ACT13「造花が笑う」



 屋上に設置された貯水槽の影に立つ、それは長身の女だった。
 奇妙な、それでいて顔の半分以上隠してしまうような眼帯をしている為に素顔は想像することも出来ないが、そのノースリーブのワンピースを纏わせた肢体は出るところは出てくびれる所はきゅっと締まった、魅力的と一言で済ますには足りないほどのスタイルの良さだった。
 ただ一言、『美しい』と言い切れる。
 しかし、それはあまりに整いすぎた造形。人間ではありえない神懸り的な美貌は畏怖すら感じ、同時にひしひしと感じられる異形の気配が、この女が人間ではないことを如実に物語っていた。
 その美女の手に持つ鎖。それは伸び、先端の杭が今ゆっくりと倒れようとしているダンテの胸に深々と突き刺さっている。
「あ……」
 その一瞬にして不意の出来事に、誰かが間の抜けた声を漏らした。
 ドォッ、と重々しい音を立てて、ダンテが仰向けに倒れる。そこに倒れる事を拒否しようとする意思は全く感じられない。まさに糸が切れた人形のように、心臓を貫かれた彼は力尽きたのだ。
 士郎は息苦しさを感じた。凛は心が凍りつくのを感じた。その圧迫感は、決して結果による影響だけではない。
 目の前で、死んだのだ。
 先ほどまで会話をしていた人間が、今は人間の形をした『物』へと成り果てたのだ。
「サーヴァントッ!!」
 その場の誰よりも早く反応したのはセイバーだった。殺気を漲らせて、そこに佇む眼帯の女を睨みつける。その言葉が士郎と凛を現実に引き戻した。慌てて二人は身構える。
 赤い空間。一対三の状況で対峙する。
「……遠坂、俺とセイバーで時間を稼ぐからあの人を」
「無駄よ、死んだわ」
「……っ!」
 表情を強張らせた凛が、それでも冷徹に士郎に宣言した。
 視線の先には、倒れたままピクリとも動かないダンテ。アイスピックよりも二まわり近く大きい鉛色の杭は、その凶悪な先端を心臓の位置に深々と潜り込ませている。
 士郎の脳裏に、フラッシュバックのように先日の記憶が蘇った。自分の体に潜り込んだ真紅の槍と死の感触を鮮明に思い出した。
 そうだ。自分は奇跡的に助かったが、今ならはっきりと断言できる。
 あれは即死だ。
「くそ……っ!」
 怒りで拳を握り込んだ。死んだのだ。目の前で、何の成す術もなく人が死んだのだ。
 それが悪人ならば、まだ良かった。いや決して許せる事ではないが、まだ心を切り替える事が出来た。
 しかし、彼は違う。この悪夢のような結界を消そうと奮闘し、以前は敵であるはずの自分達の命さえ助けてくれた。この狂った戦争の参加者でありながら、確かな人格を持ち合わせた男だったのだ。
 それが、今。無残にも殺されたのだ。
「何でだ……っ? 何で殺したっ!?」
「馬鹿じゃないの、マスターだからに決まってるだろ?」
 慟哭の答えは、対峙する女の背後から聞こえた。
「今の声は……」
 聞き覚えのある声だった。息を呑む士郎の横で、凛もまたその声の主に心当たりがあるかのように訝しげな表情をしている。
「アンタこそ、この下衆な結界を張ったサーヴァントのマスターね?」
 視線の先。貯水槽の影に潜む気配に向けて凛は敵意に満ちた声を投げかける。
「さっさとこの胸糞悪い結界を解除しなさい……慎二!」
「慎二っ!?」
 はっきりと断言した凛に、士郎が驚きながら聞き返した。
 学校にマスターが潜んでいるとは聞いていたが、士郎の友人でもある間桐慎二の名は一度上がりながら却下されたものだ。故に、士郎にとっては全くの不意打ちだった。
 セイバーと女が睨み合って拮抗する中、凛の言葉に貯水槽の影から高々と笑い声が上がる。何処か狂気を含む笑みを浮かべた慎二は、ゆっくりとその姿を士郎達の前に現した。
「さすがじゃないか、遠坂。僕の声だけで分かってくるなんて嬉しいよ」
「ええ、聞いた途端に悪寒が走ったからね。それだけ気色悪い声だと深層意識にへばりついて忘れたくてもなかなか忘れられないのよ」
「……なんだとぉ?」
 あからさまに挑発と分かる凛の笑みに、慎二は一瞬顔を歪ませる。しかし、それでも余裕があるところを見せようとしているのか、多少引き攣った笑みを浮かべた。
「慎二……お前がマスターで、そのサーヴァントにこの結界を張らせたのか?」
 階下では今も級友たちが命を少しずつ吸い取られている。その赤い世界の中心で、笑みさえ浮かべて佇む友人の姿に吐き気を覚えながら士郎は声を絞り出した。
「ああ、そうだよ。だってさ、妥当な戦略だろ? 自分のサーヴァントを維持させ、更に強力にしようと思ったら人間の命を沢山食わせるしかない。僕だってこの戦争で死にたくないんだ、生き残る為の手段って奴さ」
 さも当然という慎二の口調に、士郎は強い怒りを感じた。それは隣で射殺さんばかりに睨みつける凛も同じだ。
 慎二は笑いながら、倒れたダンテを侮蔑するように一瞥した。
「そこに転がってる奴だって同じさ。僕の邪魔をしたんだ。せっかくライダーに美綴を襲わせたのに」
「アンタ、綾子にまで……っ!?」
「おっと、口が滑った」
 凛の怒声に対して、愉快そうに笑う。士郎にはそれがたまらなく癇に障った。
「ああ、ライダーの魔力を補給する為にさ。生意気だったから、ちょっと血を貰おうと思ってね。なのにソイツが邪魔したらしいんだ。ヒーロー気取ってカッコつけてさ! それで死んだんじゃしょうがないよね、はははっ!!」
 倒れたダンテに唾を吐くように言葉を投げつける。
 もう士郎に迷いはなかった。
「慎二」
「あ?」
「ここでお前を止める。死んでもな」
 固い決意を含んだ言葉と睨み付ける視線。それを受けて不愉快そうに、慎二は口を開いた。
「じゃあ死んじゃえよ」
 一言。それが引き金となって、ライダーは地を蹴った。
 正面からの突進。ライダーは俊敏性に富んだサーヴァントだ。本気で動けば、その残像すら捉えられないだろう。故に瞬間、動いた一瞬を見極めて凛は魔術を解き放った。予備動作を悟られないように、見えない位置から指で弾いて飛ばした小ぶりの宝石に詠唱を掛ける。瞬間、宝石は魔力の弾丸となった。
 ライダーの対魔力は「B」とかなり高い。迫る魔弾は直接的には何の効果もないだろう。しかし、その魔弾はライダーの足元で爆発した。砕けたコンクリートの破片と爆風がライダーの体を叩く。
「ひ……っ!」
 手榴弾に匹敵する爆発。凄まじい爆音に、離れていながらも恐怖した慎二の悲鳴が呑まれた。凛はそれで悟る。彼は少なくとも、魔術師として衛宮士郎にも劣る三流だ。決定的に覚悟が足りない。
 タイミングを見計らって、爆風の中を裂くようにセイバーが突進した。凛の生み出した隙。それは大きな勝機だ。
 セイバーの不可視の剣による一撃を、ライダーが杭で受け止めた。飛び散る火花と共に、衝撃に耐え切れずライダーが弾き飛ばされる。
「くぅ……っ!」
「正面から打ち合って勝てると思うな!」
 気合一閃。後退するライダーにセイバーが逃げ道も残さぬ嵐のような連撃を繰り出した。ライダーは驚異的なスピードでその太刀筋を回避する。
 しかし、その神業じみた回避行動は『それしか出来ない』からだ。ほとんどの能力が上を行くセイバーとまともに打ち合って勝てる道理などライダーにはない。故に彼女に残された手段は機動力を活かしたヒット&アウェイしかないのだが、初撃で隙を作られた彼女にはもはやそれだけの余裕がなかった。
 いや、そもそも最優と謳われるセイバーを相手に真正面から勝負を挑んだ時点で、余裕など何処にもなくなったのだ。
 剣戟の音は響かない。ライダーにはまともに打ち合うだけの力などないのだから。空気を切り裂く、寒気のするような音が響く度にライダーは不利な状況に押されていく。
「ラ、ライダー! 何やってんだよ、さっさとそんな奴ら殺せよ! このグズっ!」
 ようやく状況を理解した慎二が恐怖と苛立ちを含んだ声を上げる。その耳障りな声に顔を顰めながら、凛が一歩踏み込んだ。
「マスターっていうのはブーイングをする為にいるんじゃないわ。ライダーは決して身体能力が優れたクラスじゃない。正面から戦わせたアンタの落ち度よ」
「うう、うるさいっ! うるさい!」
「黙りなさい、三流。さっさとこの結界を消すのよ。そうすれば半殺しで済ませてあげる」
 冷徹な表情をした凛が、左袖を捲り上げた。その腕回りには、魔術刻印がぼんやりと発動の光を灯している。
 その体から漲る殺気。士郎はそんな凛を、どうしても諌める気にはならない。彼女は殺さないという。その安堵が、彼の中で煮えくり返る怒りを容認していた。
 二人は今だ胸に杭を突き立てられたまま、横たわるダンテを一瞥する。彼を殺したのは、間違いなく慎二の意思なのだ。
「―――五体満足では済まさないけどね」
「ひっ、ひぃーっ! ライダァーッ!」
 慎二は豚が轢き殺されるようを悲鳴を上げて、後退った。
 その声に応えたのか、ライダーは一転してセイバーの斬撃を大きく後退して回避すると、握っていた鎖を翻した。ジャラジャラと金属的な音を立てて、鎖が蛇のようにセイバーの周囲を跳ね回る。
「む……っ!?」
 気づいた後は一瞬だった。周囲を囲うように走る鎖が急激に間を絞ったかと思うと、一瞬にしてセイバーの両腕を封じ、その体に何重にも巻きついていた。
「これは……っ」
「油断しましたね、セイバー。元より真正面から戦って勝てるとは思っていません」
 がっちりと体に巻きついた鎖。事は一瞬だったが、いくら何でもこれだけの動きを一瞬で行えるはずがない。これはライダーの仕込んだ罠だったのだ。
 ただ無作為に攻撃を回避しているように見せながら、その実は鎖を囲うように配置して、後は捕らえるのみ。見事な戦術だった。
「残念でしたね、セイバー」
 身動きの取れなくなったセイバーに、ライダーが杭の先端を向ける。
「……ええ、残念です」
 そして一変して追い詰められたこの状況で、セイバーは『必勝の笑み』を浮かべた。
「ふんっ!!」
 掛け声と共に、魔力が爆発する。
 セイバーが全身に漲る魔力を炸裂させた途端、彼女の体に巻きついていた鎖はいとも簡単に砕け散った。金属の悲鳴が響き渡る。
「……っ!」
「本当に残念です。この鎖が何らかの宝具であれば私を捕らえられたものですが」
 木の葉のように舞い散る鉄片の中、荒れ狂う魔力の風に金糸を揺らし、セイバーは不敵な笑みを浮かべて剣を構え直した。
 傍で見ていた士郎と凛でさえ、息を呑む光景。鋼の鎖さえ歯牙にも掛けない魔力とパワー。まさに桁が違う。
 ライダーが慌てて杭を構える。だが、遅い。ジェット噴射のように魔力を込めた踏み込みで、一瞬にして間合いを詰めると、セイバーが剣を一閃させた。
 見えない一撃は、反応の遅れたライダーの肩を切り裂いて、太刀筋を逸らそうとした杭ごとその体を弾き飛ばす。ライダーはその一撃で、慎二のいる貯水槽にまで吹き飛ばされて叩きつけられた。
「ななな、何勝手にやられてんだよ! おい! 立てよ化物!」
「……シンジ、少し黙ってください。アナタの声は集中力を乱す」
 ヒステリックに叫ぶ慎二に対して、冷徹な仮面の上からそれとわかるほど不愉快そうにライダーが呟いた。そもそも、この不利な状況下でも身を隠そうという判断すら出来ないマスターに対する苛立ちが含まれている。機動力を主とするライダーの能力を制限させているのは、間違いなく自分の傍で甲高い叫び声を上げる彼であり、お荷物どころか護衛の対象にしかならない存在だった。
 ライダーは眼帯越しに、正面に立つ強大な剣の英霊とその背後の二人を見据える。
 サーヴァント同士の戦闘で勝機がない以上、マスターを狙うのは定石だったが、ライダーにはそれが出来なかった。セイバーの猛攻がそれを許さなかったのもあるが、何より敵はマスター自身も強力だった。
 このサーヴァントの身に通じるほどの魔術と機転を持って隙を作り出した少女と、その傍で少女を守るように佇む少年。その眼は油断無くこちらを見据えている。その力強い視線を受けて、ライダーは目の前のセイバーに僅かな羨望を覚えた。
 主に恵まれている、と。
 ライダーは肩から流れる血を無視して立ち上がった。しかし、その動きはどう見ても死に体のそれだ。
「……慎二、ライダーはもう戦える状態じゃない。今すぐに結界を解いて、令呪を破棄しろ」
「うううう、うるさい! 衛宮のクセに僕に命令するなっ! さっさとアイツらを殺せよ、ライダー!!」
 士郎の言葉も、慎二の卑屈な狂気を煽るものでしかなかった。だがその足はガクガクと震えて、すでに逃げる事を考え始めている。
 傷ついたライダーを盾にするように後退る慎二を、士郎はもはや怒りではなく冷めた眼で見つめていた。今は何故か、怒りと共に悲しみを感じた。
「……男だったら、怪我した女を盾にするなっ」
 ぎしりっと歯を噛み締めて呻くように士朗は呟く。その言葉に、弾かれたようにライダーは僅かに身を震わせた。
「はぁ? 何言ってんの、僕がマスターになってやってるんだぞ! 僕の為に死ぬのがこの化物の役目だろ!!」
「もういいわ、衛宮君。あの馬鹿に説得は無駄よ」
 いい加減慎二の声に耐え切れなくなった凛が冷たく告げる。剣を構えたままのセイバーは、その鉄仮面のような表情を不快そうに歪めていた。
「時間切れよ。実力行使で行くわ」
「ひっ」
 セイバーの不可視の剣が正眼に構えられ、その横では凛が慎二にガンドを叩き込む体勢を取った。この状況では、ライダーにセイバーの攻撃を防ぐ事も、防いだ後で何の力もない慎二をガンドから守る事も不可能だ。
 しかし、ライダーは構えるでもなく、ただ静かに自らの眼を隠す眼帯に手を伸ばした。その一瞬で、凛は悟る。あのマスクの意味を。
「セイバー! 魔眼よっ!」
 弾けるようにセイバーが踏み出した。床を砕くほどの踏み込み。その踏み込みは一瞬でライダーの間合いに到達するだろう。しかし、先ほどの攻撃を受けて開いた二人の距離。その刃がライダーに届くまでには致命的なまでタイムラグがあった。
 それが全ての決着をつけた。
 解放されるライダーの眼光。四角い形をした特異な瞳孔は人間のそれではなく、視界に捉えたもの全てにそのおぞましい力を叩きつける。
「ぐっ、後ろに!」
 踏み込みを止めたセイバーの言葉に弾かれるように、士郎は凛の手を引いてセイバーの小柄な背中の後ろへ転がり込んだ。
 魔眼の事は士郎も知っている。ただ『見る』だけで相手に影響を与える魔術特性の事だ。
 眼を合わせてもいないのに全身に掛かる凄まじい重圧を耐えながら、士郎は凛と共にコンマの差でセイバーの魔力の庇護下へと逃げ込んだ。だが、それでも重圧は消えない。
「セイバー!?」
 直接対峙するセイバーの身を案じる。身に染みて分かるが、この魔眼の効果は半端ではない。もし一秒でもセイバーの背後に回るのが遅ければ、指一本から心臓に至るまで全ての動きが止められていたと確信できた。
「シロウ、リン、決して私の前に出ないで下さい。アレは石化の魔眼です」
「セイバーは大丈夫なのか!?」
「魔眼の影響で、普段の移動能力に著しく制限がかかっています。全魔力をレジストに回していますが、運動性は半減といったところです」
 士郎の言葉に、セイバーは肩越しに僅かに振り向く事で答える。その声には余裕がない。
 一気に逆転した状況を見て、慎二が思い出したように愉悦と狂気の交じった笑い声を上げるのを不快そうに聞き流しながら凛は舌打ちした。
「まずいわね、まさかライダーの正体がメドゥーサだったなんて。時間もないのに……っあー、うっさいわね! このド三流!!」
「と、遠坂、落ち着けって」
 嫌な笑いを貼り付けた慎二に対して、不快感を隠そうともせず怒鳴り散らす凛。今にも飛び出して行きそうな様子を見て、士郎が慌てて抑えた。逆境から逃げず、逆に拳握って殴りかかるのが凛の性分だと、短い付き合いでも嫌というほど分かっている。
「はははっ、いいぞライダー! どうだ、衛宮ぁ! お前の化物より、僕の化物の方が優れてるってわかったかい!?」
「慎二、お前こんな事をして本当に何とも思わないのかっ!? 学校の皆が死んじまうんだぞ!?」
「うるさいなぁ」
 士郎の最後の望みを託した説得も、陶酔したような表情の慎二には通じなかった。
 高笑いをしようと背を曲げる彼に届く、かつての友人の声は不快感しか生まない。慎二は不愉快そうに唇を曲げると、フンと鼻を鳴らした。
「ライダー、遠坂は生かして捕まえろよ。衛宮はどうでもいいや、とりあえず手足潰しちゃってよ」
 好色そうな笑みを浮かべる慎二に対して、凛は吐き気を覚えた。
 巨大な鉄の塊を背負っているような重量感の中、セイバーは剣を構える。状況は不利だが、決して打開できないものではない。何かきっかけがあれば。
 ゆっくりと、間合いを詰めるライダー。
 そう、きっかけが―――。
『大概にしときなさい、色ボケの糞ガキ』
 場違いな凛とした声が、その赤い空間に響き渡った。




 それはその場の全員に反応する余裕すら与えない変化だった。
 金属が軋むような音共に、その空間は一瞬にして形成される。校舎全体を覆うドーム状の光の壁。その強大な魔力の『蓋』が結界の『内部』を覆い尽くすと同時に、士郎達を襲っていた<血の結界>の圧迫感が嘘のように解消された。
「な、なんだよ……これ」
 頭上を覆っていた赤い空が、真っ白な光に遮られている。魔力を持たない慎二にも、自分に有利だった状況が変化した事は理解できた。
「遠坂、どうなってるんだ?」
 辺りを包む白い光に困惑しながら士郎が尋ねる。
「……信じられない。これ、結界よ。しかも肉眼で確認できるほど強力な」
「結界? え、ちょっと待て。学校にはライダーが張った結界があって……」
「その中に、更に結界を張ったのよ」
 先ほど響いた声。今度は士郎達の間近で聞こえた。
 彼らにとっては聞き慣れた、決して忘れられない印象的な鈴の鳴るよう声。
 頭上を見上げれば、そこにはゆっくりとローブを翼に変えて舞い降りる紫の魔女の姿があった。
「キャスター!」
 突然の乱入者に対する驚きの声は誰のものだったか、複数響いた。全員の視線を浴びて、優雅とも言える仕草でキャスターが士郎達の傍らに舞い降りる。
「この結界はライダーの宝具のようね。さすがに完全に解除はできそうになかったわ。だからね、最善の策の代わりは次善の策を施させてもらったわ」
「……なるほど、結界の干渉を更に結界で遮断したってワケね」
 すぐさま状況を把握した凛。先ほどまで馬鹿のように笑い狂っていた慎二の呆けた表情を見ていると、痛快な気分が湧き上がって自然と笑みが浮かんでくる。
「やるじゃない」
「恐悦至極」
 ニヤリと何処か悪どく笑って軽口を叩きあう<あかいあくま>と<むらさきのまじょ>。傍で見ていた士郎は二人にちょっとだけ寒気を感じた。
「キャ、キャスター」
「何かしら、坊や?」
「坊やって……あ、いや。それよりも、俺たちを助けてくれるのか?」
 相変わらず妙な苦手意識を感じるキャスターを相手に、士郎はおずおずと尋ねる。その問いに、キャスターは事も無げに頷いた。
「ええ、今回も利害の一致といったところね。私としても他のサーヴァントが力をつけるのは防ぎたいし、何よりこの下品な結界の仕掛け方は気に入らないわ」
 言って、狼狽する慎二を鋭く睨みつける。
「宝具だけあって結界は見事なものよ。だからこそ愚策が目立つ。最高性能の時限爆弾を手榴弾のように投げつけるみたいに、効率と頭の悪いやり方ね」
 やたらとミリタリーな例えだが、凛にはその言葉の意味が理解できた。本来、結界とは他者に感づかれる事のないように張るものである。その意味では、この結界は三流のすることだった。
 突然の乱入に、ライダーとセイバーは対峙したまま硬直したように動かない。しかし、その拮抗を嘲笑うかのように、キャスターはセイバーのすぐ隣へと移動した。
 もちろん、ライダーはそのキャスターに対してもあらわになった魔眼の眼光を向けている。しかし、キャスターの歩みには石化どころかわずかな淀みさえもなかった。
「さて、あとは協力してライダーを倒すだけよ。動けるかしら、セイバー?」
「動きが多少制限されますが、何とか。しかしキャスター、アナタは……」
「協力する理由については話した通りよ。私の結界も、これほど大規模で強力なモノだといつまでも維持は出来ない。充分な準備も出来なかったしね。速めにライダーを倒すか、解除させるかしないといけないわ」
「いえ、アナタと協力する事に異存はありませんが……いくら強力な魔力を持つとは言え、何故魔眼の影響を全く受けていないのですか?」
 訝しげなセイバーの表情に、キャスターは魔眼の重圧など欠片も感じていない余裕の笑みで答える。
「能力では劣っていても、私は魔術を扱う事に関してはサーヴァントの中で最も優れている。そういう事よ」
 そう言って、キャスターは意味深げに首から下げた、奇妙なオブジェを付けた首飾りを見せつけた。
「……<石化>の魔術を無効化する事だけに特化した対魔術装備(マジックアイテム)ですか」
 それまで沈黙を守っていたライダーが淡々と呟く。キャスターはその答えに、満足そうに頷いた。
「そういう事よ、メドゥーサ」
 真名を知られるリスクが、目の前で分かりやすいく証明されていた。
 Aランクの魔力を持ってしても相殺しきれない石化の魔眼だが、どのような魔術にも偏った性質や波長などがある。それに対抗する事だけに特化した、それ以外に何の機能もない首飾り。
 しかし、それこそが必要な物を必要な状況で用いる<戦術>だった。
「衛宮ーっ! なんなんだよ、それっ。なんで他のサーヴァントがお前の味方をするんだよぉ!? ひひ、卑怯だぞお前ーっ!」
「騒がないで頂戴、似非マスター。どういう裏技でサーヴァントを得たのか知らないけれど、魔力の欠片すら持たないアナタには分不相応というものよ」
 キャスターとセイバー。二対の瞳が震え上がる慎二を守るように佇むライダーを射抜く。
 2対1。特別優れた戦闘能力を持たず、騎乗兵でありながら素の状態であるライダーに対して、前衛と後衛という最高の相性を持つ二人。ライダーには圧倒的に不利な状況だ。
 しかし、ライダーは静かに告げる。
「キャスター、勘違いしないでいただきたい。状況を有利と思い込んでいるようですが、アナタのマスターは既にこの世にいないのですよ?」
 その言葉に、沈黙を通すキャスター以外の全員が息を呑んだ。
 自然と視線の向かう先。胸から鉛色の杭を生やしたまま、ぴくりとも動かないダンテがいた。
 士郎と凛の間に緊張が戻る。サーヴァントはマスターとの契約が切れてしまえば、聖杯からのバックアップすら受けられない。キャスターにアーチャーのような自力で肉体を維持する特殊なスキルなどなく、まして今は強力な結界を展開して魔力を消費し続けている。いつ彼女の肉体が消滅するか分からない状態だ。状況は決して良い方向に向いたわけではなかった。
「……そうね」
 静かに、倒れた自らのマスターを眺めてキャスターは呟く。
 誰かがわずかに、眉を顰める。キャスターの声は、努めて冷静を装っているワケでもなく、むしろ何処か悪戯っぽい子供のようだ。
 そして、キャスターは微笑した。
「―――普通は死ぬわよね」
 ガチャッと重々しい音がした。全員の視線が音の方向へと集中する。その先で、赤いコートを羽織った人間ではない悪魔が、心臓から杭を生やしたままゆっくりと上体を起していた。
 全員が呆気に取られた、わずかな硬直の時間の中でダンテは無造作にコートの奥から銃を取り出した。ずるりっ、と鈍い光を放つ異様なまでに長く、無骨な白銀の銃身が姿を現す。
 それは、彼が心臓を貫かれた時から変わらず浮かべていたものなのか、いつもの不敵な笑みを浮かべたまま、ダンテは銃口をライダーへと向けた。その剣と見紛うばかりに長い銃身と薬室に込められた銃弾には、暴走寸前にまで魔力が込められ、小さなスパークを起こしている。
 見開いた四角い瞳孔を持つライダーの魔眼を覗き込んで、ダンテは器用なウィンクを飛ばした。
「たまげたろ?」
 銃声。
 雷鳴を上げて濃密な魔力を纏った弾丸が吐き出された。プラズマの軌跡を残したその弾丸は、成す術もないライダーの横腹へと命中する。凄まじい魔力の炸裂に吹き飛ばされて、ライダーは壊れた人形のように地面を滑った。
 その光景は理解不能だった。
 ジャラジャラと心臓に刺さった杭から伸びる鎖を鳴らして、ダンテが事も無げに立ち上がる。銃口を倒れたライダーに油断なく向けたまま、空いた手で杭を掴むと、それを無造作に引き抜いた。傷口から鮮血が飛び散るが、それだけだ。明らかに致命傷でありながら、反応は『それだけ』なのだ。
「やれやれ、女を撃つってのは気分が悪いぜ」
 奇跡の復活劇を遂げたダンテの第一声はなんでもない、いつも通りの口調だった。
 硝煙がたなびく中、弾けるように硬直していた時間が動き出す。
「あ、う……っ。まさか……そんなっ!?」
「どうした、パンク? まるでゾンビでも見てるって顔だぜ。あ、俺か?」
 何が起こったのか飲み込めず、ただ立ち尽くす慎二を馬鹿にするように笑って、空いた左手でもう一つの銃を引き抜く。これ見よがしにクイックドロウのパフォーマンスを見せ付けると、その銃口を慎二に突きつけた。
「なな、なんで生きてるのよ! アンタ!?」
「俺はお前らが悪魔と呼ぶ化物の血が半分流れてるんだぜ? 悪いが心臓を串刺しにされたくらいじゃ死にゃしないのさ」
 いち早く我を取り戻した凛の言葉に、ダンテが興味なさげに答える。傍らでは「本当に死なないとはね」とキャスターが感心とも呆れとも取れない呟きを漏らしていた。
 腹に魔力を込めた銃弾を受けて倒れていたライダーが苦しげに上体を起し、ダンテを睨みつけた。その魔眼は変わらず前方の視界全てに石化の呪いを掛けていたが、ダンテには全く効果が無かった。よく見れば、彼の首からは二つのアミュレットに並んでキャスターの物と同じ首飾りがぶら下がっている。
「ひぃぃっ! な、何やってんだよライダー! 勝手にやられてるんじゃない、さっさと僕を守れよーっ!」
 自分を覗き込む薄暗い銃口に恐れをなした慎二がヒステリックに喚く。その命令に健気にも応えようと、ライダーは足に力を込めるが、深く体を抉った銃弾が力を奪い、血を流し続ける。
「よせ、致命傷だ!」
「立てよ、この化物! おい! 僕が殺されちゃうだろぉっ!!」
 ダンテは不快そうに舌打ちした。
 戦いには覚悟がいる。誰かを殺すというのなら『自分も殺されるかもしれない』という覚悟を持って挑まなければならない。それが目の前で狂ったように他人を盾にしようとする少年には無かった。
「立てっ! 僕の命令が聞けないのか、このグズっ!!」
「無駄です。ライダーのマスター。例え令呪を使っても死にかけのライダーでは意味が無い」
 つまらなそうにセイバーが慎二に告げる。
「そんなことが認められるか! おい! 死人!! 折角僕がマスターになってやってるんだぞ! 立て! せめてこいつ等を道連れにして死ね!!」
「……っ!」
 ついに令呪の強制力が働いた。傷ついた体は意思に反して立ち上がろうとしない。それを命令の拒否と判断した令呪がペナルティをライダーに与える。全身に凶悪な電流のようなほとばしりが起こり、神経の一本一本を焼き尽くすような激痛が走り抜けた。ライダーの表情が苦悶で歪む。
 立ち上がる力など無く、しかし立たねば雷が身を焼き、痛みが力を奪う。全くの悪循環だ。何よりダンテの銃口は魔力を蓄えて変わらずライダーを捕らえている。立ち上がったところで一方的に撃ち殺されるしかない状況なのだ。
「ななな……なんだよ、この役立たず! 畜生! 僕を馬鹿にしやがって、この不良品! 立て! 立て立て立て立てっ! 立って戦えーっ!!」
 全員の静かな怒りと侮蔑を込めた冷ややかな視線に晒されて、慎二はほとんど狂ったように叫びまくった。
「いい加減にしなさい! アンタ、三流以下よ!」
「キャスター、撃って構わねえよな?」
 お互い意外と激情家である二人が怒気を込めて慎二を睨むと、それまで無言で慎二を観察していたキャスターがおもむろに彼に歩み寄った。
「……その本は何かしら?」
「ひ……っ!?」
 慎二がダンテ達の眼から隠すように手にした魔術書のような本に眼をつける。無造作に伸ばした手を避けようとするが、キャスターとて人間を超越した能力を持つサーヴァントだ。その動きには一般人と格闘家ほどの差があった。
 後退る慎二の腕を掴んで捻り上げ、本を奪うと、行きがけの駄賃に拳を横腹に叩き込む。奇妙な呻き声を上げて、慎二はその場に蹲った。
 キャスターの手に本が移ると同時に、ライダーを縛っていた令呪の光も消滅した。
「キャスター、それが一体なんだってんだ?」
「……どのページにも令呪に似た模様しか書かれていないわ」
 地を這って恨みの篭った視線を向ける慎二を無視して、パラパラと本のページを捲りながらキャスターが答える。その表情はすぐに笑みに変わっていった。
「魔術師のお嬢さん、彼は本当に魔術師なの?」
「え……あ、いいえ違うわ。間桐の血は廃れて、彼はもう魔術回路を持っていないもの」
「確か、聖杯戦争の令呪システムを作ったのが<マキリ>だったわね?」
 バゼットから聞いた情報を思い出しながら、キャスターが尋ねる。
「ええ、そうよ」
 凛の答えを聞き、確信を持ったキャスターが微笑みながら、蹲るライダーに視線を向けた。ライダーの表情は自分の運命を悟ったのか、無表情の仮面にわずかな動揺を表している。
「ライダー、『命令』よ。結界を解除しなさい」
「……はい」
 わずかな躊躇いの後、ライダーは平坦に答えた。それとほとんど同時に、キャスターは自分の張った結界に掛かる負担が消失するのを感じ、自らの結界も解除した。
 硝子が砕けるように消滅した光の壁の向こうで、青い空が広がっている。士郎には、その青い空を何故か酷く久しぶりに見たような気がした。
「なるほど、それはそういった物なワケね」
「さすがに聡いわね。そう、どうもこれは擬似的な令呪の役目を果たしているみたいだわ」
 キャスターが凛達の下に戻っていくと、ライダーがそれに従うようにして歩み寄った。その様子を見た慎二が、全てを呪うような憎悪の視線をライダーに向ける。
「なにやってるんだよ、こっちに戻って来い! 命令が聞けないのか!? 僕はマスターだぞ!!」
 そんな罵倒にも眉一つ動かさないライダー。もはや元マスターの慎二を塵ほども気に掛けていない。喚き散らす慎二と無言のライダーを見比べて、キャスターは何故か酷い親近感を覚えた。
 いい加減、聞くに堪えなくなったダンテが所在なさげに彷徨っていた銃口を慎二に移動させる。
「そう言えば、お前アヤコを襲わせたんだよな。思い出したら急にむかついてきたぜ。悪いがお前を撃つのは、野良犬を撃ち殺すよりも抵抗を感じそうにない」
「きひっ……ひぃぃーっ!?」
 燃え盛る殺気に、地を這うように低いダンテの声。慎二の心で荒れ狂っていた怒りと狂気はあっさりと霧散し、口端から白い泡粒を撒き散らして再び絶叫した。
「ちょ、ちょっと待ってよ! ぼぼぼ僕はもうマスターじゃないんだ! お、お前、無抵抗の人間を殺すのかぁー!?」
「ははっ、正気か糞ガキ? 下にいる無抵抗の人間って奴を殺そうとしたのはお前だろ?」
 慎二の言葉を面白そうに笑い飛ばしながら、しかしダンテの瞳はむしろ殺意を増大させていた。その怒りが、無関係な一般人を無作為に巻き込んだ慎二への純粋な怒りであると、痛い程分かる凛たちは彼の行動を止めようとはしない。実際、士郎も同じ気持ちだった。だが。
「ま、待ってくれ!」
 震える声で士朗はダンテを呼び止めた。
 確かに間桐慎二の犯した罪は大きい。それは裁かれるべきだ。しかし、それは死で償うものではないハズだと。生きてこそ償うチャンスがあるのだと、士朗は思っていた。
「そいつを殺さないでくれ。親友なんだ!」
「おい、友達は選べよ。それとも、お前まさかコイツと共犯者か?」
「違う! だけど、死んで償わせるなんて間違ってる!」
 ダンテと士郎の視線がぶつかり合う。
 その言葉は、ダンテにとって『甘い』としか言いようないものだった。この平和な国で安穏と生きてきた人間が容易く掲げる理想論だと。
 ダンテの国では多くの人間が理不尽な出来事で死んでいく。自分の起した行動に対する責任とペナルティは、誰であろうと払うべきであり、それを覚悟するべきだ。そして、それは時として死ですらある。
 本来ならば、士郎の言葉は一笑に伏すものだった。
 だが、どれだけ『甘い』と言い、どれだけ現実の厳しさを叩きつけても、目の前の少年は意見を曲げないだろう。それだけは何故か確信できた。
 そして何より、ダンテが向ける視線と圧倒的な威圧の中で、士郎は震えながらも一度たりとも視線を外しはしなかった。
「…………OK、頑固な坊やだ。殺さないでいてやるよ」
 緊迫した空気を、ふっと笑い飛ばしてダンテが銃を下げた。
 士郎が息を吐いて安堵し、緊張しながら状況を見守っていた凛たちも同じように息を吐き出す。緩んだ空気の中、慎二が安堵と同時にまた性懲りも無く憎悪を再燃させようとしていた。
 そして、ダンテはおもむろに慎二の足を撃ち抜いた。
「ぎゃひぃぃぃぃいーーーっ!!?」
「な……っ!?」
 轟音が響くと、豚のような悲鳴を上げて慎二は見えない垣根を跳び損ねたかのようにもんどりうって倒れた。突然太ももを襲った激痛に、慎二は呆気なく失禁した。
 安堵していた士郎が驚愕の声を上げ、キャスターだけが諦めたようなため息を吐いた。
「ぎぃぃぃっ! あああ〜っ、僕の……僕の足がぁぁーっ!!」
「こ、殺さないって言っただろ!?」
「ああ、死にはしない」
 銃をガンホルダーにしまって、ダンテは事も無げに答えながら、絶句する士郎に悪戯っぽい笑みを浮かべた。




 慎二の悲鳴はもう聞こえない。あまりの痛みにズボンを濡らしたまま泡を吹いて気絶したようだ。
「―――とりあえず、状況は切り抜けたみたいね」
 結界は消え去り、未だ生徒達は倒れ伏したままだが、敵であったライダーは既にキャスターの支配下にある。脅威は去ったと言っていいだろう。
 凛はとりあえず、大きく安堵のため息を吐いてダンテとキャスター、そしてそこから少し離れて佇むライダーを見据えた。
「それで、私たちをどうするつもり?」
 全身に掛かる重圧に顔を顰めながら、凛は静かに尋ねた。ライダーの石化の魔眼は未だに解除されていなかった。
 対峙するダンテ達の間に、セイバーが体を割り込ませる。
「当面の敵が去った今、アナタ達は倒すべき敵となったわけね」
 再び緊張する三人を見据えて、キャスターが冷徹な魔女の微笑を向けた。
 三対三で戦力は五分と言いたい所だが、状況はキャスターたちに傾いていた。すでにキャスター側に付いたライダーの魔眼で動きを制限された三人の中で、まともに戦えるのはセイバーのみ。そしてダンテとキャスターは魔眼の支配下においても全く問題もなく動ける。
 今戦えば一方的な展開になる事はわかり切っていた。
(そうか……敵の敵は味方ってワケにはいかないよな)
 士郎が内心ほぞを噛む。勝ち目云々抜きにして、彼は目の前のダンテ達とは戦いたくはなかった。
 以前自分達を助け、今もまた彼らは学校の皆を救ってくれたのだ。この戦争の中で、同じ戦争の参加者でありながら、彼らはその人格に確かな信頼のおける人たちだった。そんな彼らと進んで戦いたいとは思わない。
 だが、それもこちらの都合だ。目的がある以上、彼らは戦う。そこに理不尽を唱える事などお門違いもいいところだ。
「無駄だとは思うけど……」
 重苦しい沈黙の中、それでも士郎はかろうじて声を振り絞った。どんな小さな可能性でも、無血で済むものならばそれに賭けたい。
「俺はあんた達とは戦いたくない」
 はっきり告げると同時に、セイバーと凛があからさまに呆れを含んだため息を吐いて、士朗はちょっと傷ついた。
「衛宮君、アナタ本当に甘いわね」
「シロウ、その楽観的思考は改善すべきです」
「ほ、本音を言ってみただけだ! 俺は出来ればあの人たちとは戦いたくないんだよ!」
 自分でも浅はかな言葉だったと赤くなる士郎を見て、キャスターは苦笑していた。
「そうね、坊やがそう言うのならその辺で手を打ちましょうか」
 何でもないように、キャスターはそんな信じられない台詞を穏やかに口にした。それを聞いたダンテが反論もせずに、軽く肩を竦める。ライダーは無反応だった。
「へ……? あ……その、良いのか?」
「ええ、気分の話だけじゃなく、このまま戦闘を続行するのはこちらも得策ではないわ。私も結界で予想以上に魔力を消耗したからね」
 提案があっさり通った事で、拍子抜けしたように呆然と声を漏らす士郎にキャスターが悪戯っぽい笑みを浮かべる。そこには、もはや先ほどまで纏っていた闘争の空気はなかった。
「それに、先ほどからアーチャーが狙ってるわ。いいタイミングね」
「むっ、あのバカ。今更来たって遅いってのよ」
 キャスターの言葉に、周囲を見回しながら凛がぼやく。見える範囲にいないのは、おそらく魔眼の効果範囲から逃れる為だろう。アーチャーの能力ならば1キロ以上離れた狙撃も可能だ。
「それじゃあね、坊や。近いうちにまた会いましょう」
 ダンテの傍に、キャスターとライダーがおもむろに歩み寄ると、高速神言による詠唱が紡がれる。キャスターの力を持ってしても、それほどの詠唱を必要とする大魔術は間違いなく<空間転移>だった。
「ああ、近いうちにな。セイバー、アンタが何故スパーダを知っているのか、その時に教えてもらうぜ?」
 淡い光がダンテ達を包み込む中、無言で睨みつけるセイバーに言葉が浴びせられる。その声と視線に、セイバーはかつての面影を感じ取って、何とも言えない懐かしさに駆られた。
 やがて黒衣のサーヴァントを引き連れた魔女と悪魔は、鮮やかな残光を空間に刻みつつその場を退場した。
 屋上に残されたのは、ライダーの消失と同時に魔眼から解放されたセイバーたち三人と、ピクリとも動かない慎二のみ。
「まずったわね、あの本がどういう仕組みか詳しくは分からないけど、これで少なくとも向こうにライダーが味方についたワケだ」
「問題ありません。こちらにはアーチャーもいますし、何よりもこれでライダーの正体が割れました。再び対峙する時は、遅れを取る事などないでしょう」
「うーん、っていうか私はセイバーがなんでおとぎ話の悪魔と知り合いなのかも気になるんだけど? ひょっとしてセイバーの正体も悪魔だったりして?」
「失礼な。聖杯が呼び出せるのは英雄だけです。悪魔は英霊にはなれません」
 それとなく真名を探るように冗談半分で尋ねた凛の言葉に、セイバーは不機嫌そうにそう答えた。
 凛のラインを通して、アーチャーが駆けつけるのがわかる。結界の被害は甚大だが、キャスターの妨害もあって比較的抑えられたものだろう。その点では、凛はキャスターに感謝していた。
 体から力を抜いて見上げれば、赤くない空が広がっている。とりあえず、戦いは終わったのだ。
 凛はもう一度、清浄になった空気を肺一杯に吸い込んだ。安堵が広がる。
「なあ、遠坂。慎二はどうすればいいんだ?」
「……」
 緩やかな風に乗って、わずかに鼻腔を刺激するアンモニア臭。股の部分を生暖かく濡らした慎二が横たわっている。足に刻まれた銃創は、日本ではまずお眼にかかる事などない傷だ。病院などに連れて行けば大騒ぎになる。
 しばし、無言の時が流れた。
「……教会に連れて行って、言峰に後を任せましょう。さすがに病院には連れて行けないし」
 衛宮君かアーチャーに運ばせよう。凛はワリと無情に、そう心に決めたのだった。






「―――幾つかのイレギュラーが起こっている」


 そこは浄化され、神聖にして、同時に腐敗した場所だった。神を祭る家。厳かな十字を刻む聖域の地下において、その二つの影は邂逅していた。
 周囲に石棺が整然と並び、そこに横たえられた淡い命が脈動する。多くの命が眠る奇跡の場所は、しかし腐臭に満ち溢れていた。そのほの暗い闇の中で、厳格な空気を身に纏った男が立っている。その身を包むのは神の使者が着る礼服。死の臭いを纏うその男は、神父だった。
 神父は語る。
「まずは、この戦争に訪れた半人半魔の男。古の魔剣士スパーダの血族<ダンテ>。これは大きな障害となる」
「ゲェハハハッ、ダンテ? あの青二才か? 放っておけ。ヒーロー気取って悪人をぶっ殺す、今時スーパーマンだってもうちょっとまともなパフォーマンスをするぜぇ」
 それに道化が答えた。
 神父の肩よりも低い身長に、その体格は肥えすぎた屠殺場の豚のように醜く膨れ上がっている。反吐を絡めたような濁った声と、それに反する暗い陽気さを含んだ口調。顔に塗りたくられた奇怪なペイントは闇のピエロそのままだった。
 笑う道化に、しかし神父は笑みの形など生まれたときから何処かに忘れた顔で言葉を紡ぐ。
「だが、あの男が私の目的において大きな障害となることは確かだ。
 奴の記録はほとんど掴めなかったが、確かな事が幾つかある。奴の父はかつて魔界の侵攻を防ぎ、その息子である彼もまた魔界の門を閉じる事に成功している事だ。これは『お前達』の方がよく理解している事だろう? 侮る事など出来ない」
「ギャハッ、当然だ。侮りやしねえ! 奴ぁ、裏切り者クソスパーダの血を継いでる。悪魔と人間の女がシコシコ頑張って作ったクソの種さ! 悪魔の恥さらしだ、忌々しいったらありゃしねえ!!」
「ならばこそ、早々に始末すべきではないのか?」
 神父は冷たく告げた。その言葉に、神に仕える者としての慈悲など欠片もない。その瞳は、ただ冷たい。
「ああ、そうさ。裏切り者は殺す。だが、それは俺たちの役目じゃねえ。俺のボスが、直々に手を下すそうだ。50個にばらして、綺麗にラッピングした後で郵送してやるのよ!」
「……フッ、よほど古傷が堪えると見える。恨みも募るか」
 ようやく神父は笑みを浮かべた。幸福ではない、不幸を笑う虚ろな表情を。
 それと共に道化も笑う。元より、道化に笑顔以外ありはしない。狂ったように笑い、狂って笑う。
「それよりも、そっちの準備はうまくいってるか? せいぜい派手に人間を巻き込んで戦争しなきゃ聖杯は『成長』しねえ」
「問題ない。マキリがうまくやるだろう。アレの聖杯への執念はもはや狂気となっている」
 だが、と。神父は一旦言葉を切った。
「ここでもう一つのイレギュラーだ。先日ランサーが、間桐のサーヴァントと交戦した。消去法からしてアサシンだったそうだが……アレは予想外ではないのか?」
「ああ、アレか。分かるさ、なんせ顔見知りだもんなぁ。たまげたか?」
「何故、あんな物が召還される? アレは英霊ではない」
「何故ぇ? なんだってテメエらはすぐ何故何故と聞くんだ!? 『どうやって』に変えな!」
 ゲラゲラ愉快そうに笑って、道化は荒い呼吸を繰り返す。声は薄暗い空洞に響き、石棺の中の命はその声に命を削られるかのように弱弱しい呻き声を上げた。
「ゲハハッ、アレは単なる残りカスさ。大したもんじゃねえ。アサシンの存在こそが、聖杯が順調に育ってる事を証明してる」
「……『そういう事』か?」
「……『そういう事』だ」
 そして神父と道化は、互いに暗い視線を一瞬交し合う。
 闇が疼いた。
「さて、それじゃあ俺はそろそろ行くとするぜ。まだまだこの街には<闇>が足りねえ。
 おっと、そうだ。追加注文をしておくぜ。この戦争をより効率よく掻き回す為に、あと一人ほど手駒が必要だ。とびっきりに最悪でどうしようもねえ屑みたいな人間がな」
「すぐには無理だ。私は所詮傍観者、自ら動く事は出来ない」
「ハハッ、かまわねえ。どうせ今この街ではゴミには不自由しねえ。お前はそれをスカウトするだけよ」
「よかろう。神の御名において、迷える子羊を導くとしよう」
 慇懃無礼に会釈する神父の仕草に、道化は一際愉快そうな笑い声を上げた。
 また、闇が疼く。
「ゲャヘヘへェーッ! 地獄の信者も腰抜けになったもんだが、代わりにお前みたいなのが神の使いに選ばれちまうんだから世も末だぜ!
 聖母マリアの垂れた糞も喜んで喰う物好きどもが、群れをなして真理に辿り着こうと足掻く。笑っちまうぜ! ギャハハハッ、たまらねえぞ畜生!! せいぜい地獄まで付き合えよ!」
 哄笑が聖堂の地下に響いていく。その周囲の石棺からは、変わらぬ苦悶の声と弱々しい呼吸が漏れ出す。狂気に満ちた音が、その場を満たしていった。
 向かい合うは、<神父>と<道化>
 映る影は、<聖者>と<悪魔>









 最後に一際強く、漆黒の闇が疼いた――――。









SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送