ACT12「赤い籠」



 昼休みの鐘が鳴ると、美綴は普段一緒に昼食をとる友人達の誘いを断って、足早に弓道場へと向かった。その手に抱えた、弁当の入ったバスケットは普段持ってきている物よりも少々サイズが大きい。
 廊下を不自然ではないように意識しながら、小走りで駆けて行く。誰かに見られぬように俯いたその表情は、わずかに緊張感を滲ませていた。
 日常に潜む危険を知ってしまった者の運命だ。通り過ぎていく生徒達の誰もが、自分達の謳歌する平穏を疑ってはいない。しかし、彼らは知らないだけなのだ。自分達が今、気味の悪い怪物の胃袋の中で生きているという事実に。
 考えれば考えるほど、背後から忍び寄る恐怖が明確な形となっていく。それを振り切るように美綴は階段を駆け下りた。
「ん、あれは……?」
 その時、ふと視界の片隅に見知った生徒が二人、連れ添って階段を昇って行くのが見えた。いずれも自分の友人であり、関わりも深い為目に付いて不思議な人物ではない。しかし、その組み合わせがまた奇妙だった。
 何故、遠坂と衛宮が連れ立って屋上へ続く階段に向かっているのか。
「……まさかね」
 つかの間、二人の仲に要らぬ勘繰りを入れて、美綴は首を振った。あの稀に見る朴念仁の衛宮士郎と、学校一の<高値>の花である遠坂凛がそういう仲になるなど、美綴の想像の範疇を超えた事だった。
 そんな些細な事に苦笑しながら、美綴は一階の玄関に向けて足を速めていった。
 校舎を出て、寄りそうように建つ弓道場の扉を開く。野立ちの道場ではなく、ちゃんとした屋敷である。
「ごめん、遅れたっ」
「ああ、気にすんな」
 和風な造りをした内部、板張りの床に腰を降ろして、その何とも場違いな男は笑っていた。
 弓を射る場所から的までの間はむき出しになっており、ダンテは丁度その縁側に当たる位置に腰を掛けて座っていた。やはり、じかに床に座るというのは日本人以外には慣れない感性らしい。そんな他愛もない事に、美綴は苦笑する。
 今、この時に不安はなかった。平穏なこの場所が戦場と知って以来怯えていた心が、唯一心休まるのは皮肉にもそれを教えた目の前の男の傍なのだ。彼の自信に満ちた不敵な笑みは、闇の中でなお恐れを振り払う。
 美綴はダンテの傍に腰を降ろすと、バスケットの蓋を開いてそこからサンドイッチの入った箱を床に並べていった。
「ああ、あのキャスターって人は?」
「校舎を見回ってるぜ。おっ、美味そうだな」
「ああ、お腹減ってると思って」
「朝から何も食ってなかったからな、ようやくまともな食事にありつけたぜ」
 美綴の勧めるままにダンテはサンドイッチを口に放り込んでいった。見てみて気持ちのいいくらいの食いっぷりだ。自然と、作った美綴もうれしくて笑顔になる。バスケットからコーヒーの入った魔法瓶を取り出すと、コップに注いで美綴も昼食を取り始めた。
 ダンテと並んでサンドイッチを齧りながら、男と並んで食事をするこの状況を他の生徒や友人に見られたら、きっと大騒ぎになるんだろうなあと、とりとめもない事を考える。大体にして、男より男らしい主将美綴綾子が男の為に弁当を作ってやるなんて事自体、何かの快挙だ。恋愛話とはとんと縁がない彼女には初めての事だった。
 しかし、それでも今まったく異性としての気恥ずかしさなどを感じないのは、おそらくダンテが相手だからだろう。初めて会った時に感じたように、彼には他人を警戒させない気安さや雰囲気がある。いつか遠坂に言った『友人にしたらおもしろい』というのは美綴の本音だった。
「それで、この学校の様子はどうだった?」
 空腹も徐々に収まって、ようやくダンテの食事のペースが落ち着いてきた所で美綴は切り出した。
 この学校が何かおかしい、という事ははっきりとしていたが、それが何なのかは未だ分かっていない。それを調べる為に、ダンテ達は学校が始まる時間から校内へ侵入していた。もちろん、彼らの存在は生徒達には知られていないし、その為にわざわざダンテはこの弓道場へ潜伏しているのだ。
「キャスターの話だと、何か結界が張ってあるそうだ」
「結界? ああ、なんて言うか……それは文字通りのモノを想像していいのか?」
「さあな。とにかく、その結界って奴はかなり凶悪な性質を持っているらしいぜ」
 二人とも魔術に関しては知識が乏しい。その点では、小難しい用語や解説抜きに要点だけを述べるダンテの説明は美綴にも分かりやすかった。
「ソイツが発動すると、中にいる人間を全て溶かして血の塊にした後で吸い上げるんだそうだ。ろ過器みたいだって、キャスターが言ってたな。人間の魂やら魔力やらを、骨や肉を削ぎ落として血っていう形にして効率よく吸収するんだとよ」
「な……っ!」
 吐き捨てるようなダンテの言葉。俄かには信じ難い、その最悪の内容に美綴は思わず絶句した。
「え……あ、それって結構ヤバイ話なんじゃないのっ?」
「ヤバイ。キャスターが今、結界の基点を探ってる。他にもその結界を妨害しようとする奴がいるらしくて、幾つかの基点は既に消されてるんだそうだ。だが、それは爆弾処理で言えば、爆弾を液体窒素で凍らせたようなモンらしい。結界を仕掛けた本人がその気になれば、不完全でも発動する。今、この瞬間にもだ」
「……っ」
 ダンテが美綴の視線を真っ直ぐに受けて、その事実を告げた。知らず、息を呑む。
 危機感は当たっていた。まさしく、自分は怪物の胃袋にいるのだ。その気になれば溶かされ、その怪物が喰らうただの栄養と成り果てる場所に。
「キャスターは結界を無力化させるって言ってるが、結界を張った奴がこの学校にいる可能性もあるからな、気づかれないように少しずつやるしかない。だから思うように進まないそうだ。それに、これは爆弾の中で爆弾処理をするようなモンだ」
 頬張ったサンドイッチを熱いコーヒーで流し込んでから、ダンテは傍らに置いた布の塊を手元に手繰り寄せた。それはもちろん、彼の愛用する魔剣アラストルだ。
「最悪の場合、ここで戦闘になる。だからな、それを食い終わったらここから離れろ」
「それは……」
「他の奴らは諦めろ。ここにいる全員を逃がすなんて大きな動きは取れねえ、それだけで相手に勘付かれるからな」
 だから逃げろ、と。切り捨てろ、と。あの夜彼が言ったように、危険と感じる場所からは全力で離れろと。
 美綴は唇を噛み締めた。それは正しい判断だ。いつか彼が言ったように、自分は権利を得た。あの理不尽な夜の事件に巻き込まれ、知らなくていい恐怖を知り、今もそれに怯える。だが、その代償として今、その危機から逃げる権利も得ていた。そう、それはまさに彼女が得た権利だったのだ。
 結界が消える保証なんてない。今すぐにここは地獄と化すかもしれない。ならば、自分以外を切り捨てて生き延びて何が悪い。
 悪くはない。それは正当な権利。危険と引き換えに手にした、等価交換だ。
「……いや、ここにいるよ」
 だが、美綴はその言葉にしばし考えた後で首を横に振った。
 顔を上げる。何故だろうか。一度決断すれば、そこに恐怖は無く、むしろ清々しさすらあった。
「ほっとけない奴らがいるんだ」
 思い出す、彼女の数少ない心許せる友人を。
 思い出す、彼女が一方的にライバルと認め、本当に馬鹿が付くくらいお人よしな少年を。
 思い出す、この場所で出会ったたくさんの人間を。
「だから、一緒にいるよ」
 美綴は自分に言い聞かせるように、静かに呟いた。その言葉に、ダンテは愉快そうに笑った。
「……そうかよ。ははっ、ああ畜生。ここに来ていい女ばっかりに出会うじゃねえか」
 誰にとも無く軽口を叩いて、ダンテはようやくいつものクールな微笑を浮かべた。美綴がそれにつられるように笑う。
 怖くないわけない。しかし、同じ場所に自分の友達がいると考えるだけで、覚悟が決まってしまう。馬鹿な判断だと自覚しながら、仕方がないと思えてしまう。
 悪くない気分だ。
 静かな弓道場に、二人の笑い声はしばらく続いていた。


 そして、唐突に。
 視界が血のような真っ赤な色に染められた―――。


「ぐ……っ!?」
 不意に襲い掛かった圧迫感に、美綴は意識が弾け飛ぶのを感じた。そのまま奈落の底へ落ちていく感覚を、踏ん張って堪える。
「おいおい、空気を読みやがれってんだ……」
 ダンテが苦虫を噛み潰したような顔で吐き捨てた。
 辺り一面が血のように赤く染まっている。全身を襲う強い倦怠感は、並みの人間が受ければそのまま意識を飛ばされる。
 最悪の事態。結界が発動したのだ。
「これ……どうなって……っ」
「最悪の事態って奴だ。おい、意識を失うなよ。キツイだろうが抵抗しろ!」
 蹲る美綴をダンテが励ます。この地獄と化した空間で美綴が意識を失わないのは、一重にその身が持つ魔力量の多さからだった。キャスターの言う通り、彼女が突然変異で手に入れた普通の人間よりも多い魔術回路が結界の効果に対する強い抵抗力となっているのだ。
「おねが……みんなを、たすけ……っ」
「馬鹿野郎! こんな時まで他人の心配してんじゃねえ!!」
 悪態をつくようにダンテが声を荒げる。アラストルに巻かれた布を毟り取ると、露になった刀身が一瞬紫電をほとばしらせた。近くにサーヴァントがいる。
「いいか、すぐにコイツを消してやる! それまで意識だけは失うな!」
 その言葉に美綴が弱弱しく頷くのを確認すると、ダンテは弾けるようにその場から駆け出した。
 弓道場を出て周囲を見渡せば、空は真紅に染まり、地面には生徒達がまるで死体のように転がっている。まさに地獄絵図だ。
 ダンテの持つ強大な魔力はこの異常な圧迫感すらも完全に跳ね返していたが、普通の人間にはとても耐えられるモノではない。ろうそくが火であぶられるように、じわじわと体を溶かされてしまう。
「キャスター、どうなってる!?」
『結界が不完全だけど、発動したわ』
 キャスターと彼を繋ぐラインを通じて、声が返って来る。それは落ち着いているが、同時に隠しきれない緊張感を含んだものでもあった。
「消せないのか!?」
『無理ね。恐ろしく精巧で強固な仕組みだわ。でも今、別の方法で結界を無効化する為の作業中よ。あと少しだけかかるわ』
「俺は何をすればいい?」
『とにかく、この結界を仕掛けた張本人を探して頂戴。建物の屋上にサーヴァントの気配を感じたわ』
「OK! そっちも急いで頼むぜ!」
 返事を返しながら、ダンテは疾風のように駆け出した。完全に異界と化した空間は、息をする事さえままならない程の重苦しさを漂わせていたが、それは魔の血を持つダンテに何ら影響を与える事は出来なかった。
「待ってろ、クソ野郎! ぶった斬ってやるぜ!」
 屍のような生徒達を横切って、ダンテは校舎の屋上に向けて全力疾走する。
 校舎に近づく。玄関を潜り、階段を昇って屋上まで辿り着かねばならないのだが、ダンテにはそんな長い手順を踏む余裕もつもりもなかった。
 弓道場から校舎まで、玄関を無視して一直線に突っ走る。そして建物を目前にまで接近すると、走る勢いのまま全力で跳躍した。
 体が宙を泳ぐ。人間を超えた脚力で飛び上がったダンテは校舎の二階の位置にまで到達していた。しかし、まだ足りない。そこから更に、魔力で一瞬の足場を作って二段階のジャンプを行う。
 目の前に迫る小さな窓を枠ごとぶち破って、ダンテは校舎の中へと侵入した。破片を踏み締めて着地し、同時に周囲を見回すとそこが屋上に続く階段の踊り場であると確認できる。道のショートカットは成功だ。
 小さく呼吸。息を吐くと同時にダンテは再び地面を蹴った。三段飛ばしにして、階段を一瞬にして昇りきる。目前に迫る、屋上への扉。
「オラァ!!」
 それを蹴り飛ばす。金具が弾け、扉は指向性の爆薬でも使用されたかのように吹き飛んだ。そのまま転がるようにして屋上へと躍り出る。
 空と学校周辺が一望できる場所で、身を隠す物など多くはない。屋上に出ると同時に、ダンテは腰の銃を抜き放って周囲に突きつけた。右と左を警戒し、前方と後方に無駄のない動きで視線を走らせる。
 一望できる位置にはサーヴァントの姿も、そのマスターの姿も確認できなかった。紅の空と、圧迫感を増した空気が焦燥感だけを煽り立てる。
 しかし、確かに何かがいる。背中の魔剣が雷を伴ってそれを教えてくれている。
「出て来いよ、腰抜け。この結界を止めたら、半殺しで済ませてやるぜ?」
 ゆっくりと入ってきた扉から離れるように屋上を歩く。全神経を外に向けて、わずかな気配すらも逃さない。
 歩きながら、ダンテは屋上の一角に刻まれた奇妙な紋様を視界に入れた。銃を片方しまって、空いた手でそれに触れる。禍々しい魔力を放つそれは、結界の基点の内でその中心となるモノだった。
 これを破壊するなり消去すれば結界は消えるだろう。しかし、あいにくとダンテには魔術に関する知識が全くと言っていいほどない。彼には手も足も出ないシロモノだった。
「キャスター、急げよ……っ」
 呟く彼の声には、珍しく焦りの色が滲んでいた。
 その瞬間、アラストルが一際大きな咆哮を上げた。弾けるような紫電。強大な存在がやって来る。ダンテは反射的に、振り返り様銃口を屋上の入口へと向けた。
 ガシャッ、と。鎧の鳴る金属的な音を立てて疾風のようにその白銀の騎士は屋上に踏み込んでいた。
「―――お前」
「アナタはっ!」
 絡み合う視線。そこには、かつて狂戦士を相手に共に切り結んだ剣の英霊が立っていた。
 それに続くように、セイバーの背後から以前出会った士郎と凛が姿を現す。この結界の影響下においても、なんら負担を負っていないようだった。
「よう、お揃いで」
「アンタは……ダンテ!?」
 思わぬ再会に芝居の掛かった会釈を返すダンテを見て、凛が驚愕に眼を見開く。
 ダンテはわずかにいぶかしんだ。彼女の表情には驚きと同時に、僅かな怒りの色が滲んでいる。
「ちょっと、アンタがなんでここに……っ」
「遅かったな。結界を消しに来たんだろ?」
 銃をホルダーにしまって、笑みを浮かべる。正直安堵していた。切迫しているこの状況で、彼女達の助力はありがたい。わずか数回顔をあわせただけだが、全員がこの凶悪にして下劣極まりない結界を嫌悪するだけの人格者だとダンテは確信していた。それに、おそらく士郎と凛は美綴の級友のはずだ。
 ゆえに、ダンテは気づかなかった。
 今、この場所と状況で、その意味深げな笑みと台詞が誤解を招いているという事実に。
「……そう、じゃあやっぱり」
「あん?」
 驚愕の表情を、徐々に怒りと冷徹さに変えていく凛。ダンテは踏み出そうとした足を止める。
 正面には、何故か敵意を持ってこちらを睨むセイバー。
「まさかとは思ったけど、アンタがこの結界を張ったとはね」
 そんなとんでもない事を言い出した。




「……ちょ、ちょっと待て。何か誤解してないか?」
 性質の悪いジョークを聞いた時のように、ダンテは珍しく狼狽した。しかし、彼に向けられた疑惑と敵意の眼差しは変わらない。士郎でさえ、困惑しながらもその視線は緊張感を持ってダンテを見据えている。
「そういうタイプには見えなかったんだけどね。まあいいわ、とにかく結界を消しなさい」
「おい、聞けよ」
「うっさい! 戦うなら正面からやってやるわよ、だから今すぐこの悪趣味な結界を消すようにキャスターに命令すんのよ!」
 凛は焦燥と、怒りと、失望で冷静さを失っていた。
 発動した結界による被害を、たった今下に降りて見てきてしまったのだ。抵抗力のない生徒達が、まるで死骸のように床に散らばり、その皮膚をゆっくりと溶かされていく様を。
 中には見知った顔もあった。一緒にクレープを食べた蒔寺も、その友達の氷室も、いつも柔らかい笑顔で接してくれる三枝も、皆が生気のない顔で倒れ伏している。
 この状況を生み出した犯人への怒り、そして状況を打開しなければならないという焦り。誰かが死ぬかもしれない。それは知り合いかもしれない。それに対する恐怖。
 そして、そんな混迷した心にトドメをさしたのが屋上で佇むダンテの姿だった。彼は以前見たような笑みを浮かべて、結界の中心である基点の傍に立っていた。
 他の可能性など思い浮かばなかった。この状況で、この光景。全てが、強力な現実感を持って凛に訴えていた。
 そして、その事実に何故か『裏切られた』と思う自分がいる。
 冷静に考えて、魔術的な結界というものと真っ先に結びつくのは魔術師のサーヴァントであるキャスターだ。そして彼はそのキャスターのマスターで、この学校に接点もあった。疑うには十分すぎる要素が揃っていたのだ。
 それでも。そこまで要素を揃えながら、凛は彼の仕業ではないと判断していた。こんな姑息で外道な方法を取るような男ではないと確信に近い思いを抱いていた。
 業火のような魔力と、心の奥に届く恐怖、そして決して消えない不敵な笑み。
 真紅の悪魔―――。
 初めて出会った時から彼のそのイメージは強烈に意識に焼き付いていた。ある種一目惚れにも似た先入観で、彼をこの戦争におけるライバルとも認めていたのだ。
 それは一方的だが信頼にも似た感情だった。
 それを裏切られた。
 凛は完全に頭に血が上っていた。
「早く消しなさい!」
 だから。
「いや待て、それは無理だ」
 その端的な言葉に、彼女は本気でキレた。
 宝石を取り出す。学校を吹き飛ばすわけにはいかないので、手持ちの内で中クラスの魔力を秘めた宝石を。それでも人間の体をバラバラに吹き飛ばすには十分すぎる威力を持っていた。
 それを問答無用で、弾丸のようにダンテに向けて投げつけた。
 凛の魔術攻撃は手榴弾に近い。魔力という火薬を含んだ宝石を投げつけ、それを任意で爆発させる。その爆発がどういう効果を持つかは詠唱や込められた魔力の属性による。
 そして、たった今投げつけた宝石は文字通りの弾丸だった。凛の詠唱に従い、強力な魔弾となって襲い掛かる。
「うおぉっと!?」
 突然の攻撃に驚きながらも、ダンテは背中の剣でその一撃を弾き飛ばした。強力な魔術ではあるが、キャスターの魔力弾を弾き返すほどの神秘を秘めた魔剣の前では歯が立つものではない。
 雷撃。弾ける閃光と共に魔弾はあらぬ方向へと吹き飛ばされる。しかし、その一瞬の隙を突いてセイバーがダンテとの間合いをゼロのまで詰めていた。
「ちょっと待てっ!」
「ハァッ!!」
 聞く耳など持っちゃいない。閃光のように迫るセイバーの斬撃を、ダンテが慌てて防御する。防御して、そのまま吹き飛ばされた。
 バーサーカーの攻撃が単純な腕力によるものだとすると、セイバーのそれは魔力によるジェット噴射を加えた強力な一撃だ。足を踏ん張って衝撃を押さえ込もうとするが、セイバーの倍近くあるダンテの体は冗談のように床を滑っていた。
 連続する追撃。迫る少女の顔には、はっきりと映っている。それは凛と同じ、裏切りに対する怒り。
「話を聞け!」
「問答無用!」
 激情を隠そうともせず、歯を噛み締めてセイバーが不可視の剣を繰り出した。見えない刃を、ダンテはほとんど勘だけで防御する。だが、それ以上の事が出来ない。セイバーに対する動揺を抜かしても、それは絶対的な不利だった。
「セ、セイバー、ちょっと待て!」
「シロウ、口を出さないで下さい!」
 ただ一人完全な敵意を持たずにダンテの様子を伺っていた士郎は、相手の消極的な動きに気づいた。
 元々彼はマスターを最初から完全に敵視しているわけではない。話し合いで済まされるならば、という一歩退いた考えが幸いして、ダンテの様子を冷静に受け止める事が出来たのだ。彼は明らかに、セイバーの怒りに対して戸惑っている。
 しかし、その士郎の言葉さえセイバーは切り伏せた。燃えるような怒りを宿した瞳に、普段の冷静さはほとんど映っていない。
「いいか、この結界は……っ!」
「黙れ、貴様は剣の誇りを穢した!」
「この野郎、キレてんじゃねえ!」
 雷と魔力の炸裂が混ざり合って、激しい戦いの音を鳴り響かせる。
 防戦一方に回っているのはダンテの方だった。攻撃が見えないという不利に加え、セイバーの剣技は卓越している。ダンテの剣とは違う、正当な道を究めた極限の業だ。
 鋭い一撃を予測と勘で受け止めるのが精一杯だった。そして、セイバーの瞳に滾る怒りの感情が彼を戸惑わせる。
 たった一度の面識しかない相手に、何故そこまで純粋に怒っているのか。
 すくい上げるような一撃。アラストルが弾かれる。
「スパーダの剣を継ぐ者が、恥を知れっ―――!!」
 瞬間、ダンテの思考が停止した。
 返す刀が怒りと共に振り下ろされる。かろうじて差し出した刀身を、関係ないとばかりに弾き飛ばして、不可視の剣の切っ先がダンテの肩を深く薙いだ。飛び散る鮮血と痛みの中で、しかしダンテが抱く思いは一つだけ。
 何故―――?
「……何で、お前が父を知ってる?」
 距離を取って対峙したダンテとセイバー。膝をついたダンテは、目の前の少女の英霊を睨みつけながら呟いた。
 <スパーダ>と、彼女は確かに言った。その言葉に、何らかの強い感情を込めて。それは親愛のようでもあり、畏怖のようでもあった。いずれにせよ単純なものではない、様々な感情が混ざり合った、ただはっきりと強いとだけ分かる激情を込めた声だった。
 ダンテの思わぬ台詞に、セイバーと後方の凛が驚きに眼を見開いている。
「……父? では、アナタはスパーダの息子だと言うのですか?」
「ああ、俺の父親はスパーダだ。それで、アンタの知ってるスパーダは伝説の魔剣士スパーダか?」
「―――そうです」
 ダンテの視線が、殺気にも似た鋭さを帯びる。そこに強い疑惑の色。
 そしてセイバーもまた、同じように視線に殺気を込めてダンテを睨み付けた。先ほどよりも、より強くなった怒り。剣を握る腕にも、無意識に力が篭る。
「……スパーダの血族ならば、なおさら。何故……っ!!」
 ぎしりっと歯が鳴り、セイバーの綺麗な顔が怒りに歪んだ。はっきりと映る、少女にはそぐわない侮蔑の感情。
 そんな二人のやり取りを見ながら、凛は混乱する頭を必死で整理していた。
「嘘……スパーダが実在するっていうわけ?」
「遠坂、そのスパーダって何なんだ?」
「魔術師の間のおとぎ話よ」
 ワケがわからないといった士郎の問いに、凛は憮然としながら答えた。
「大昔に、魔界から人間の世界を支配しようと悪魔の軍団がやって来た。けど、その人間の危機に一人の悪魔が正義に目覚めて立ち向かったっていう……まあ何処にでもある子供向けの架空のお話。実際、私がそれを知ったのも子供の頃に絵本で読んだからだし。スパーダはそのお話で、人間界を救った悪魔の名前よ。」
 その言葉に、士郎は納得した。確かにそれはおとぎ話だ。絵に描いたような<正義の味方>の、何処にでもある英雄伝承(サーガ)だった。
「でも、セイバーは……」
「だからビックリしてるのよ。だいたい、魔界なんて不明瞭なモノも実在するかどうかはっきりしてないんだから!」
 苛立ったように声を荒げる。
 疑問は数多くあった。スパーダが実在するのならば、悪魔も、魔界もまた実在するのではないか。だがそれ以上に今疑問なのは、何故セイバーがそのスパーダとさも面識があるような態度を取っているのか。
 彼女の真名は知らないが、その正体は一体何なのだろうか――?
 困惑する二人の目の前で、魔剣士の息子と剣の英霊の張り詰めた空気が展開されていた。
「わからねえな、お嬢さん。何者なんだ? 何処で父と出会った?」
「……もはやアナタと交わす言葉などない。スパーダの血は腐った」
 セイバーが剣を構える。その瞳には殺意と冷気。ただ淡々と、腐敗した体の一部を切り落とす作業を行うかのように。嫌悪も怒りも消して、目の前の男を見据える。
「……OK、落ち着こうぜ?」
 張り詰めた空気を霧散させるように、ため息を吐く。
 それまで疑問や緊張を解くと、ダンテはやれやれといった様子で肩を竦めた。構えていた剣も無造作に下ろしてしまう。
「まず、その誤解を解いた方がいいか」
「……誤解?」
「そ、誤解。この結界を張ったのは俺でもキャスターでもねえ」
 不意に、戦意を微塵も残さず霧散させたダンテに対して、戸惑うようにセイバーが尋ねた。
 淡々と告げられた言葉に、頭に上っていた血がようやく降りてくる。奇しくも、彼がスパーダの息子であるという驚愕の事実が彼女の激情に一旦の楔を打ち込んでいた。
 背後では士郎の説得もあって、ようやく凛がダンテに対する敵意を薄れさせている。
 ダンテは剣を収めると、無抵抗である事を示すように両手を広げた。
「信用しろよ? 俺はこの結界を止めに来たんだ、キャスターが今その作業をしてる真っ最中さ」
 冷静に考えれば、ダンテがこのような手段を取る悪党ではないというイメージを抱いていたが故に、あれだけの怒りを覚えたのだ。誤解と言う彼の言葉も素直に受け入れる事が出来た。
 セイバーが何処か安堵した様子で剣を下ろす。背後では憮然としながらも、凛がバツの悪そうな表情をダンテに向けていた。
「そうでしたか。それはっ……申し訳ありません」
 ダンテの肩に刻まれた深い傷を見て一瞬息を呑み、セイバーは苦しげに謝罪を口にした。あれは冷静に状況を把握できなかった自身の過失だ。結界が発動する中ではゆっくりと話を通す時間もないが、今だけ己の失態を恥じて悔い改める。
「いや、確かに誤解されるような状況だったぜ」
 ダンテがセイバーの謝罪を笑って受け止める。
 ようやく、お互いの心に落ち着きが戻ってきていた。
「……では、アナタは何故この場所にいたのですか?」
 そして、ようやく。
「ああ、それはキャスターが屋上にコイツを仕掛けたサーヴァントがいるって……」
 ダンテは我に返った。
 そうだ。ここには、敵を探して辿り着いたのだ。
 瞬間、予想外の事態に混乱していた意識が元に戻る。緊張感が全身を駆け巡り、無意識に神経を研ぎ澄まして周囲を警戒しようとした。
 伸ばした手、剣の柄を握る。しかし、それを抜くより早く。









 ドン、と軽い衝撃。
「お……?」
 虚空から飛来した鉛の杭が、音も無くダンテの心臓に突き刺さった―――。










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