ACT1「平和な戦場」



 愛すべきゴミ溜めから抜け出したダンテにとって日本の空港はそのまま別荘にしたいくらい清潔だった。騒然と歩いていく人々も皆、身なりが整っており、間違ってもコートの下にナイフやショットガンを隠し持ったりはしていない。通路の何処にもアル中のホームレスが寝転がっていない事に酷く驚いた。
 ここが日本。
 この異国の地で戦争が起こるなどと誰も想像しないだろう。故に、その平穏の時間の中へ闘争の空気を引きずったまま入り込んだダンテは完全に浮いていた。
 恐ろしく整った顔立ちと、人ごみでは頭一つ分目立つ身長。赤いコートはそれだけで人目を引き、右手にはライフル弾も防ぎそうな無骨で巨大なケースを引きずっている。そしてその背には布で包まれた巨大な板のような物を背負っていた。
 当然のように注目を浴びる。
 サングラスで誤魔化してはいるが、ダンテ自身向けられる好奇の視線にうんざりしていた。
(まるで動物園の猿だぜ……)
 ぼやきながら空港を出ると、ビル街と人ごみ、そして晴天が迎えてくれた。
 目指す戦争の場所―――『冬木市』はまだ遠い。
 目的地までの移動手順をメモで確認しながら、ダンテは日本を訪れる前にバゼットと交わした会話を思い出していた。






『聖杯? そんなモンが実在するってのか?』
 聖杯―――神の血を受けた杯。
 多くの神話に登場する最高位の聖遺物で、その伝承はほとんどに共通して『如何なる願いも叶える』とされている。
『いや、正確にはそれはオリジナルではなく、願望機として機能するように作られたレプリカだという話だ。聖杯戦争とは、その聖杯を廻って魔術師たちが争う儀式の事だ』
『勝者はどんな願いも叶えられるってワケか……くだらねえな』
『だが仮にも<聖杯>と呼ばれるだけの奇跡を秘めた器物が、その戦争の中心に存在する事は確かだ。現にこの戦争は今回も含め、数回行われている』
『馬鹿どものお祭騒ぎだな、ますますもってくだらねえ』
 ダンテは聖杯戦争そのものには全く興味が湧かなかった。
『聖杯の正偽についてはどうでもいい。仕事の要点だけ話してくれ』
『ああ。この聖杯戦争だが、少々特殊でね。参加する魔術師は英霊を召還し、それを使役して戦い合うというものだ』
『英霊!? おいおい、人間の戦争に世界の神秘まで呼び出すってのかよ……たまらねえな』
『まあな。正直私も上層部の命令と報酬がなければ参加しようとは思わない。望みなども特にないしな。
 だが、英霊まで持ち出す戦争だ。危険度においては、かつてない物になるだろう』
『それで少しでも人間離れした相棒が必要だったってワケか。なるほど、並の悪魔を相手にするよりスリルがあるぜ』
『もちろん、それもあるが……。
 先ほど、聖杯について話しただろう。正直、アレが願望機として機能するのかどうかはハッキリしていない。だが、過去数百年に渡る戦争の記録において、史上かつてない程の魔力の集結が確認されたのは記録に残っている』
 そこでバゼットは一旦言葉を切った。
『―――これは私の個人的な懸念なのだが、それ程の魔力が一点に集中すれば空間に歪みを起す可能性もある。最悪、「繋がる」かもしない……』
『―――っ、<魔界>か!』
 思わず声を荒げるダンテに、バゼットは厳かに頷いた。
『少々調べさせてもらったが、君は最近「向こうの側」と接触したらしいな?』
『接触どころか、開いた<孔>を通って向こう側に渡ったぜ。なんとかソレは閉じたがな、あの時は<孔>の出現した島が丸ごと月まで吹っ飛んじまった』
『マレット島の事だな。<魔界>の存在については魔術師の間で噂程度にしか流れていないが、やはり実在したか……』
『バゼット、アンタの懸念も当たりそうだぜ。一度解いた錠だ、派手にノックすりゃ簡単に開いちまう』
『ならば』
『ああ、それを見極める為にも―――この戦争、俺も参戦させてもらうぜ』
 こうして、<悪魔も泣き出すデビルハンター>は聖杯戦争に関わる事となった。






 新都駅前パーク。その街道で、一人の小柄な少女が複数の男達に囲まれていた。軽薄な表情で少女に話しかける彼らは、いかにも今風の若者だ。
 別に少女が暴行されているわけでもなく、ナンパなど珍しいものではないので通行人も気づいた者が視線を送る程度しかしなかった。
「だからさぁ、俺らと一緒に行こうぜ? マジで楽しいって」
「あのっ、でも……えっとぉ」
 男達に囲まれ、逃げ場もない三枝由紀香は困っていた。
 彼女はおとなしい気性の少女である。自分の意見を押し通すような強引さなどない。面白いくらいオロオロと狼狽する三枝を見て、男達はニヤニヤと余裕の笑みを浮かべている。
「いいから、ホラ行こ! 行こ!」
「いや、あのっ」
「はい、決定ー! 楽しもうぜぇ」
 三枝の言葉を無視して、男の一人が強引にその細い手首を掴んだ。その無骨な腕のあまりの力強さに、急に怖くなり、とうとう眼から涙が溢れる。
 こんな時、いつも助けてくれる友人達が今はいない。その不安と、自分への情けなさを堪える為にぎゅっと眼を瞑った。
 しかし、強引にひっぱる力は何かの呻き声が上がると同時にすぐに消えた。
 恐る恐る眼を開けた三枝の視界に飛び込んできたのは、いっぱいの赤。
(え……ええっ、火!?)
 揺らめく紅に思わずそんな勘違いをしてしまう。
 赤い革製のコートが目の前で揺れていた。広い肩幅に、見上げる程の長身。背負った布の塊に、ジャラジャラ鳴る純銀製のアクセサリー。そして流れるような銀髪。
(わっ、大きい外人さんだ〜)
 呆気に取られる少女。目の前で怒号を上げる男達。
 突然、三枝の前に立ちはだかった男は、肩越しに三枝を見つめるとニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「なんだよ、このコスプレ野郎! 邪魔すんじゃねえ!」
 突き飛ばされた男が怒りに任せて掴みかかる。
 睨みを利かせて軽く脅すつもりだった。
 しかし、赤いコートの男の反応は平和ボケしたチンピラ達の予想をはるかに上回るほど過激なものだった。
 まばたきした瞬間に、チンピラが不自然な姿勢で吹き飛んだ。
「う、うわわっ!」
 仲間の間に突っ込んだソイツの鼻は変な方向にに曲がっていた。うろたえる間に左右の仲間が同じように吹き飛ぶ。そのアクロバティックな動きが単純に赤いコートの男に殴り飛ばされただけなのだと、最後の一人が理解したのは自分の顔面に拳骨がめり込んだ瞬間だった。
 赤い風が止んだ。
 通行人がようやく騒ぎ出した時には、真紅のコートはつい先ほどと同じように三枝の前で揺れていた。周囲には気絶した男達が倒れている。
 何時の間にかその場にへたり込んでいた三枝に、黒い手袋に包まれた無骨な手が差し出された。
「……あ、ありがとうございます」
 思い出したようにお礼を言って、ふと気づく。銀髪の男はサングラス越しにも分かる、少し困った笑みを浮かべて無言のままだったのだ。
「あ……そ、そうか言葉が……え、えーと、あいむふぁいんせんきゅーだっけ? えと……っ」
 外国人と話す機会などそうはない。焦ってどもり、それが更に焦りを呼んで、三枝は混乱しながらなんとか言葉を紡ぐ。
 そのまま酸欠になってしまうのではないかと思った時、ぽんっと頭の上に男が手を乗せた。子供をあやす様にそのまま軽く撫でる。
「ご、ごめんなさいっ」
 恥ずかしさで真っ赤になる。そんな三枝を尻目に、男はコートの下から冬木市のパンフレットを取り出し、ホテルの載ったページを選んで前に出した。
 三枝がそれを見て、不思議そうな表情をすると、それまで閉ざしていた口をようやく開く。
『ここまでの道を教えてくれ』
 なるべく簡単な英語を使って、ダンテはそう尋ねた。








「それで、このホテルまで案内してもらったわけか。ちゃんとお礼に食事でも奢ったか?」
「冗談はよしてくれ、こっちはマジに困ってたんだぜ? 日本なんて俺にゃ絶対に縁のない国だと思ってたんだからな」
 人は多いし、物価は高いし。そうぼやくダンテの右手には150円のコーラのボトルが握られていた。心底うんざりした表情で先頭のバゼットに続いてホテルの廊下を歩く。
「屈指のデビルハンターが人ごみで酔うなんて、なんともデリケートな話だ。君はもっと軽薄な性格だと思っていたよ。チンピラから美少女を助けるとは、あつらえた様に運命的な出会いだぞ?」
「言葉も通じなかったしな、くどくのは5年後にするさ。それに、俺はアンタみたいな美女がタイプだ」
「やはり軽薄な男だったか」
 にやり、といつもの挑戦的な笑みを向けるダンテをバゼットは一笑に伏す。すでにこの男のあしらい方は心得ていた。
 軽口を交し合う二人は当然英語である。ダンテはもちろん、その横に並ぶバゼットの男性的で美麗な容姿もある。何より二人の纏う、無意識に張り詰めた雰囲気がすれ違う人々の視線を引き寄せていた。
「こんな事ならアンタに付いて、一緒に日本に来ればよかったぜ」
「準備があったのだから仕方ない。君の協力は協会にも報告してないしな」
 ダンテの店で依頼の商談が成立した後、バゼットはその足で日本に向かっていた。それを追う形でダンテがやって来たのだ。
 バゼットが一足先に冬木市を訪れたのは、これから始まる戦争の準備の為だ。
「ってぇと、もう『呼んだ』のか?」
「分かるだろう?」
 ダンテの問いに、バゼットは微笑を浮かべて視線だけを自分の隣、何もない空間に走らせた。
 普通の人間ならば、たとえ魔術師であっても魔力の残留さえ感じない正真正銘『何もない空間』に、人ならざる者だけが感じ取れる存在感が確認できた。
 ダンテは苦笑するように鼻を鳴らす。
「ああ、『いる』な。アンタの尻をいやらしい目で見てる」
 軽口を叩きながらも、ダンテは内心舌を巻いていた。彼の中に半分流れる<人間ではない者>の血が告げている。
 ほんの数メートル先に人間を超越した圧倒的な存在が歩いている、と。
 おまけにこちらを警戒しているのか、刺す様な殺気がホテルのロビーからこっちまでずっとダンテをちくちく刺している。ひどく心臓に悪い。
 そんな水面下のやり取りを知らないバゼットは、二週間前から滞在している自室の前で立ち止まった。
「とにかく詳しい話は中に入ってからだ。それから、<彼>を紹介しよう」
 そう言って、ダンテを部屋に招き入れる。
 バゼットの取ったホテルの一室はさして広くもない、一般的な部屋だった。無駄に金をかけないところが実直なバゼットらしい。それでもダンテのねぐらにしているゴミ箱のような部屋と比べれば、異世界のように豪勢な一室だった。
 ベッドが二つ並んでいるのを確認すると、ダンテは思わず口笛を吹いた。
「ワォ、大胆だな。パートナーってのはこういう意味もあったのかい?」
 にやり、と笑っていつもの軽口を叩いた瞬間、バゼットの傍らから終始ダンテに向けて発せられていた殺気が一気に膨れ上がった。
 もちろんダンテにとって、先ほどの台詞は殺気の主に向ける軽口以上の何ものでもなかったが、予想以上の反応に脊髄に電流が走って体が勝手に動いていた。
 背負っていた巨大な布の塊を素早く殺気の方向に突きつける。相当な重量を誇るはずのソレは、まるで風のように動いてピタリと標的の前で止まり、一ミリも動く事は無かった。
 バゼットが突然の事に眼を丸くする。
「……いいね、脳味噌にまで届くような殺気だ。英霊ってのはマジで規格外らしい」
 虚空を睨みつけながら軽口を叩くダンテの眼がいつもと違って笑っていない。
 ギシリッと空気が軋んだ音をたてた。
「……ランサー、殺気を抑えろ。彼は味方だ」
 張り詰めた空気を払うようにため息をつき、バゼットが命令すると渋々といった具合に殺気は霧散した。そう『渋々』である。
「ダンテ、君も剣を下ろしてくれ」
 わずかに解けた布の下からは金属質な輝きが見えた。
 バゼットの言葉にダンテもまた渋々と剣を下ろす。始まるはずだった死闘を中断された不満がありありと浮かんでいた。
(なんでこう好戦的な奴が多いんだ、私の周りには……)
 内心ぼやきながら、バゼットはひどく疲れたようなため息を吐いた。
「よく税関を通ったな?」
 ダンテが剣に布を巻き直して傍らに置くのを見て、話題を変える様に呟く。
「普通の剣じゃないからな、探知機には反応しねえ。予想以上にヤバイ内容になりそうだから、エモノは総ざらいして持ってきた」
 ようやくいつもの笑みに戻ると、ダンテは自慢げに持ってきた無骨なケースを叩いた。
 この分ではあの中身もかなり凶悪な物が揃っていそうだ。剣の方からも、抑え切れていない禍々しい魔力が確認できた。
 だが、それも今は頼もしい限りだ。
 ベッドに座るダンテに向かい合うようにして、バゼットも腰を降ろす。
「まず、良く来てくれた。感謝を」
「気にすんな。それより、現状を教えてくれ。それと、アンタの頼りになるボディガードの紹介もな」
 促すダンテの言葉に軽く頷く。










「紹介しよう。私のサーヴァント<ランサー>だ」
 そして彼女の傍らに現れたのは、獣のごとき瞳を持つ蒼い<槍の英霊>だった―――。











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