それは光と影、表と裏、男と女を象徴するように。
 剣と言うには短く、ナイフと言うには少々長いその刃を翻し、アーチャーは弓兵の名前らしからぬ流れるような動きで魔人形達の合間をすり抜ける。
「遅いな。あまりに動きが緩慢過ぎる」
 恐るべき悪魔達を嘲笑うかのように、アーチャーは四方八方から飛来する短剣を、あるいは避け、あるいは弾いて、その隙に素早く刃を滑り込ませていった。腐りかけた木で出来た人形の体は、その一撃でいとも容易く両断されていく。
「アーチャー、弓!」
 凛の甲高い声に、アーチャーは反射的に振り向いた。丁度視界の先で凛が悪魔相手に強化シャイニング・ウィザードをぶちかましたところだった。
「援護が必要なようには見えないが?」
「すんごいダメージ受けてんのよ、貯金に!」
 答える凛の声は、別の意味で追い詰められた悲壮な色を滲ませていた。
 宝石に魔力を蓄積して放つ凛の魔術は、その威力の高さからこういった大規模な戦闘に向いているように思えるが、実は結構諸刃の剣である。爆発一つで札束が燃えていく事を考えれば、大量の敵を相手にする物量戦には圧倒的に不向きだ。
 とにかく戦闘開始して延々と出現し続けるマリオネットの群れに、凛はすでに手持ちの宝石の半分以上を消費していた。
 言ってる傍から、凛の目の前でン十万円の爆発が炸裂していた。間接的に凛を蝕んでいくダメージ。まさに血を吐くような表情で、凛はその爆発を睨んでいる。
 アーチャーはその様子を見て苦笑しながら肩を竦めると、何処からともなく弓を出現させた。通常の弓よりも一回り小型の物を構え、空いた手には10本以上の銀製の矢を持つ。
 敵から距離を離し、一本目の矢を弓につがえると、次の瞬間人智を超えた凄まじい勢いで投射し始めた。
 連続して空を切り裂く音が響き、まるでマシンガンのように次々と銀光が人形の群れを射抜いていく。コンクリートを穿つだけの威力を持つ矢が嵐のように敵を薙ぎ払った。
「いいわよ、じゃんじゃん撃っちゃって! アーチャー!」
「了解した」
 背後から迫ってきた敵をガンドの連射で吹き飛ばした凛が叫び、アーチャーがそれに更に矢を射る事で力強く答えた。






 乾いた車道をタイヤが滑るようにして駆ける。全身を切り裂く夜気は、炎のようなダンテのコートを強くはためかせた。
 深夜の道を他の車両が高速で駆け抜けていく。そして更にそれを思いっきり加速したダンテのバイクが縫うようにしてすり抜けていった。後ろにしがみ付いたキャスターは甲高い雄叫びを上げるエンジンに、小さく悲鳴を漏らしそうになった。
「ちょっと、スピード上げすぎじゃないの?」
「お前の時代の馬はこんなに速く走らなかったか?」
 肩越しに聞こえる抗議の声を笑って無視すると、ダンテは更にバイクのギアを一段上げた。流れていく景色をすり抜けるエキゾースト・ノート。
 前輪が突き出たタイプではなく車体に引っ込んだ、弾丸のような流曲フォルムを持つスーパースポーツバイク。後輪を挟む野太い四本のマフラーから凶悪な咆哮を上げるそのクリムゾンレッドの単車は、鷹の目のようなライトから眩い光を溢して、夜の闇を引き裂き新都の中心へと向かっていく。
「こっちで間違いないか?」
「ええ、複数の魔力を感じるわ。地図で言うと……丁度自然公園のある場所ね」
「ああ、あの辛気臭い所か。悪魔どもの好みそうな場所だ」
 悪魔の残滓を追い、これまでの偵察と記憶した地図から場所を割り出すキャスター。それを聞いてダンテは獰猛な笑みを浮かべた。
 これまでの経験と背筋に走るゾクゾクした寒気が、今夜悪夢が起こる事を予感している。そう、今はまさに悪魔の動く時間だ。
 高ぶる心のままにグリップを捻って更に加速すると、フードを吹き飛ばされまいとキャスターが必死でしがみ付いた。
 街の喧騒と人工の光の群れを抜け、やがて人通りの少ない道に抜け出すと、視線の先に公園の入り口がぼんやりと見え始めた。同時に風切り音に混ざって、剣戟の音と何かが破壊される音が耳を突く。
「人払いの結界に入ったみたいね」
「ハハッ、気が早いぜ! パーティーはもう始まっちまってるか?」
 ほとんど減速もせずに勢いよく車体を倒す。タイヤと地面が摩擦で削り合う焦げ臭い音と甲高い悲鳴が上がり、じゃりっとかすかにダンテの膝が擦れる音も響いた。絶妙といえば絶妙で、危険極まりない角度のカーブを描き、バイクは吸い込まれるように公園の中へと突進していった。
 月明かりとヘッドライトの強烈な光に照らされて、ダンテにとっては馴染み深い人形達が徘徊する姿が闇に映し出される。公園の入り口に備えられた広い駐車場では、数体のマリオネットが突如侵入してきたダンテ達にゾンビのように群がろうとしていた。
 このまま跳ね飛ばしてやろうと思ったが、バランスの悪い二輪車での体当たりなど無謀過ぎる。あっという間に転倒してしまうだろう。
「キャスター、何とかしろ!」
「人使いが荒いわね」
 ぼやきながらもキャスターはあらかじめ組んだ印を詠唱と共に解放した。
 それまで風になぶられるままだったキャスターのローブが、自らの意思を持って引き千切る風に逆らい蠢き始めた。それ自体が夜の闇であるかのように伸び、広がり、波が地面を浚うようにしてバイクの車体を覆っていく。
 バイクとそれに乗るダンテやキャスター自身を飲み込むと、ローブは瞬時にしてその色を失い、硬質化して鉛色の壁となった。
『こいつはたまげた!』
 壁の内側で、ダンテが新しい玩具を見つけた子供のような歓声を上げた。
 歪な甲羅に守られたバイクが弾丸のように加速して敵中に突っ込んでいく。
 装甲車もかくやと言わんばかりの凶悪な変貌を遂げた敵に、マリオネット達はあるいは斬り掛かり、あるいはその短剣を鋭く投擲したが、鋼の装甲の前には全て虚しく弾かれるだけだった。逆に進路上にいる憐れな障害物達は、激突と共に腐った木片を飛び散らせながら容赦なく轢き飛ばされていく。
 ボーリングのようにピンを薙ぎ倒して、ダンテ達は公園の奥へと疾走して行った。やがて淀んだ空気で満たされた中央の広場へと辿り着く。芝生をタイヤで引き千切りながら、エンジンの咆哮が既に戦闘を始めていた中心に突入した。
 見覚えのある二つの赤い影が揺れ、悪魔の憑いた呪いの人形を次々と薙ぎ倒していく光景が見えた。
「なにっ!?」
 目の前の人形の腹に黄金の右を叩き込んだ凛は、突如乱入した機械の雄叫びに振り返った。それは偶然、自分の背後に迫った敵を視界に捉える事に繋がった。
 その瞬間。
 暗夜を引き裂き、排気音が雷鳴のように轟き、砲弾と化したバイクが悪魔のどてっ腹を横殴りに弾き上げた。人形はその身を芝生に強く打ち付けると、それまで木片を人の形に繋いでいた何らかの力を失ったかのように、あっけなくバラバラになって地面に飛び散った。
 呆然とする凛の目の前に装甲を歪に貼り付けたバイクが停車する。そして停止した途端、甲羅のように硬く車体を覆っていたローブが、水を掛けてふやけていくかのように柔らかく歪み、あっという間に本来の姿へと戻っていった。ローブの下から覗くキャスターの美しい微笑。風に流れるローブは、もはや何の変哲もない紫色の布だ。
「悪いな、遅れちまった。パーティーのご馳走はまだ残ってるか?」
 バイクから降り立ったダンテは、いつもの人を食ったような笑みを浮かべてそう言った。
「いい加減、アンタの唐突な登場には慣れたわ」
 悪魔の群れに囲まれた中心で普段と変わりない気安い声を聞いて、凛は何かに諦めたようにため息を吐いた。ダンテの傍らでは、スタントプレーさながらの運転で三半規管を存分に撹拌されたキャスターがよろめきながら地面を踏み締めていて、そのヨロヨロとふらつく古代の魔術師の威厳もへったくれもない姿に凛は思わず苦笑した。
「―――いらっしゃい、パーティーはこれからよ」
 ぞくりとするような冷笑を浮かべ、凛はダンテの皮肉を真似て口ずさんだ。
 風を切る。翻る二つの赤いコートが交差し、次の瞬間凛とダンテは背中合わせになって互いの背後に迫った敵に向けて自らの銃を突き付けた。
 ダンテの左手から伸びる黒い銃身が鋼の咆哮を上げ、凛の左手の人差し指から魔力の炸薬で撃ち出され魔術刻印の銃身を通って放たれた呪いの弾丸が、互いの標的に命中した。凶悪な破壊力を秘めた45口径拳銃と、コンクリートの壁を抉る程の物理的攻撃力を備えたガンドは敵の頭を問答無用で破砕する。
「「ジャックポット」」
 小気味よく、二人の呟きが重なった。
「……で、何これ?」
「見ればわかるだろ? 子供の頃ベッドの下にいると信じてた奴らさ」
 長年の相棒にそうするように背中を預けたまま、周囲の闇で蠢く悪夢のような人形劇を眺めて凛が尋ねる。それにダンテも周囲から視線を外さぬまま、何故か楽しげに答えた。
「貴様も同類ではないのか?」
「アーチャー、いちいち挑発しないで。今は彼らと戦っている時じゃないわ」
 そこは自分の場所だと言わんばかりに、アーチャーが凛の背後に割り込みながら剣を突きつけた。それを凛が叩いて諌める。
「だとさ、石頭。いい女をマスターに持ったな、お前みたいな堅物には勿体ねえ」
「アナタも挑発しない」
 嘲笑うダンテをキャスターが諌めた。こちらはかなり強烈な衝撃が頭蓋に響き渡った。
「いい従者を持ったな。羨ましい」
「ファック」
 お返しとばかりに冷笑を浮かべるアーチャーに、後頭部を擦りながら中指を立てる。
『聖杯戦争中に出会ったマスター同士は戦い合わなければならない』という定石を、全員が暗黙の中で無視して四人は徐々に包囲を輪を狭めるマリオネットの群れに向き直った。
「こういうのって、あんたの専門分野じゃないの?」
「俺の職業を知ってるのか?」
「あんたの素性を少し調べたら出てきたのよ。教会の悪魔祓いとは違う、裏の職業<悪魔狩人>の中でも屈指のハンター、ダンテってね」
「意外と有名だったんだな。その割りに、あまり儲かる仕事じゃないんだが」
 ダンテは鋭く鼻先に突き出された人差し指を避けるかのように顔を斜めにすると、苦笑しながら肩を竦めた。
「悪魔の存在自体が希薄だったから、眉唾の職業だったんだけど」
「胡散臭いイカサマ祈祷師でも想像してたか? だが奴らは確かに存在する。問題は、その存在の痕跡を残さず、そもそもこの世界に現界する事自体が稀だって事だ」
「じゃあ、この馬鹿みたいに溢れてる奴らは何なのよっ?」
 凛がヒステリックに叫びながら周囲の闇を指さした。
「さあな」
 素っ気無く答え、ダンテは無造作に足を踏み出した。
 左右の拳銃を胸の前で交差させる、これから撮影にでも挑むモデルのような気取ったポーズ。冷たい気配と今にも破裂しそうな緊迫感の中での場違いな演出は、しかしまるでこれから始める凄惨な儀式に対する祈りのように冷たく厳かなモノだった。
「こいつらが出てきた以上、俺がする事は一つだけさ」
 歯を剥いて笑う。その横顔は、凛がこれまで見てきたダンテの不敵な笑みとは似て非なる歪みを刻んでいた。
『ダァァァンテェェェ……ッ』
『ダァァァンテェェェ……ッ』
 それは呪詛だった。人の声のようでいて違い、風が吹き木々の揺れる音のようでいて違う。蠢く悪魔達と、そこにわだかまる闇が声高に張り上げる呪いの言葉だった。
 ダンテ。その名前にあらゆる憎しみと殺意を込めて、悪魔達は謳うように叫び続ける。その寒気がするような声を聞き、凛は今まで感じた事のない恐怖に顔を歪めた。
「ハッ、どうやら向こうも俺を指名してるらしいぜ」
 その呪詛に、ダンテは真っ向から対峙する。
「OK、来いよベイビー。熱いキスをしてやるぜ」
「……くだらん」
 今まさに襲い掛からんとする悪魔の群れとそれを迎え撃つダンテを鼻で笑い飛ばして、並ぶようにアーチャーが一歩踏み出した。その両手には、まるでダンテと相対するように白と黒の剣が握られている。
「奴らと貴様の因縁など知った事か。私はサーヴァントとして、私の役割を果たすだけだ」
「そうかい、だったらせめて足を引っ張るなよ」
 憎まれ口を叩くアーチャーに対して、ダンテは愉快そうに笑いかけた。鋼鉄のような横顔がそれに応える。目の前に立つアーチャーの屈強な背中を見て、凛はようやく我に返った。
 そうだ。アーチャーがサーヴァントとして役割を果たすと言うのなら、自分はマスターとしての役割を果たさなければならない。
「あの人形達の仕組みは、魔術で作るゴーレムとさして変わらないわ」
 隣に佇むキャスターが、凛の決意を察して静かに告げる。
「依り代に宿る魔力を崩してしまえば、糸の切れた人形と同じ。解呪(ディスペル)するわよ」
「わかったわ」
 キャスターの言葉の意図を理解した凛が力強く頷いた。
「アーチャー、そういう訳だからアイツらを近づけないように足止めして」
「了解した。だが……」
 肩越しに振り返るアーチャーは、凛にとって良く馴染んだ皮肉屋な笑みを浮かべて呟いた。
「足止めと言うが、別に倒してしまっても構わんのだろう?」
「……ええ、思いっきりやって構わないわよ」
 従者の冷笑に、主は不敵な笑みを返してやった。
 その言葉を明確な自我を持つかどうかも疑わしい人形達は挑発と受け取ったのか、あるいはこれまで通り唐突な本能のままなのか、敵が一斉に動き出した。
 それと同時に、二つの真紅が闇を切り裂いて駆け出す。流れるように繰り出される白と黒の斬撃が甲高い音を立てて敵を薙ぎ払い、白と黒の獣がでたらめに吼えまくって憐れな標的を粉微塵に吹き飛ばしていった。
 倒しても後から押し合うように迫り来る悪魔達の襲撃。しかし、埋め尽くさんとする闇の進行は二つの炎を消し潰す事は出来なかった。
「いい動きだ、てめえにも俺の『おこぼれ』くらいならやるぜ!」
「貴様はせいぜい『後始末』でもしていろ」
 赤い獣が二匹、闇の戦場を縦横無尽に駆け回って悪魔を駆逐していく。剣戟と銃撃の中で、投げつけられた短剣が顔のすぐ横を掠めていく状況でも、凛とキャスターは集中力を乱す事無く印と詠唱を結んだ。
 凛は呪文を途切れさせる事無く、横目でキャスターの様子を伺った。
(こっちの呪文と掛け合わせてる。やっぱり魔術師としてのレベルは違うか……)
 その場で即席の呪文を作り出しながら、凛の魔術と同調し、その効果を高めるように術式を展開するキャスターに凛は感嘆の声を内心で漏らした。同時に言い様のない高揚を感じる。天才と呼ばれた彼女は、初めて自らが目標と出来る相手を見つけて歓喜していた。
 周辺のマナが二人の干渉によって歪みを見せ始める。悪魔達は敏感に周囲の空気の変化に反応したが、全ては後の祭りだった。
 二人の詠唱が終わった瞬間、波紋のような魔力のうねりが周囲を駆け抜け、禍々しい魔力を洗い流して、悪魔達は文字通り糸の切れた人形のようにバラバラと崩れ去っていった。




「ねえ、こいつらひょっとして下っ端?」
 地面に散乱する人形のパーツを踏みつけて、凛がその場の誰にともなく尋ねた。凛の足の下で、魔力を完全に失った木片は煙のように消滅する。そこには灰すら残らなかった。
「ああ、悪魔の中でも下の下だ」
「だが数だけはいるようだな」
 銃を納めながらダンテが凛達の元へ戻ってくる。それにアーチャーが続いた。
 つい先ほどの死闘がまるで嘘のように、この世ならぬ静寂に包まれた広場を冷たい夜気が抜けていく。その場には、もはや四人以外いない。
 ダンテは黙したまま自分の腕に視線を落とすキャスターを訝しげに見つめた。
「……どうした、キャスター?」
「……」
 キャスターが無言で手を持ち上げる。そこには衣服を切り裂いて、薄っすらと赤い線が引かれていた。おそらく先ほどの乱戦でマリオネットの錆びた短剣に斬られたのだろう、荒く刻まれた傷口からは鮮血が流れ出て袖を赤く染めている。
「痛いわ」
「舐めてやろうか?」
「そうじゃない、サーヴァントの体に傷を負わせたという事よ」
 キャスターの言葉の真意を察した凛が、あっと息を呑む。冗談交じりの笑みを浮かべていたダンテが口の端を下げ、アーチャーがわずかに呻いた。
 キャスターは無言で傷口に手をかざすと、ただ撫でるだけでその傷を癒した。手のひらをどけた後には、傷どころか衣服の破れさえ綺麗に修復されていた。
「あの人形は下級の悪魔と言ったわね。だとすれば、力に関係なく悪魔と言う存在自体が英霊に匹敵する神秘だという事よ」
「……上級の悪魔って、どれぐらい強いの?」
「さあね、詳しくは知らないが……俺の知っている中でもかなりとんでもないのが何匹かいたな。もっとも、そういう上等な奴は滅多に現れないんだが」
 肩を竦めるダンテの言葉に、全員が強い疑念を抱いて沈黙した。
 未知の力を持つ悪魔。ダンテの『滅多に現れない』という言葉にも、全く安心する事など出来ない。現に今夜、悪魔と言う有り得ないはずの存在がこの街に出現してしまったのだから。
 そして何より、つい先ほど目にした眩暈のするような光景が脳裏に焼き付いている。
 闇から滲み出るように、無尽蔵に現れる悪魔の群れ。あれが再び襲い掛かってきたら。そしてそれが、街に現れたら―――。
 サーヴァントとて所詮は単体だ、一人で軍団を相手に戦争は出来ない。最悪の光景を思い浮かべて、凛は慌てて頭を振った。
 凛はこの場で最も話の通じる相手に視線を送る。
「キャスター、同じ事考えてる?」
「ええ、一時休戦にしましょう。今は状況を判断する要素も少なすぎるわ」
「同感」
 二人は頷き合い、無言の下で握手を交わし、協力し合う事で同意した。既に判断をキャスターに任せて、諦めた笑みを浮かべるダンテと仏頂面のアーチャーがそれを見届ける。
「それじゃあ、次は衛宮君の所に向かいましょう」
 そして凛は、もう一人交渉を受け入れる可能性のある少年を思い浮かべて、全員を促した。






 衛宮士郎は悪夢と戦っていた。
 これだけ分かりやすい悪夢もないだろう。目の前で奇妙な踊りを踊るように蠢く不気味な人形の群れを見つめ、士郎は意識を現実に引き止めながら内心呟いた。
 異変は唐突だった。
 その日の夕方頃から、奇妙な予感を感じていなかったと言えば嘘になる。虫の知らせとでも言うような、言い知れぬ不安があった。それはもちろん自分が戦争の真っ只中にいるという現実も影響しているだろうと思っていたが。
 しかし、セイバーと二人だけの夕食も終わって風呂を済ませようと縁側を歩いていた時、『奴ら』は唐突に襲撃してきた。
 薄暗い庭に血のように赤い光がぼんやりと浮かんだかと思うと、何もない空中に魔方陣らしき模様が浮かび上がり、それをゲートにして古ぼけた人形の群れが地面に降り立ったのだ。
「シロウ、後ろです!」
「……くっ!」
 四方に注意を払い、襲い来るプレッシャーと死の恐怖に消耗していた精神に、セイバーの声が冷や水を掛ける。反射的に士郎は手に持った武器を振り返り様薙ぎ払った。強化の魔術によって鋼鉄並みの硬度を持った木刀が、振り下ろされた短剣を弾き返す。
 返す刀でマリオネットの横腹に一撃を叩き込むと、脆い体はくの字に折れ曲がって容易く砕かれた。
「大丈夫ですか、シロウ?」
「ああ、なんとか」
 荒くなった呼吸を整えながら、いつの間にか背後を守るように駆けつけてくれたセイバーに応える。さすがにこちらは息一つ乱れてはいない。その並外れた身体能力もあるだろうが、何よりも多数との戦闘に慣れているのだ。
 セイバーは生前騎士だった。英雄となるからには戦乱の世で活躍しただろう事は容易く想像できる。彼女が経験した戦争の中で戦った敵の兵士や兵団に比べれば、愚直に前進し標的に斬り付けるだけの、文字通りの操り人形など大した脅威ではない。
「それにしても、こいつら何処から沸いて出てるんだ……?」
 しかし、魔術師とは言え少し前まで一般市民であった士郎にはかなり辛い状況だった。
 屋敷の広い庭には人形の群れがひしめき合っている。既に士郎が何体かを、セイバーがそれこそ片っ端から蹴散らしているのだが敵の数は依然減らない。
 出口の見えない戦いと、暗闇から迫る敵のプレッシャー、そして何より人形達の放つ禍々しい波動が士郎の精神を蝕んでいた。
 虚ろな仮面の瞳を、覗き込むだけで寒気が沸き起こる。その姿を視界に納めるだけで足が竦む。
 士郎は恐怖していた。悪魔と言う、人間が古来から怪物と恐れてきた存在に。
 耳元で響いた金属音に、士郎は身を竦めた。見れば足元には錆びた短剣が転がり、セイバーの不可視の剣が空を薙いでいる。敵の投げた短剣を打ち落としたらしい。
「す、すまない、セイバー」
「いえ、この異常な状況では仕方ありません。苦しいでしょうが、今は意識を周囲に向けてください。恐怖に呑まれれば死ぬだけです」
 セイバーの声に糾弾する色などなく、油断無く周囲を警戒する横顔がとても力強かった。
 自分の情けなさに、唇を強く噛み締める。セイバー一人ならば、きっともっとうまくやる。縦横無尽に戦場を駆け抜けて、その神々しいまでの銀光で悪魔どもを切り裂いていくだろう。その彼女が思うように動けないのは一重にマスターである自分をサポートしようと意識を裂いているからだと、士郎は理解していた。
 ならば、今自分に出来る事は、諦める事でも敵を倒す事でもない。全力で自分の身を守り、セイバーの足枷にだけはならない事だ。
「来ます!」
 セイバーが叫ぶと同時に、それが予言であったかのように敵が動き出した。ガチャガチャと耳障りな音を立てて、生きた標的に群がらんと迫り来る。
「ハァッ!」
 セイバーの凄まじい剣圧が、一振りで複数の人形を吹き飛ばした。
「うおおおっ!」
 二体同時に斬りかかって来た攻撃を、士郎が裂帛の気合と共に弾き返す。セイバーとの鍛錬がここで活きてきた。実力の違うセイバーの攻撃を受け続けた士郎は、防御に関しては常人以上に発達している。緩慢なマリオネットたちの動きなど、冷静になれば予測すら出来た。
(落ちついて行け。こんな奴ら、あの時に比べたら脅威でもなんでもない)
 返す刀。横薙ぎにしてフルスイング、敵を吹き飛ばす。
(ランサーだって。バーサーカーだって。こいつら以上の敵だった)
 跳んでくる刃を、紙一重などと欲張らずに確実に身を捻って避ける。武器を失った敵を無理には倒さない、背後からの攻撃に備える。
(ああ、そうだ)
 打ち、払い、返し、斬り、その作業に没頭しながら、自分が次に何を出来るか冷静に判断する。恐怖になど捉われない。敵は敵だ。それ以外の何者でもない、と。
(そうだとも!)
「だあぁっ!」
 一直線に振り下ろした木刀が、人形の額を唐竹割りにして砕いた。もう敵の数を数えるなどと言う無意味な事などしない。士郎はすぐさま別の標的に視線を移す。
 ―――そして、どうしようもない悪寒を感じた。
 勘と言えば聞こえはいいが、その時士郎の体を突き動かしたのは恐怖だった。例えば猛スピードで走る巨大なトラックの目の前に立った時、死ぬと直感した時感じる恐怖と全く同種の感覚を受けて、士郎は何も考えずに握っていた木刀を左側に回した。
 次の瞬間、士郎は横殴りに吹き飛ばされた。
 決して小柄ではない体が勢い良く地面を転がる。どんな攻撃を受けたのかも理解できないまま、士郎は必死で体勢を立て直した。足を踏ん張って、視線を敵のいる方向へ投げつける。
 そこには、これまで現れた人形とは違う、鱗のような外皮を筋肉で盛り上げたトカゲの化物が三匹佇んでいた。
 そいつらは、人形にとり憑いた下級悪魔とは一線を画していた。トカゲか恐竜に人間の血を混ぜたような姿を持つソイツは、魔力だけを見ればマリオネット達にすら劣るだろう。しかし、その圧倒的な威圧感と悪魔が持つ恐怖感は遥かに上回り、何より人形と言う依り代が必要なマリオネット達と違い彼らはこの世界に適応した生身の肉体を持っていた。
 更に、その右腕には丸い小型の盾を備え、頭部も頑強な兜で覆い、左腕は鋼鉄の杭を移植したかのように不自然に巨大な爪を生やしている。その姿は単なる悪魔ではなく、人工的に完成された<兵士>の様相だった。
「シロウ……っ!」
 新手のトカゲ人間と睨み合う士郎に、セイバーが安否を気遣うように声を張り上げた。その声があまりに悲壮なものだったので、士郎は訝しげに思いながら、先ほどからやけに熱い左腕に視線を落とした。
 真紅が、視界を埋め尽くした。
 左手に今だしっかりと握った木刀は、その半ばから見事にへし折れている。受け切れなかった一撃に切り裂かれたのか、左の二の腕から肩に掛けて真っ赤な線が三本走っている。抉るようなその傷は、ドクドクと脈打ちながら鮮血を垂れ流していた。
「あ……っ」
 思い出したかのように激痛が走り、力が抜けて手の中から木刀の残骸が滑り落ちた。パックリ口を開いた傷を塞ぐように右手で押さえつけるが、指の隙間からあっという間に血が溢れる。
 瀕死の獲物と判断したトカゲの悪魔がにじり寄る様子と、その背後で群がる人形を蹴散らし、必死でこちらに駆け寄ろうとするセイバーの姿を、士郎は何処か他人事のように観察していた。
 死ぬ。このままでは死ぬ。
 四足歩行から少し進化したような低い姿勢でにじり寄る三匹のトカゲもどきは、本気になれば恐るべき瞬発力を誇るだろう太い脚を持っていた。大きく口を開き、見た目に違わぬ鋭い牙を並べた爬虫類のような歯を剥き出しにして、これから獲物を解体する事に歓喜の声を上げた。それはこの世に存在する、あらゆる生物の鳴き声とも違った。
 その『武具』とも言える巨大な爪を振り下ろされれば、衛宮士郎は単なる肉塊へと成り果てる。その非現実感から皮肉にも腕の痛みが我に返らせた
 死ぬ。それを止めなければ。止められなければ、死んでしまう。
 しかし、どうやって?
 強化した木刀をへし折るような一撃を防ぐ防具などこの場にはない。何より、その人間を超えた肉体から繰り出される攻撃に反応できるだけの力と技術が衛宮士郎には存在しない。


 ―――ならば、まずは武器。武器が必要だ。


 こいつに壊されない武器、木刀なんて急造のものじゃなく鍛え上げられた強い武器がいる。力と技術が足りないのなら、せめて上等な武器を。自分には不相応な剣を。
「……■は」
 士郎は無意識に『何か』を口ずさんでいた。それは呪文だった。強化の魔術ではない、現状を打開できるこれまでにない呪文が必要だった。
「■は■で……」
 考える必要などなかった。探す必要などなかった。その言葉は、たった一度だけ、しかも他人が紡いだ呪文なのに、何故かあるべき場所に納まるかのように自然と口を突いて出た。
 視界の中で、トカゲの怪物が三匹同時に勢い良く跳び上げるのが見える。一匹だけでも勝てる見込みなどないのに、三匹の同時攻撃。対抗手段を生み出さなければ、待っているのはミンチより酷い死に様だけだ。
 なら作る。武器を作る。
 無理でも作る。どんな犠牲を払ってでも作る。強化と複製、元からある物と元々ない物、その違いなど僅かだと思い込め。そうだ、考えている余分はない。なんとしでも偽装しろ。故障してもいい、どこかを失ってもかまわない、偽物だろうと文句はない、急げ、忘れろ!
「―――投影、開始(トレース・オン)」
 そして、士郎の手に鋼の感触が握り締められた。




 ソレを作り出すと同時に、士郎の意識は一瞬刈り取られた。敵が迫るコンマの状況で気を失うなど致命的な隙以外の何物でもなかったが、一瞬の空白を置いて覚醒した士郎が目にしたものは有り得ない光景だった。
 三体同時の疾風のような連続攻撃を、巨大な鋼の刃が弾いて逸らす。士郎の身長ほどもある、長く巨大な黒鉄の剣を自らが握り、攻撃を凌いだ他人事を観察する。
 必殺の一撃を完璧に防御されたトカゲ人間達は、悔しげに唸りながら後退した。
「……っぎぃぁぁっ!?」
 自らが生み出した巨大な剣を構えたまま、士郎はその重みと全身を駆け巡る激痛に膝を付きそうになった。士郎の作り出した剣は確かに極上で、そして彼には不相応な物だった。無理な物を生み出した魔術回路はオーバーロードしてズタズタに傷ついている。
 そして何より、その剣は彼の無意識が満たすべき条件を置いてけぼりにして生み出した不良品だった。
 その鉛色の光沢を放つ刀身を見る。一見美しいその刃は、しかし先ほどの攻撃を凌いだ事で、小さなヒビをその身に刻んでいた。
 士郎は視界に映るその光景を見て思う。ああ、違う。この剣は■■を斬る為の剣なのだから、この程度で傷がつくのならばそれは違う。偽物だ。そう理解した途端、剣のヒビはあっという間に全身に広がり、柄にまで達して粉々に砕け散った。
 仕方がない。この剣にはあらゆるものが足りなかった。
 満たすべき魔力が足りなかった。
 解析すべき情報が足りなかった。
 編むべき幻想が足りなかった。
 そして何より、作り手である自分の中に足りないものがあった。
 もう一度作る。水滴を落としたように滲んだ視界の中で、再び敵が攻撃態勢を取ろうが気にしない。セイバーの悲痛な呼び声も聞こえない。これは自分との戦い。勝つべきは『自分のイメージ』なのだ。
 足りない。魔力が足りない。この身にある魔術回路を全て総動員しろ。眠った回路は叩き起こせ。錆を落とし、無理矢理蓋を抉じ開けて流し込め。出来ない筈がない、何故ならこの身に走る回路は全て■を生み出す為だけに特化しているのだから。
「■は■で出来て……」
 足りない。情報が足りない。作り出すべき最適の武器が見つからない。
 あの赤い弓兵が使っていた二本の剣。あれならば作れるだろう、しかしあれでは足りない。『人を斬る』為の武器では駄目だ。今必要なのは、『悪魔を斬る』為の武器。悪魔を滅ぼし、切り裂き、ただそれだけを延々繰り返してきた悪魔どもにとって地獄のような剣が必要だ。
 ならば、探そう。検索せよ。衛宮士郎のこれまでの知識の中で、ソレに該当する武器がないのなら『ある場所』から情報を持ってこい。何処にでもいい、手を伸ばし、神経を伸ばし、触れろ。その克明な姿を目に刻め。検索せよ。
 ―――そして、士郎は<その剣>を見つけた。
 その記憶が誰のモノなのか、それはもはやどうでもいい。とにかく士郎は見つけた。おぼろげな記憶の中で、ただその刀身だけは鮮烈に刻まれた映像を手にした。
 ならば、後は作るだけだ。
 後は作り手である<衛宮士郎>に足りないモノを満たすだけだ。
 そしてそれは、すでに手に入れている。はめ込むべきパーツは既に手にしている。あの時聞いた■■■の言葉の通り―――そう、この体は。
「――― I am the bone of my sword(体は剣で出来ている)」
 撃鉄が起こり、そのたった一小節の言葉が<エミヤシロウ>を満たした。
 鉄が打たれる。火に放り込み、鉄の刀身を叩いて鍛える。そして錬鉄の火花が、夜の闇を切り裂いた。






「シ、ロウ……?」
 その場にいる全ての者が、士郎の手の中に現れた幻想に釘付けになった。
 セイバーはその刀身を有り得ない物を見るように凝視し、悪魔達はその刃の放つ輝きに恐怖に満ちた悲鳴を上げた。そう、それは確かに恐怖だった。夜の闇に潜み、支配する魔物達がその眼を恐怖に染め上げ、怯えた老女のような悲鳴を上げていた。
 作り出された剣は、この世で最も多くの悪魔を屠った武器。
 月明かりの下に掲げられた長い刀身は美しいラインを描き、鉄塊のように分厚く、それでいて酷く鋭利だ。口を閉ざした髑髏の装飾がある持ち手は、人が扱うにはあまりに禍々しい。
 一見異様なその剣には、しかし邪気などなく、特別込められた神秘もない。
 だが悪魔達はその剣に恐怖し、眼を逸らす事も出来ずに畏怖の念を抱いて震えていた。
「―――投影、完了(トレース・オフ)」
 その剣の名は<リベリオン>。かつて悪魔が振るい、幾千の同胞を裂き、幾万の同族を断ち、幾億の悪魔を斬った<反逆>の刃。









 そして、悪魔達は恐怖に哭き叫んだ―――。









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