ACT10「魔人」



 セイバーやバーサーカー、果ては空を飛ぶキャスターの登場に現実離れした異常さを実感していた士郎だったが、それは正に決定的だった。
 ノイズが走るように、真紅のコートを着た異人の男と角と翼の生えた悪魔の姿が交互に入れ替わって見える。それはこれまでの戦闘で張り詰めた神経が見せる幻覚などではなく、何度瞬きしても消えない確かな現実だった。
 おとぎ話や神話に出てくる悪魔が、今目の前に実在するのだ。
 蒼い稲妻となったダンテは獣じみた咆哮を上げながらバーサーカーに突進していった。狂える巨人が同じように、人間離れした雄叫びを上げて斧剣を振りかざす。
 二つの刃が激突した。
 全身に魔力を漲らせたダンテの一撃が、バーサーカーの剛剣を弾いて逸らす。狂化により上がったバーサーカーのパワーを考えれば、その一撃を逸らしたダンテの攻撃力はセイバーのそれに匹敵すると言えた。
「バーサーカー、そいつから殺しなさい!」
 呆然とする者が大半の中、イリヤが己の巨大なる下僕に命令を叩きつけた。
 悪魔に対する恐怖。それに呑まれそうになる自分が許せない。
 少女とそのサーヴァントは最強のコンビ。その絶対の自信が、怯える事を強く拒否していた。
 主の言葉を受けたバーサーカーが、更なる狂気と力を乗せて咆哮する。
 振り上がる鉄塊。たとえ相手が悪魔であろうと、かつて多くの試練を超えた英雄たるこの身は臆しはしない。有象無象の区別なく、この刃で一吹きの赤い霧に成り果たせ!
 絶対の死を纏って振り下ろされる斧剣を、しかしダンテの背後から飛来した強力な魔力弾が打ち据えた。
「動きが正直すぎるのよ、この筋肉達磨」
 ダンテのはるか後方、凛達をかばうように前に出たキャスターが不敵な笑みを浮かべていた。
 肩を吹き飛ばされたバーサーカーだったが、鮮血が吹き出る事も構わずに剣を振り下ろした。しかしパワーの低下は否めない。魔人と化したダンテが刃をすくい上げ、その一撃を迎撃する。爆発に等しい魔力の炸裂音と共に、互いの剣が弾け合った。
 剣が離れた一瞬の隙を突いて、ダンテがバーサーカーとすれ違うようにその場を離脱する。
 バーサーカーは追う事が出来なかった。彼は狂える意識の中でも本能的に理解していたのだ。今、自分の身はキャスターとイリヤの対角線上にある。もしこの身が動けば、キャスターの魔術の射線上に己が主の身が晒されるだろう。知らず、彼の動きは制限されていたのだ。
 睨み付けるバーサーカーの視線に、ダンテが嘲るような笑みを向けた。
「子供連れで戦争に来るからだぜ、ダディ?」
 ダンテのいつもの軽口は、酷く冷徹な声色だった。血を好み、死を好み、闘争に酔う悪魔としての本性が色濃く出ている。暗い闘志が今のダンテを強く突き動かしていた。
 間合いを取ると同時に、ダンテは剣を構えた。刃を水平にして切っ先を敵に向ける。
「あれは……っ!」
 それまで魔人化したダンテを警戒して様子を見ていたセイバーが、弓を引き絞るように体を捻って力を溜めるという剣術としては異常な構えを見て、思わず驚愕の声を上げた。
 全員が戦闘に集中していたので幸いその声に気を取られる者はいなかったが、セイバーはダンテのその構えに古い記憶が蘇るのを感じた。そして、衝動的に剣を構えて駆け出していた。
 ほとんど確信していた。あの一撃が勝機を生み出す、と。
「フンッ!!」
 鋭い呼気と共に、引き絞った力を解き放つ。
 ダンテが投擲した魔剣は、凄まじい回転を加えられ、紫電を纏う竜巻と化して一直線にバーサーカーへと突進した。
『■■■■■ーーーッ!!!』
 迫り来る剣を叩き落さんと、バーサーカーが雄叫びを上げて剣を振り下ろす。持ち主の手を離れた剣など、彼の一撃があっさりと弾き返すだろう。
 刃が激突する。
『!?』
 しかし、予想に反して雷を纏う剣は弾かれる事はなかった。。文字通りその場に『留まった』のだ。
 空中で回転しながら滞空して、バーサーカーの斧剣をその場で遮り続けている。ガリガリと刃が刃を削り取り、魔力をほとばしらせる音が響き渡った。
 タネを明かせば至極簡単。この技はヨーヨーに似た原理を魔力で行ったものだった。一定時間滞空して、魔力の糸を辿り再び手に戻る。ただの剣の投擲だと侮った敵のミスだ。
 剣に叩き込んだ魔力がバーサーカーの力と拮抗する様子を睨みながら、ダンテは素早く二挺の銃を引き抜いた。うまく直撃しても防御されても、どちらにせよ追撃を加えられる事がこの技の強みだ。
 父、スパーダ直伝の剣技は魔界の剣。たとえ英雄でも元は人間が味わった経験などある筈がない、変幻自在の人間を超えた業だ。
 全身に駆け巡る雷の魔力を銃身に流し込み、ダンテは照準をバーサーカーの顔面に定めた。どれほどの効果があるかはわからないが、連続して叩き込めば眼くらいは潰せるだろう。
 しかし、ダンテが引き金を引くより早く、白銀の疾風がバーサーカーの懐に入り込んだ。
「ハァアアアアアアーーーーッ!!」
 裂帛の気合いと共に、一陣の風となったセイバーが剣を振るう。最高の魔力を込めた斬撃は、がら空きの横腹へと吸い込まれるように叩きつけられた。
 バーサーカーの硬直と隙を、まるで狙っていたかのように突いた極大の一撃。いかに鋼の肉体と言えどもこれが通じないハズはない。
 走る剣閃。インパクトと同時に魔力が炸裂し、バーサーカーのわき腹が抉るように切り裂かれた。
 クリーンヒットだ。あまりに綺麗過ぎる一撃だ。ダンテは思わず会心の笑みを浮かべながらも、内心ではいぶかしんでいた。セイバーの一連の動きは、一切の澱みも躊躇いもなかった。まるでダンテの技の性質がどういう物なのかあらかじめ知っていたかのようだ。
 だが内心の疑念を深く考えるよりも、ダンテにはこの思いもよらぬチャンスを活かす事が先決だった。
『■■■■■ーーーッ!!』
 予想外のダメージを受けたバーサーカーが、怒りの咆哮を上げて剣を振り回す。アラストルが回転を止めて、あっさりと弾き飛ばされた。返す刀がセイバーに迫る。
 そこに間髪入れず、キャスターの魔力弾の嵐が降り注いだ。対魔力Aを誇るセイバーならば巻き添えを気にする必要もない。威力を重視した爆撃が降り注ぎ、バーサーカーが爆炎に包まれて悶える。
 ダンテは一気に畳み掛けた。両手の銃を撃ちまくりながら、バーサーカーに突進する。雷鳴と共に吐き出される銃弾がバーサーカーの眼に集中して、眼球を吹き飛ばす。
 空中で弧を描いて戻ってくる剣を掴むと、ダンテはバーサーカーの目前で高々と跳び上がった。人間を超えた跳躍力で、身長が3メートル近くあるバーサーカーの目線と同じ位置まで到達する。しかし、まだ足りない。
 ダンテはそこから更に跳んだ。
 もう一段跳躍を加える。何もない空中に一瞬だけ出現した赤い魔方陣が足場となり、ダンテはそれを蹴ってもう一度跳んだのだ。
 その様子を見ていた凛には、あの技が投影魔術の応用に近いものだと判った。呪文詠唱も無しに、一瞬とは言え魔力で物理な足場を作り出す等呆れ果てた能力だと思ったが、あるいはあの異常な物理干渉力が悪魔の持つ魔力の特性なのだろうか。
「ダァアアアッ!!」
 二段階のジャンプを経て、空高く飛翔したダンテはそのまま落下速度を利用して気合いと共に剣を振り下ろした。天から降るその一撃は、まさしく蒼い雷だ。
 ダンテが狙ったのはキャスターが抉った肩の傷口だった。そこに向けて、一直線に剣を叩き下ろす。
 刃が傷口にズブリッとメリ込む。抵抗は一瞬だった。空中に身を投げ出すリスクを伴ったその一撃は効果を発揮し、バーサーカーの肩から先を問答無用で切断した。
 ズダンッ、とダンテが着地する音と刃が地面を叩く音が重なる。遅れて、斬り落とされたバーサーカーの右腕が斧剣を握ったまま地面を転がった。
「バーサーカーっ!?」
 さすがのイリヤも、一瞬の出来事に驚愕の声を上げていた。
『■■■■■ーーーッ!!!』
 腹を切り裂かれ、眼を潰され、右腕を失った狂戦士はそれでも絶望と恐怖を感じない。自らを突き動かす狂気のままに、残った左腕をダンテに振り下ろした。岩のような拳が、背を向けたダンテの死角から押し潰さんと迫る。
 しかし、ダンテは振り返らなかった。何故なら彼の銀髪をなびかせて、白銀の疾風が通り過ぎたからだ。
「ハァッ!」
 鋭い呼気と共に放たれたセイバーの一撃が、バーサーカーの腕を弾き飛ばした。金属的な手応えから、相手に傷を負わせていない事がわかったが今はそれで十分だ。
 バーサーカーの左右に、それぞれ背を向ける形で剣を構えたダンテとセイバー。二人は一瞬だけ視線を交わした。
「合わせろ!」
「応っ!」
 思考は刹那。ダンテの言葉に、セイバーが力強く応える。
 二人は同時に、拳を弾かれてその懐を無防備に晒したバーサーカーに向けて剣を閃かせた。
「「ハァアアアアアーーーッ!!!」」
 二つの咆哮が重なる。圧倒的な魔力を込めた不可視の斬撃と、雷を纏った魔人の斬撃が、狙う一点で重なり合って炸裂した。
 恐るべき力が集約された一撃が爆発すると同時に、閃光がほとばしった。凄まじい速さで進行する戦況を、なんとか視力を強化する事で追っていた凛と士郎が、その光に思わず呻く。
 最強の一撃を振り抜くダンテとセイバー。
 一瞬の閃光が収まった後には、二つの斬撃に体を斬り裂かれたバーサーカーが佇んでいた。肉厚の胸には×の字を描いて抉るような剣の軌跡が刻み込まれている。
「やった!」
 凛は思わず歓声を上げていた。あれは明らかに致命傷だ。
 しかし、ダンテとセイバーは油断しなかった。驚異的な生命力を誇るバーサーカーの命を絶つには完璧なトドメを刺さなければならない。
 ダンテが不敵な笑みを浮かべながら魔力を充填した銃をバーサーカーの傷口に向け、セイバーが返す刀を叩き込もうと鋭く睨む。
 だがその瞬間、ダンテの優れた聴覚がかすかな声を捉えた。
『―――I am the bone of my sword』
 無機質なその言葉と同時に、どうしようもない悪寒が走り抜けた。






「―――I am the bone of my sword(我が骨子は捻れ狂う)」
 凛と同じように、決着がつきそうな戦況に見入っていた士郎は、その言葉を聞いて弾けるように視線を走らせた。
 他愛もない言葉だった。意味だって解りはしない。この非常識な戦闘の最中で、耳に留めるにはあまりに小さな事だった。
 しかし、それでも。
 そのたった一小節の言葉が士郎の体に響き、浸透し、全身が熱を帯びる。まるで熱い鉛のように、心の奥に圧し掛かる。
 その言葉を追って、士郎は声の方向に視線を向けた。
「アイツは……っ!」
 視線の先には、赤い外套を羽織った弓の英霊が巨大な矢を、今まさに放たんと引き絞っていた。
 巨大な弓につがえられた矢は、<矢>と呼ぶにはあまりに歪だった。螺旋状に捻れた刀身と柄を持つ剣を、無理矢理に<矢>として射ろうとしているようにも見える。その捻れた螺旋の刀身には暴発寸前にまで魔力が蓄えられているのが、士郎にもハッキリとわかった。
 果たしてそれは<矢>と言えるのか。ただ一つ確かなのは、その捻れた矢がアーチャーにとって全てを終局させる切り札の一つであるという事だ。
 そして今、その矢は真っ直ぐに戦闘の最中へと向けられていた。
 士郎の勘が全力で不吉を告げた。
 あの男は射つ。バーサーカーと戦う、ダンテと呼ばれる悪魔の男やセイバー、もろもろを巻き込んで全てを吹き飛ばすつもりだ。士郎にはそれが確信できた。何故ならアーチャーの瞳は、無機質に照準を定めるだけのスコープと化していたのだから。
「くそ……っ!!」
 気がつけば駆け出していた。何をすべきかも判らないまま、ただアーチャーの行動を否定する気持ちだけが士郎を動かす。
 その判断は間違っている。その矢を射る事は間違っている。何かを切り捨てて目的を達する、その考えが間違っている。
 目の前でセイバーがアーチャーの手にかかって死ぬ、それが大いに間違っている―――!
「セイバー……!!」
 認めない。衛宮士郎はそれを完全に認めない。
「―――偽・螺旋剣(カラドボルグ)」
 士郎は全力で駆け抜けた。視界の隅で、螺旋の刃がついに放たれるのを見たような気がしたが、それを無視してセイバーの元へと走った。
「な……っ!」
「何!?」
 セイバーが駆けつける士郎を見て驚愕し、ダンテは悪寒と共に振り返って見開いた眼で迫り来る螺旋剣を捉える。
 バーサーカー、ダンテ、セイバー、士郎。全員の動きが酷くスローに見える奇妙な空間の中を、捻れた矢が大気を撹拌しながら突き進んで行った。
「危ない!」
 士郎が叫ぶ。
 その瞬間、バーサーカーの胸に螺旋剣が到達した。
 ダンテとセイバーの付けた傷口に、尖った先端が突き刺さる。それは螺旋状の刀身に沿って、まるでコルク抜きのように易々とバーサーカーの体内に潜り込んだ。
 噴き出す鮮血。抉りこむように突き刺さった螺旋の刀身は、恐るべき突進力を持ってバーサーカーを貫いた。背中から剣の先端が顔を出す。鋼の肉体を完全に串刺しにしていた。
 だが、それさえも布石だった。
「―――壊れよ幻想(ブロークンファンタズム)」
 その言葉が起爆スイッチ。
 次の瞬間、捻れた剣に詰め込まれた魔力が大爆発を起こした。






「え……っ!?」
 一瞬の出来事に、凛が驚愕の声を上げた。
 捻れた剣は崩壊と同時に、凄まじい爆発を生み出した。キャスターの魔術にも匹敵する光の炸裂と共に、爆炎が巻き起こる。
 熱と風を生み出したソレは辺り一面に飛び火し、その場にあった全てを吹き飛ばした。最早墓地としての機能を果たしていない荒野と獄炎の向こうに黒い影が陽炎のように揺れている。
 その黒い影はバーサーカーの下半身だった。上半身は跡形もなく消し飛んでいる。
 爆発の威力は一掃された周囲を見れば分かる。爆発の中心である捻れた刀身が体の中に潜り込んでいたのだから、いかにバーサーカーの鋼の肉体とも言えども体内での爆発に耐えられるハズがなかった。
 やがてバーサーカーは思い出したかのように、重々しい音を立てて倒れこんだ。倒れたバーサーカーの向こうで、イリヤが驚いたように眼を見開いている。
 戦いは終わった。凛達の勝利で幕を閉じた。
 しかし、視界に広がる惨状に、凛はしばらく動く事が出来なかった。
「……アーチャー」
 かろうじて声を絞り出す。すぐ傍らに、いつの間にか弓をしまったアーチャーが舞い降りた。その顔には、勝利への歓喜も優越感もない。ただいつもの仏頂面があるだけだった。
「何かね、凛?」
「何故、セイバー達ごと射ったの?」
 尋ねた後で、凛は愚問だと後悔した。返される言葉はわかっている。
「敵をまとめて倒せるチャンスだったからだ」
 平坦な言葉。それは至極当然の事で、これは戦争なのだ。
 遠坂凛はマスター。セイバーは敵のサーヴァント。ダンテは敵のマスター。ならば倒して当然だ。殺し合って当然なのだ。
 これは疑問を持つような事ではない。
 しかし、それでも胸に残る後味の悪さは決して消えなかった。胸糞が悪い。
「……が、どうやら仕留め損なったらしい」
 わずかな怒りを滲ませて何か言いかけようとした凛を遮って、アーチャーが言った。その視線は爆発の起きた空中に向けられている。
 凛は思わずその視線を追った。
「……っ、アレは!」
 いい加減、今夜は現実離れした光景を何度も目の当たりにしているが、ソレは尚も凛を驚愕させるだけの光景だった。
 真っ黒なカーテンの掛かった空に、青白い雷を放ちながら歪な翼を広げた悪魔が浮いていた。
 それはまさに神話の一ページ。胡散臭い黒魔術の本にも載っているような光景だった。
 背中に背負った剣から、それがダンテであると分かる。飛行する為に魔力を放出しているせいか、その姿は地上にいた時のノイズのように元の体と悪魔の体が入れ替わる不安定なものではなく、はっきりと確認する事が出来た。
 捻じ曲がった歪な二本の角。黒金の体。あまりに禍々しいその姿は、悪魔以外の何者でもない。
 雷の悪魔の両脇には傷ついたセイバーと士郎が抱えられていた。爆発の瞬間、二人はダンテに助け出されたのだが、今はその事を感謝する気持ちよりも、すぐ目の前にいる異形の怪物に対する警戒と恐怖の方が強かった。
 頭ではこれがダンテで、自分の恩人であると分かっているのに、心の底から滲み出る闇の存在への恐怖がどうしても拭えない。士郎の顔は青ざめ、セイバーも緊張に身を強張らせている。
 そんな二人の様子を気にすることもなく、ダンテはこちらを睨みつけるアーチャーを見下ろすと、静かに翼を畳んで地上へと降り立った。
 地面を踏み締めると同時にダンテの体を覆っていた雷の魔力が霧散した。異形の肉体が幻のように消え去り、なびく真紅のコートと銀色の髪が現れる。
「よお、生きてるか?」
 未だ腕に抱えたままの士郎に笑いかける。ダンテから発せられる瘴気が消え去り、ようやく異常なプレッシャーから解放された士郎が大きくため息をついた。
「あ、ああ。助かったよ……」
「自分から爆発の中に突っ込もうとする度胸は買うが、次からはもう少し考えな」
 苦笑しながらダンテが士郎とセイバーを地面に降ろす。爆風で飛んできた破片を受けたかすり傷以外、二人に目立った外傷はないようだった。
「シロウ、無事ですか?」
「ああ、大した傷もないみたいだ。本当に助かったよ……えっと」
「ダンテだ」
「ではミスター・ダンテ、アナタに感謝を」
 士郎とセイバーの礼をダンテは苦笑しながら受け取った。生真面目な二人の態度には好感を持つが、どうにも感謝される事には慣れていない。
 三人の無事を確認すると、凛は思わず安堵のため息を吐いた。自分でも甘い性格だとは思うが、しかし敵に勝つ事と不意打ちする事は意味が違う。
 遠坂凛は勝利しなければならない。敵を打倒し、勝つ。それは決して今回の漁夫の利を得るような戦い方ではないはずだ。
 混乱していた思考を沈めると、凛はバーサーカーを倒され、残されたイリヤへと視線を向けた。
「さて、どうする? 貴女のバーサーカーは敗れたわ。見ての通り、戦闘不能よ」
 凛はバーサーカーの死体を一瞥した。それは死体と言うより、もはや肉片だ。人間だろうが英霊だろうが、足だけになったアレが生きているなど到底思えない。
「と、遠坂……まさかっ」
 冷徹な魔術師の瞳でイリヤを見つめる凛に、ざらつく嫌な疑心が士郎の脳裏に過ぎる。
 殺すつもりか―――。
 偽善を振り回すつもりなど士郎にはない。つい先ほどまで殺されそうになっていたのは自分達の方であり、聖杯戦争に参加した以上殺し合いになる事は理解していたハズだ。視線の先に佇む少女がそれを理解し、覚悟した上であの怪物を自分達にけしかけてきた事も理解している。
 それでも、簡単に割り切れる程士郎は聡くはない。
 目の前で起こる殺人を黙って見過ごせるかというと、それはまた別問題だ。甘いと言われるかもしれない。いや、実際にそれは甘い考えだ。
 だが、それでは少女を殺してそれで得た勝利を誇るのが正しいのかと言えば、それは絶対に違うはずだ。それは人として間違っている。
 魔術師としての凛に説得が何処まで通じるか分からないが、士郎は口を開いた。
「あ、あのさ……」
「馬鹿、そんな殺人犯説得するみたいな眼で見ないでよ。何も命まで獲ろうっていうんじゃないわ」
 言い掛けた矢先、凛が唐突に首だけを回し、士郎をジト目で見た。
「ただし、令呪は破棄してもらうわ。別のサーヴァントと契約する可能性もあるからね」
 凛の提案に、士朗はあからさまに安堵のため息を吐いた。そして、無言を通すイリヤに期待を込めた視線を向ける。
 この提案を拒否すれば、凛にも別の考えがあるだろう。それに彼女の傍らに佇むアーチャーは静かな威圧感を持って視線をイリヤに固定している。敵を倒す為にセイバーたちごと攻撃したあの男が、戦闘を放棄しない少女に対して慈悲をかけるとは到底思えなかった。
 何事もなく提案を受け入れてくれ―――。
 士朗は半ば祈るようにしてイリヤを見つめた。そこで、彼はようやくその異常に気づいた。
 少女は―――笑っていたのだ。
「驚いた。まさかバーサーカーが『二回』も殺されるなんて思わなかったわ」
 その言葉の意味を全員が理解するより早く、バーサーカーが起き上がった。
「な……に?」
 士郎が目の前で起こっている光景にかすれた声を絞り出す。
 バーサーカーは立ち上がっていた。新たに『生えた』右腕を支えにして、爆発で吹き飛んだ傷口を脈動させて新たな肉と骨を生み出し、徐々に形を取り戻しつつある体を持ち上げた。
「でも残念。バーサーカーはね、命を幾つも持っているのよ」
 呆然とする凛たちに向けて、イリヤが自慢の玩具を見せびらかすような笑みで語る。
「まさか……バーサーカーの宝具は、強制的なレイズ。蘇生魔術の重ねがけ……っ!?」
 目の前でビデオの巻き戻しを見るような光景が広がる中、凛は驚愕の声を上げた。イリヤが嬉しそうに頷く。
「そ、アナタが考えてる通りのものよ。バーサーカーは肉体そのものが宝具なの。私のバーサーカーは十二回殺されなきゃ死なない体なんだよ」
 イリヤの口から語られる言葉と、目の前の光景が絶望的な状況を凛たちに叩きつける。
 眩暈がしそうだった。あの決死の英雄殺しを、あと10回も繰り返さなければならない。永劫に続く悪夢が目の前に見える。その中心で、白い少女は残酷な微笑を浮かべていた。
「ふふふ、ついでに教えてあげる。私のバーサーカーはギリシャ神話の大英雄―――」
「ヘラクレス。宝具は『十二の試練(ゴッドハンド)』だったという訳ね」
 イリヤの言葉を紡ぐように、耳元で鈴の鳴るような綺麗な声が囁いた。



「―――え?」
 突然の事に、呆然とするイリヤ。その首筋には、歪な刀身を持つナイフが添えられていた。
「チェックメイトかしら、お嬢ちゃん?」
 酷く優しい声と共に、暖かい吐息が耳に掛かる。何時の間にかキャスターがイリヤの背後に立ち、短刀を首に突き付けていた。
「子供連れで戦争に来るからよ、ダディ」
 再生を終え、完全に復活したバーサーカーはピクリとも動かなかった。主を抑えられた彼に出来る事は、もはやキャスターを睨む事だけだ。その凄まじい殺気に晒されながら顔色一つ変えず、キャスターは嘲るような冷たい微笑を巨人に向けた。
「空間、転移……」
 首に当たる冷たい刃の感触に初めて緊張を表情に出しながら、イリヤがキャスターを睨み付けた。バーサーカーのそれと比べるとはるかに弱い少女の眼光を、涼しげに受け流しながらキャスターが微笑む。
「ご名答。力押しでは勝てない戦争もあるってコトよ、お嬢ちゃん」
 自らのマスターと良く似た軽口を叩く。
 呆然と状況を見守っていた凛は、はっと気づいて自分の傍らに視線を走らせた。そこにはつい先ほどまでキャスターが立っていたはずだ。
 果たして彼女は、そこに立っていた。
 状況が理解できず、再び凛が混乱する中、不意に凛の傍に立つキャスターの姿が揺らめき、煙のようにあっという間に霧散した。
「偽物……っ! いつの間に入れ替わったのよ」
「貴女のアーチャーが不意打ちした瞬間ね。ちなみにアレは私の<影>、現代風に言うなら<デコイ>かしら。気配が希薄だから、冷静に見れば騙されないハズ」
 キャスターの言葉に、イリヤとアーチャーとセイバーが悔しげに顔を顰めた。敵であるイリヤはもちろん、同じサーヴァントであるセイバーたちも気づいて然るべき事だった。
 誰もが知らずにキャスターを侮っていたのだ。魔術師風情と。
「自信過剰もほどほどにしないと痛い目見るわよ?」
「特に、うちのは性格がキツイからな。過激だぜ?」
 キャスターの言葉に乗るようにして、ダンテが笑いながら軽口を叩いた。先ほどからダンテは余裕の表情を崩していない。それは自分と、相棒のキャスターに対する絶対的な自信を表していた。
「バーサーカーの正体を、最初から知ってたの?」
 イリヤが尋ねる。キャスターの行動は、バーサーカーの復活を予期していたかのようなタイミングだった。
「ええ、同郷の者よ。大分人相が変わっていたから、少し信じられなかったけれどね」
 睨み付けるバーサーカーを見つめ、嫌そうに顔を顰める。
「……男前が下がったわねえ」
「むっ、何よ。わたしのバーサーカーを馬鹿にする気?」
「あら、お嬢ちゃんはああいうマッチョが好きなの? 悪趣味ね」
「バーサーカーはカッコいいもん! アナタのマスターの方が悪趣味よ、あんな嫌な奴!」
「ああ、私もああいう軽薄な人は好みじゃないわ」
「こんないい男を捕まえてひどいな、おい」
 先ほどまでの緊迫した空気は何処へやら。突然切り替わった空気に戸惑う士郎達。ダンテは一人、面白そうに傍観している。
「そうね、あの坊やの方が好みね」
 キャスターが意味ありげな視線を士郎に向けた。
「お、俺ッスか!?」
「あーっ、駄目よ! シロウはわたしのなんだから!」
「ええ……っ!?」
「衛宮君、何顔を赤くしてるのかしら?」
「凛、怒っている場合ではないのだがね……」
「シロウ、アナタのサーヴァントは私です! キャスターごときの誘惑に惑わされるとは何事ですかっ!」
「ごときとは失礼ね」
 緊張感が薄れていく。しかし、そんな奇妙な空気の中でもキャスターはイリヤの首に添えた短剣を離す事はなかった。
 まだ戦争は終わってはいない。
「はあ、なんか疲れるわね。……それで、どうするつもりなの?」
 ため息を一つ吐くと、それまでの子供っぽい表情から一変して真剣な表情でイリヤがダンテに尋ねた。
 再び緊張が走る。今度こそ正真正銘、イリヤの命はキャスターとそのマスターであるダンテに握られたのだ。
 視線が集中する中、ダンテはそれを特に気にする事もなく肩を竦めた。
「そうだな、とりあえず今日は痛み分けでお終いって事にするか」
「そうね、それが妥当ね」
 軽い口調から出た思わぬ提案に、イリヤを含めた全員が驚く。
「ちょっと、アンタ何言ってんのよ!?」
 聖杯戦争に置いて、自分以外のマスターとサーヴァントはいずれ倒さなければならない敵。そしてイリヤとバーサーカーは間違いなく、今回の戦争で最強のカードだろう。倒せるうちに倒すのが当然だ。
 しかし、探るようなイリヤの視線と問い詰める凛達の視線を受けて、ダンテは何でもないように笑った。
「別に、俺はキャスターが同意しそうな意見を出しただけだ」
「……随分と甘いのね。サーヴァントもだけど」
「そうでもないわ」
 呆れたようなイリヤの言葉に、キャスターが笑って返す。
「例えば今貴女をここで殺しても、バーサーカーはすぐには消滅しない。マスターの死と同時に解き放たれた彼は本当に狂うでしょうね。その暴走を凌ぐのも一苦労だし、距離的に見てまず確実に私は殺されてしまうでしょう」
 喧騒の中で変わらずキャスターを睨みつけるバーサーカーに対して笑いかける。
「私もここで終わりたくはないわ。だからね、お互いに退いた方が利口よ?」
「その提案を素直に呑むと思うの? アナタがこのナイフを離した瞬間に攻撃するかもしれないわよ」
 イリヤが挑戦的に睨み付けた。彼女のサーヴァントは今だ健在なのだ。ならば、必ずしも戦いを諦める必要はない。
 しかし、キャスターはそんなイリヤの挑発を一笑に伏した。
「そうね、もし貴女がこの提案を素直に受けてくれたら……ここを離れるまで、あそこで狙撃しようとしてる弓兵を牽制してあげる」
 その言葉に、アーチャーがわずかに顔を顰めた。
「アーチャー、アンタ……」
 凛がアーチャーの腕を見ると、丁度腕の影に隠すようにして一本の矢を握っていた。そしてその視線は無機質にイリヤを射抜いている。彼はいつの間にか、キャスターの注意が逸れればいつでも射てるような体勢で備えていたのだ。
 この期に及んで再び不意を打とうするアーチャーに士郎が掴みかかろうとしたが、ダンテが無言でそれを制した。イリヤはそれに気づいていたのか、わずかに眉を跳ね上げただけだった。
 しばしの間、沈黙が漂う。
「……いいわ。今日は退散する」
 結局、イリヤは提案を受け入れた。
「戻りなさい、バーサーカー」
 イリヤの言葉に、バーサーカーが霊体化する。
 姿を消したサーヴァントは再び実体化するまでにわずかに時間が掛かる。故に、イリヤの命を狙うならば今がまさに好機だ。
 しかし、キャスターはイリヤとの約束どおり、静かに首に添えていた短剣を仕舞った。
「殺すなら今のうちじゃない?」
 イリヤが悪戯っぽく微笑む。その小悪魔の笑みに、キャスターが元祖魔女の笑みで答えた。
「うちのマスター風に言うなら、『そんなのはクールじゃない』ってところかしら」
 笑い合う小悪魔と魔女。傍で見ていた士郎は、普段の朴念仁ぶりからすれば素晴らしく鋭い直感で察した。あれは付き合う男が苦労をする性格だ、と。
「バイバイ、お兄ちゃん。また遊ぼうね」
 そんな無邪気な声を最後に、イリヤは姿を消した。






 ようやく、夜に静寂が戻った。
「終わった……」
 凛が大きくため息を吐く。色々考えたい事、処理するべき事、言うべき事があったが、とりあえず凛はこの狂った戦争が一段落した事に安堵した。
 知らず、その場にへたり込みそうになるのを不屈の精神で支える。セイバーの身を気遣いながら士郎が凛の元へやって来た。
「衛宮君、生きてる?」
「なんとか」
 凛の軽口に士郎が戦々恐々と答える。
「終わったんだよな?」
「いや、まだだ」
 士郎の言葉は切り捨てられた。
 口を挟んだのはダンテだ。キャスターを従え、いつもの不敵な笑みを浮かべながら凛達を見据えている。反射的にセイバーが士郎の前に立ち塞がった。
「……何? 今から二回戦始めるつもり?」
 凛が緩んでいた気を再度引き締めて、ダンテを睨みつける。考えてみれば、ダンテ達とはバーサーカー打倒のために一時的に共闘しただけだ。気を抜いたのは早計だった、と一人恥じる。
 再び緊張が走る中、ダンテは無造作に歩みを進めた。
「さあな。それはそこの神経質そうな顔をした奴次第さ」
 ダンテがアーチャーを見据える。
「素敵なプレゼントをありがとうよ、もう少しでケツを掘られるところだったぜ。……何故俺達ごと射った?」
「ふっ、マスターを狙うのは聖杯戦争の定石だろう」
「ははっ、中々クールな意見だな」
 ダンテは心底愉快そうに笑うと、両手を広げてクルリと踵を返した。天を仰いで笑うその仕草は、本当に面白い冗談を聞いた様だった。
「―――だが、気に入らない」
 次の瞬間、ダンテは目にも止まらぬ速さで腰の白い銃を引き抜くと、グリップを握った右手を振り返り様アーチャーの眼前に突き付けた。
 その瞳には一変して明確な殺意が漲っている。その凄まじい殺気に、二人の様子を見ていた凛達は思わず竦んだ。
「ならば、どうする?」
 アーチャーもまた、その視線に殺意を含んでダンテに向けていた。
 ダンテが銃を抜いた瞬間に何処からともなく弓を出現させ、一瞬で矢をつがえてダンテの眼前に突き付けていた。銃身と矢じりが二人の間で交差し、拮抗している。
「いいね、イカスぜアンタ」
 銃と弓。時代の違う二つの武器が互いの頭に向けられている奇妙な光景に、ダンテは愉快そうに笑みを浮かべた。
 突如訪れた一触即発の状況に、凛が焦る。
「ちょっと……っ」
「動かないで頂戴」
 キャスターの冷たい声に、凛はその場に釘付けにされた。ダンテの傍らに佇む彼女は、片手を凛に真っ直ぐに向けている。その指先には恐ろしい程に圧縮された魔力が確認できた。
 それは凛の使う<ガンド>に酷似していた。呪いたい相手を指さす事で、体調を崩させるシングルアクションの魔術。凛のそれはもはや物理的な威力すら持つ暴力にまで昇華されているが、キャスターはそれすらも上回っていた。
 あれは既に呪殺にまで達した呪いだ。生身の人間が受ければ、そのまま強制的に心臓を停止させる事すら可能な呪いが集約されている。まさに桁が違う。
「アナタより速いわよ」
 キャスターが静かに告げる。それはアーチャーと凛に掛けられたものだった。
 詠唱付きの魔術さえ高速で行使するキャスターのガンドは、もはや息をするよりも自然に放たれる。どれだけアーチャーが速く動こうとも、凛を庇う事さえ出来ないだろう。凛自身の反撃など言うまでもない。
 凛は完全に動けなくなった。
 互いに互いの命を握り合った状態で硬直する四人の横で、セイバーがそっと不可視の剣に手を掛けた。
「おっと、ストップだ」
 しかし、その瞬間ダンテが空いた左手を素早く動かして黒い銃身をセイバーの額に突き付けた。
 セイバーが剣を振り抜きかけた体勢で停止する。最高の対魔力を誇る彼女にキャスターの魔術は脅威にはならないが、目の前で暗い口を開ける金属製の飛び道具に対しては計りかねていた。
 セイバーは実際の銃を知らない。だからこそ迂闊に判断は出来なかった。それが現代の主力の武器になっている知識は持っているし、何より銃口の奥に秘められた銃弾に暴発寸前にまで込められたダンテの魔力は油断できない。
 結局、セイバーもまた動けなくなった。
 空気が限界にまで張り詰めた。バーサーカーと敵対した時とは、また違った緊張感が全員の肌を痛いほど刺す。
 凍ったように固まる五人の中、不意にダンテが堪えきれなくなったように笑い声を漏らした。
「おいおい、なんだこりゃ? 随分とややこしい事になったな」
 まるで面白おかしい喜劇を目の当たりにでもしているかのように、全員の緊迫した顔を見渡す。
「どいつもこいつも手札(カード)を切り終えたって顔だぜ」
 軽口を叩きながらも、アーチャーとセイバーに向けた銃口は微動だにしない。全員が全員の一挙一動に注目し、一呼吸、あるいは汗の滴一つでも流れれば全てのバランスは崩れてしまうような、不安定な空気が漂っていた。
「―――それで、誰がコールする?」
 ダンテの言葉は死刑宣告にも似ていた。




 正真正銘、一触即発の状況の外で、士郎はただ空気に呑まれて動けなかった。正直、足が竦んでいた。
 銃と弓と魔術と剣。互いに命を刈り取る為の武器を突き付け合う5人。こんな光景は映画の中だけだと思っていた。
 しかし、現実に目の前で起こっている。
 どうする―――?
 士郎は自問する。何がベストな判断か。今この場で、いやこの場から外れた自分だけが自由に動ける。
 どうする―――?
 どんな手札(カード)を切る?
 どんな判断を下す?
 誰の味方をして、誰の敵になる?
(……ああ、そんな事は決まっている)
 俺は<正義の味方>だ―――。
 士郎は決断した。
「セイバー……」
 カラカラに乾いた喉から声を搾り出す。幾つもの刃が交差する危険な空間に、彼は手を差し込んだ。
「……剣を下ろしてくれ」
「シロウっ!?」
 セイバーが視線だけを動かして、士郎に異を訴えかけた。しかし、士郎は決断を覆さない。今、この場を全員が無傷で退く為にはこれしかない。
「剣を下ろすんだ、セイバー。でないと、その人も銃が下ろせない」
「……その命令は聞けません」
「セイバー、俺たちはその人に一度命を助けられた。なら、その一回分の借りを返す必要があるだろ?」
「……っ!」
 恩を仇で返す。騎士としての信義に反する事だ。士郎は図らずもそこを突いていた。セイバーの顔が苦悶に歪む。
 ダンテが面白そうな顔で、セイバーと士郎を交互に見つめた。
「……分かりました」
 やがて、セイバーはゆっくりと不可視の剣を収めた。眼には見えないが、刀身の存在がセイバーの手から離れた気配を感じる。
 目の前に武器を持ち、殺気を放つ存在がいる中で、その作業を行う事は大変な労力が必要だった。
 ダンテがそれを見て、ニヤリと笑う。
「さっきも言ったよな、ボウズ」
 セイバーに突きつけられた銃がゆっくりと動き、士郎の額に向けられた。濃密な殺気に全員が息を呑む。
「もうちょっと考えて行動しろって……な?」
 ダンテの顔から笑みが消える。
 士郎は一人、その銃口を睨んでいた。全身から汗が吹き出て、今にもへたり込みそうな殺気を前に、ただ視線だけは外さなかった。
 無限にも感じる沈黙の時間の中、不意にダンテが動いた。
「…………だが、まあ今回は助かったぜ」
 それまでの殺気を嘘のように霧散させて、ダンテは破顔すると、士郎の目の前で銃をクルリと一回転させてそのままガンホルダーに収めた。
「お前もいつまで構えてるんだ? 下ろせよ、間抜けに見えるぜ」
 もう一方の銃を同じようにホルダーに収め、未だに弓を構えたままのアーチャーに不敵な笑みを向ける。
 張り詰めた空気は、もうなくなっていた。
「……アーチャー、弓を下ろして」
 緊張から解放された凛が命令し、アーチャーは渋々弓矢を仕舞った。キャスターがそれを見て魔術を解除する。
 誰かが大きなため息を吐いた。
 長い夜の戦いが、今ようやく本当の終わりを告げたような気がする。
「よお、ボウズ。お前の名前を教えてくれよ」
 キャスターを傍に従え、少し距離を取ったダンテが士郎に問いかける。
「士郎だ。衛宮士郎」
「シロウ。いい判断だった、結果的に無血でこの場を切り抜けられたんだからな」
 楽しそうな笑みを浮かべ、ダンテが踵を返す。ゆっくりと遠ざかるその足取りには、疲れなど全く見えない。信じられないタフさだ。
 あるいは、修羅場に慣れているのだろう。士郎にはその背中がとても力強く見えた。男ならば素直に憧れる、多くのモノを背負ってきた背中だ。
「だがな、次も同じようにいくとは限らないぜ。せいぜい気をつけな」
 肩越しに振り返って、不敵な笑みと共にそう言い捨てると、軽く手を振るキャスターと共にダンテは廃墟と化した外人墓地を去って行った。
「奇妙な男だったな」
「奇妙も奇妙、まさか悪魔だったとはね」
「正確には半魔半人と言ったところか」
 ダンテ達の背を見送りながら、アーチャーと凛が小声で言葉を交し合う。
「まさか、学校の結界も……」
 凛は以前、学校でダンテと対峙した事を思い出した。つまり、少なくとも彼には学校との接点がある。何より、彼のサーヴァントはキャスター。魔術を行使する彼女が犯人である可能性は高い。
 そこまで考えて、凛は軽く首を振った。
「でもアイツはそういうタイプじゃないわね。うん、アイツはきっと真正面から来る」
 学校の屋上で見た、彼の挑戦的な視線を思い出して考えを改めた。
「あまり、あの二人のイメージを良い方に固めるのはどうかと思うがね。アレは曲者だ。イリヤスフィールをわざと逃がした目的も気に掛かる」
「わざと?」
 アーチャーの言葉に、凛が眉を顰めた。
「キャスターはああ言ったが、あの時手は幾らでもあった。令呪を使うなど、な。確実な勝利が目的なら、あの場でバーサーカーは封じるべきだったハズだ」
 夜の闇に映え、まだアーチャーの視界にはダンテの真紅のコートが確認できた。その背を油断のない視線で睨みつける。
「奴らの目的も不明。本当に、何者だ……?」
「さあ?」
 誰にともなく問うアーチャーの気難しげな横顔を一瞥して、凛は諦めたように肩を竦めた。
「―――でも服の趣味は悪くないわ」
 呟いて不敵な笑みを浮かべると、凛は自らの赤いコートの裾を翻らせた。アーチャーがちょっとだけ呆れたようなため息を吐いた。









 闇に消えていく真紅のコートと銀色の髪を見送りながら、セイバーは一人、先ほどの戦闘を思い起こしていた。
 不規則な軌道を描く、変幻自在な闇の剣技。しかしその太刀筋は、セイバーにとって確かに見覚えのあるものだった。
「―――スパーダ」
 懐かしむような声。呟いた言葉は、誰にも聞こえず闇に消えていった―――。









SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送