BIOHAZARD

〜The dead walks around the town〜





なんでこんなことになっちまったのか

俺にはわからねぇ

昔、お袋に聞いた話では

生暖かい空気の漂う満月の夜には

地獄が溢れて死人が地上に姿を現すと言っていた

死んだ人間が歩き回る夜

もしそれが本当なら

それは世界の終わりのはずだ




今日がそうなのかもしれない





1.White square

 体中がイテェ。
 目覚めが痛覚によって起こされるのはまったくもって不愉快だ。頭もいろんな思考が混雑してはっきりしねぇ。
 とにかく俺は目を覚ました。だからまずは目を開くことにした。
 白い天井がまず目に入った。畜生、どうしようもなく白い。なんだってんだ、こんな白い天井があるかよ。意識も完全に覚醒しない状態で、俺の頭は勝手に動いて辺りの状況の把握に努めた。頭がいてぇ。
 どこもかしこも白一色だ。どうやらここは病院らしい。
 俺は今、白いシーツに包まれて白いベッドに横になっている。白い患者用の寝巻きに白い……畜生、どこ見ても白だ。清潔感を感じるがこういう風景はどうにも気が滅入りやがる。頭がいてぇ。
 俺は気だるい体を起こすと、もう一度あたりを見回した。
 すぐ横に点滴がぶら下がっている。点滴の管は俺の右腕の動脈に繋がっていたが、肝心の点滴パックの中身が空だ。
 ふざけやがって、なんてずさんな治療だ。交換するなり外すなりしやがれ!
 俺は忌々しげに点滴の針を引き抜くとほうり捨てた。大して痛みは感じないが、こんなあるのかないのかわからない痛みは一番不快だ。畜生、それにしても頭がイテェ。どうなってやがる、まるで俺の頭を鐘か何かと勘違いしたヤツが延々ハンマーで殴ってるみたいだ。響くように傷みやがる。
 俺は頭痛薬がないかベッドをおりて探ってみたが、ベッドのすぐ脇にあった棚にはガーゼだの包帯だの患者服だのぐらいしか置いてなかった。おまけに妙に体に力が入らねぇ。体中の筋肉が縮んだかのような違和感がある。
 俺は一体どれだけ寝てたんだ? ナースコールをしようかと思ったが、肝心のスイッチがどこにもねぇ。
 畜生! ここは病院だろうが、なんであるべきものがない!?
 大体ここはどういう病室なんだ?
 個室なんだろうか。大して広くもない長方形の部屋は白い壁に囲まれて窓もねぇ。でかい横長の鏡が一枚はめ込んであるだけだ。唯一のドアはご丁寧にカードリーダー付の電子ロックになってやがる。
 これじゃまるで牢獄じゃねぇか。俺は終身刑をくらった囚人じゃねぇぞ!
 ……いや、待てよ。なぜ、そう言い切れるんだ?
 そもそも俺は誰だ? なんでこんな所で寝てたんだ?
 俺は半分混乱した頭を抱えて壁の鏡に近づいて自分の顔を覗き込んだ。
 20代後半のブロンドの男がこっちを見ている。碧眼で少し鼻が高い。典型的な白人の顔だ。ハンサムかどうか基準が良くわからないが、目と鼻と口が正しい位置についてるんだからそれほどひでぇ顔じゃねぇだろう。ごく普通の、少し疲れた顔の男が映ってる。
 見慣れない顔だ。だが、これが俺の顔だ。
 畜生、まいった。どうやら俺は記憶喪失らしい。しかも自分の名前すら思い出せねぇ重症だ。ひょっとしたらこのせいで俺はここで治療を受けていたのかもしれない。
 ……まあいい。わからないものはどうしようもない。そのうち思い出すだろう。
 かなりショックだったが俺はそう、割り切ることにした。分からない物はどうしようもないのだ。
 自然と浮かんだ前向きな考えに、どうやら俺はかなり大雑把か、あるいはタフな精神力の持ち主らしいと分かった。
 とにかく今現在俺がすべきことは、この消毒液臭ぇ牢屋から一刻も早く抜け出すことだ。
 ついさっき鏡を覗き込んでわかったんだが、こいつはマジックミラーだ。おそらくこの鏡の向こう側には別の部屋があって俺を誰かが監視してやがるんだろう。よく見れば天井の隅に監視カメラまで見えやがる。
 他人に監視されるなんて気持ちのいいもんじゃない。それどころかあからさまに腹が立つ。
 俺は見ている人間がいるのかどうかわからないマジックミラーに中指をおっ立てると、ベッドに戻って点滴用の針をチューブを途中からちぎって失敬した。それをドアのカードリーダーに差し込んで小さく動かす。
 自分でもなんでこんなことをしているのかよくわからない。だが、頭のどこかで理解していた。俺はこの鍵を開けられる、と。
 読み込み口を刺激して誤作動を起こし、ロックを外す。
 果たして俺の試みは、うまくいった。大成功だ。思い切って針を押し込むと機械がショートしてあっさりロックが外れやがった。エアーの排出音とともにドアが開く。
 やったぜ! 俺はどうやら自分でもよくわからないが大した人間らしい。
 俺はドアの隙間から顔だけ出して外の様子を伺った。細長い廊下が続いているが、妙なことに人っ子一人いやしない。それどころか足音一つしないというのはどういうことだ?
 病院というのは静かなものなのだろうが、いくらなんでもこれは異常だ。まるでこの世に俺一人しかいないような静けさが漂ってやがる。
 まあいい。勝手に病室を抜け出すんだ、誰かに見つかるほうがまずいだろう。そういう意味でならこれは好都合だ。
 俺はマジックミラーの方をもう一度見た。これだけやって誰も駆けつけないということは、今はこのミラー越しには誰も俺を監視していないということだろう。だが、それでも俺はマジックミラーに向かってファックサインを送るとそのまま病室をこっそり抜け出した。
 ざまあみやがれ。
 それにしても頭痛が一向におさまらねぇ。



2.The dead walk

 患者服というやつは薄布一枚纏うような簡素なもんだ。どうにも股座がすーすーして落ちつかねぇ。裸足だから歩くたびに床の冷たさが伝わるのも気に入らない。頭痛は少し治まってきたが、相変わらず何かを思い出すことはなかった。
 本当にここには誰もいないのだろうか?
 さっきから通路を徘徊しているのだが未だに誰とも遭遇しねぇ。道もわかるはずがないからまったく手探りで歩き回ってる状態だ。したくもねぇ病院の探索をするはめになっちまった。
 だが、そのおかげでこの病棟が普通の病棟とは違うことがわかった。
 通路に沿うようにある病室へのドアはすべて電子ロックが掛けられていて、必ず監視用の部屋が隣接してやがる。おまけにドアがやたらと頑丈だ。通路のそこら中で監視カメラも見つけた。本当に牢獄みたいな所だぜ。
 またしばらく歩くと、通路の突き当たりに両開きのドアを見つけた。どうやらついにこの病棟の出口に来たらしい。
 だが、喜び勇んでそこにたどり着いた俺はまた驚いた。
 扉の横の壁に張られたプレートには「特別隔離病棟」と書かれているじゃねぇか! おまけにそのすぐそばに警備員控え室なんてものまでありやがった。
 病棟ひとつに警備員の控え室なんて普通の病院にあるもんじゃない。ここは特別に隔離する必要のある患者を収容した病棟で、しかもそこには警備まで必要だということだ。まるで精神異常者の収容所みたいなところじゃないか!?
 畜生! 本当にどうなってやがる!? なんで俺はこんな所にいたんだ!?
 自覚がないのか知らないが、少なくとも俺は自分がとんでもない病気持ちだとは思わないし、思いたくもない。俺は正常だ。こんな刑務所まがいの場所に閉じ込められる理由なんてねぇ!
 俺はこの病院から抜け出す決心を固めた。
 幸い、警備室のドアはノブ式で鍵もかかっちゃいない。俺は静かにドアノブを回してドアを開いた。
 こんな目立つ服で外は出歩けない。まずは服を調達しなきゃいけない。ここなら警備員の着替えなどがあると判断したのだ。
 俺は警備員がいた場合、そいつを張り倒す覚悟で、拳を固めながらそっとドアの隙間から中を伺った。だが、幸い見える範囲に人の姿は見えないし、何より人のいる気配ってものがまるでない。
 俺はそれでも油断なく静かに控え室の中に侵入した。裸足のせいもあるのだろうが、自分でも驚くくらい足音を殺すことができた。
 俺のいた病室よりも若干広い室内には簡素なテーブルとイス、洗面所、トイレへのドア、さらに奥には仮眠用と思われる二段ベッドとロッカーが並んでいた。当然、人はいない。
 こいつはしめた! ベッドまであるということはここに寝泊りする機会があるということだ。となれば当然泊まるための着替えをロッカーに用意してあるはずだ、そいつを失敬すればいい。
 テーブルの上が荒らされたように散らかって、イスまでなぎ倒されていた状況はまるで何かと争ったかのようだったが、俺は大して気にもせずロッカーに向かった。
 ロッカーは三つ並んでいた。
 一つ目を開いてみる。運のいいことにだれかの私服がハンガーに引っかかっていたが、あいにくこいつは俺にはでかすぎた。ズボンのウエストなんて俺の二倍はありやがる。こんなんじゃベルトを締めたって履けやしないだろう。この持ち主の体脂肪率が気にかかる。肥満は早死にの元だよ。
 隣のロッカーを開けてみると、そこにも私服が掛かっていた。今度はそれほどサイズが違うわけじゃない。少し大きいような気がしたが、他人のものを失敬するんだ、もとよりぴったり合うサイズのものが手に入るとは思っちゃいない。
 俺はすばやくジーンズを履き、掛かっていた清潔そうな白いYシャツを着てさらに黒いジャケットを羽織った。背中にミサイルにまたがった女の絵が刺繍してあるイカしたレザーのジャケットだ。なかなかいい趣味をしていやがる。さらに俺はきちんと揃えられたシューズを見つけた。運がいい。
 警察や警備員は全般的に丈夫なブーツを履く。おそらくこいつは警備員の制服に着替えたとき靴も履き替えたんだろう。俺はそのデザインのいいシューズもいただくことにした。さらに大事そうに置かれていたデジタル表示の腕時計ももらっておく。
 窃盗に手を染めた罪悪感はジーンズを履いた時点で無視することにした。第一、この程度のことなら10を満たないガキだってやってる。
 すっかり着替えを終えると、俺は調子にのってロッカーのドアの内側に備え付けられた鏡で軽く髪型も整えた。なかなかキマってるぜ。
 ロッカーのドアを閉めると、俺はもうひとつのロッカーの中身が気になった。そいつには鍵穴に鍵がささっていたからだ。
 鍵を閉めようとしたのか、それとも開けようとしたのか。とにかく今はそのロッカーは鍵がすでに開かれた状態だった。
 そっと、俺はそのドアを開けてみる。
 中にかけられていたのは私服ではなく警備員のものと思われる制服だった。胸のネームプレートには持ち主の名前が書かれていたがそれよりも気になったのはプレートの隅に描かれた八角形の模様だ。
 俺は知っている。これは「アンブレラ社」のシンボルマークだ。
 アンブレラ社というは世界有数のガリバー企業のことで、主に薬品を扱っている製薬会社だが基本的になんでもござれだ。ラクーンシティの生活用品の大半もアンブレラ社製だ。だとしたら、ここはアンブレラの息のかかった病院だということだ。
 そうだ! ここはラクーンシティだ! 俺は唐突に思い出した。いや、思いついたといったほうがいいか。
 アメリカ中西部に存在するラクーンシティはアンブレラの恩恵を受けて発展した都市だ。極端に言えば、アンブレラなくしてラクーンシティはありえない。「アンブレラ社=ラクーンシティ」という方式がすでに俺の頭の中でできあがっていた。
 だが、アンブレラはただの企業じゃない。あの会社は……。
 なんだ?
 あの会社は……なんだ?
 畜生、思い出せない。アンブレラ社が何だというんだ?
 「アンブレラ」というキーワードとつながる何かがあったはずだ。だが、そのもうひとつのキーワードがわからない。畜生、靄が掛かったみたいに不鮮明で思い出せねぇ。記憶喪失ってやつは思ったより厄介だぜ。
 俺は必死に思い出そうとしてみたが、記憶を穿り返そうとすればするほど、指に刺さったトゲみてぇにどんどん奥のほうに潜り込んで引っ張り出すのが困難になっちまう。何かとてつもない重要なことを忘れてるような気がする。
 結局、俺は頭を激しく振ってもやもやした思考を振り払うことにした。だが、代わりに頭を振ったせいで頭痛がぶり返しやがった。畜生、馬鹿か俺は?
 俺はしばしその場で唸って頭痛が鎮まるのを待つと、もう一度改めてロッカーの中を物色した。
 手帳に、家族の写真、それにタバコと高価そうな装飾の施されたジッポ・ライター。あいにく俺はタバコは吸わない。もう、大分昔にやめたんだ。
 いや……なんで俺はタバコをやめたんだ?
 ……くそっ! そんな事はどうでもいいだろうが! くそっ! 頭がごちゃごちゃしてイラつくぜ。
 とにかく、ジッポは何かの役に立つかもしれないのでもらっておくことにした。しかし、俺は泥棒以外の何者でもないな。今更言うことじゃないが。
 そこら中物色しまわって最後に小さな引き出しを開けると、 俺はその瞬間思わず手を止めた。
 銃だ。黒光りする鉛の塊がそこに横たわっていた。
 畜生、銃の携帯まで許可されてるなんて半端な警備じゃねぇ。どうなってやがるんだ?
 俺は思わずその銃を手にとってみた。
 グロック17。
 最近になって出回りだした汎用ハンドガンの新型だ。
 箱みたいな長方形の銃身にグリップをつけただけのようなシンプルなデザインで、ハンマーも銃身に内蔵されている。安全装置はトリガーと一緒の位置にあるのですぐに撃てるのが特徴だ。コストパフォーマンスに優れ、最近アメリカの警察にベレッタに代わって広がり始めている。
 一般的な9oパラべラム弾を使用し、マガジンには17発の弾を装填出来る。性能も標準レベルの銃だ。
 そこまで頭の中で目の前の銃を分析して、俺はふと思った。
 なぜ俺はそんなことを知っているんだ?
 果たしてこれは一般的な知識なのか?
 ごく普通に暮らす上で身につく知識だろうか?
 どうやら俺は銃に詳しい人間だったらしい。となると就いてた職業はガンショップの店員か、それとも警官か、あるいは軍人? ……まさかテロリストじゃねぇだろう。
 これまでの状況から一番可能性が高そうだが俺はあえてその考えを捨てることにした。これ以上最悪の考えを抱くのはゴメンだ。畜生。
 さすがに銃まで持っていこうなんてやばいことは考えなかったが、なんとなく銃の照準を確かめたり、マガジンの中身を確認したりして、銃を手で玩びながら俺はテーブルまで歩いていった。そう、なんとなくなのだ。なんとなくこの鉄の手触りが懐かしく感じた。
 テーブルの上にはお菓子やらミネラルウォーターのボトルやらが乱雑に置かれていた。その中に警備員に頭痛もちがいるのか、頭痛薬も見つけた。こいつは運がいい。まだ少し頭が痛かったところだ。
 ケースの注意書き欄に「なるべく空腹時の使用は控えてください」と書かれてたからじゃないが、腹が減っていたのは確かなので、俺はテーブルの上に置かれた食いさしのドーナッツのにおいを嗅いでしばし黙考したあと口に放り込んだ。
 すこし湿気っていたが、空腹に不味いものなんてない。さらに残りのドーナッツを口に詰め込み、一緒に頭痛薬も二錠放り込んでミネラルウォーターで飲み下した。
 その時だ。いきなりトイレのドアがガタリッと鳴りやがった。
 俺は思わず硬直した。
 誰かいる!? いや、居たというべきか。
 俺がペットボトルをあおったままの状態で固まっていると、トイレの中にいる誰かはそこから出ようとドアをひっきりなしにガタガタ鳴らしだした。何を混乱してやがる、ドアノブもわからねぇのか?
 そんな俺の声が聞こえたわけじゃないだろうが、そいつはようやくドアノブに気がついたらしく、ノブがゆっくりと回ってドアが開きだした。
 俺ははじけるようにボトルを投げ捨てて銃を構えた。自分でも驚くくらい正確に銃身を両手でホールドし、照準をドアに向ける。
 反射的な動作だったが、もちろん発砲するつもりなんて毛頭ない。ただの脅しだ。少なくとも、そいつの姿を見るまではそのつもりだった。
 だが、次の瞬間俺はどうしもない悪寒を感じた。
「なん……だ……?」
 思わずつぶやいた声がひどく掠れていた。
 トイレから姿を現したのは体重100キロはあろうかという肥満体の警備員だった。おそらくロッカーのでかい服の持ち主だろう。だが、俺はそのデブの体の大きさに驚いたわけじゃない。
 そいつは普通じゃなかった。
 全身の皮膚が白く変色し、ところどころ黒ずんで、とてもじゃないが健康そうには見えない。豊満な肉体と打って変わって目の周りは窪み落ち、眼球は白く濁って生気なんてまるで感じられない。
 おまけにそいつの顔は所々掻きむしったかのように皮膚が破れ、中の赤黒い肉がむき出しになってやがる。しかもそいつの指の爪には自分の掻きむしった皮膚がめり込んでいた。どう見たってまともじゃない。
 おまけになんだ!? 鼻を突いて肺をかき回すようなこのクセェ臭いは!! 一週間放置した生ゴミよりひでぇ! まるで腐った死体の臭いだ!!
 俺はこみ上げる吐き気を抑えるのに必死だった。
 そいつは重そうな体をさらにだるそうに引きずりながら俺のほうに近づいて来た。とてもじゃないが、こんな奴の接近に俺は生理的に耐えられそうにない。
「近づくんじゃねぇ! それ以上近づけば……いいか? ぶっ放す!」
 俺は銃口をちらつかせながら、そう警告したが相手はまるで意に介さない。そもそも聞いてもいないのかもしれない。訳のわからねぇうめき声を上げながらにじり寄るように近づいてくる。
 俺はようやく危機感を感じ取った。こいつはまともじゃない。それは確かだ。
 人を撃つのはためらわれたが、俺の頭の中の冷静な部分が叫んでいた。『こいつは人じゃない! ぶっ放せ!』
「あと一歩進めば、ぶっ放す」
 俺はもう一度、凄んで警告した。
 そいつは躊躇もなく一歩踏み出した。
 瞬間、俺は引き金を引いた。
 銃声。
 足を狙ったその一発は思った以上に正確にデブの膝を撃ち抜いた。そいつの巨体がよろめく。……だが、それだけだった。
「どうなってやがる!?」
 俺の声は悲鳴に近かった。
 銃弾は確かに膝にめり込んだ。なぜか自分でも驚くくらい正確なその射撃は膝の皿もぶち抜いてそいつに激痛を与え、その場に倒れこませるには十分すぎる一撃だったはずだ。
 だが、そいつは痛みなど感じていないかのように平然と歩みを続けやがる。
 俺は慌ててもう片方の足を狙って撃った。だが、返ってきた反応はさっきと同じだった。よろける、それだけだ。悲鳴どころか瞬きひとつしねぇ。
 俺はいよいよ怖くなった。
 まともじゃねぇ! まともじゃねぇ! まともじゃなさ過ぎだ!!
 今度は二連射して肩を撃ち抜く。プロ並みに正確なその射撃をなんで俺にできたのか不思議に思うよりも、その二発の銃弾にさえまったく応えた様子も見せずに変わらずにじり寄るそいつへの恐怖で俺はパニックに陥った。
 畜生、訳がわからねぇ! なんで痛がらねぇ!? いくらデブで反応が鈍いからって、痛みを感じねぇなんて話があるかよ!!?
 そこからあとの行動はほとんど反射的だった。
 じりじり後退しながら目の前の「人間らしきもの」にむかってグロックを狂ったようにぶっ放す。
 その射撃は恐ろしく正確だったはずだ。
 腹に4発。肺に2発。心臓には5発。正確に急所にぶち込んだ。
 炸薬による強力な衝撃をたった直径9ミリの鉛玉に込めた対人殺傷用の武器を何度もぶち込んだのだ。
 なのにこいつは死ぬどころか止まりすらしない!!
 いや、死なないんじゃない。こいつは最初から死んでやがったんだ! 死人が動いてるんだ!! 畜生、そんな馬鹿な話があるか!!
 いつの間にか俺は悲鳴に近い叫び声を上げながら引き金を引いていた。
 ついに背中が壁に当たる。追い詰められた。
 目の前のバケモンが腐った口を大きく開ける。
 俺に食い付こうってのか!? 冗談じゃない!
 俺は咄嗟にそいつの口にグロックの銃口をねじ込んだ。
 吹っ飛んじまえ!
 その状態で何度も引き金を引いた。目の前のデブの体が銃声にあわせて激しく痙攣する。弾が頭を貫通して肉片を後ろに撒き散らすが、そんなの知ったことか。俺は残った弾を全部ぶち込んだ。
 これで駄目なら今度は素手でこの化け物に挑むしかない。俺は身構えた。
 だが、今度ばかりは効いたらしい。デブが脱力したように倒れ掛かってきたので、俺は慌てて押し返した。糸の切れた人形のように巨体が床に倒れこむ。
 残弾が空になった銃を構えたまま、俺は呆けたようにその場で固まっていた。
 ようやく頭がまともに回る頃には、銃口から立ち上る硝煙がすっかり消えた後だった。
 一体、こいつはなんだっていうんだ?
 銃弾を全身に食らっても死なない不死身の怪物に人間が変貌する。いや、不死身なんてあるはずがない。
 あれだけ撃たれたのに目の前の死体は大した出血をしていなかった。おまけに飛び散った血を調べてみればすでに凝固が始まってやがる。血液凝固というのは普通、死後に起こるものだ。
 となると、やはりこいつは不死身なんじゃなく、最初から死体だったということだ。死体にいくら銃弾を撃ち込んでも再び死ぬはずがない。
 しかし、死人が動く? それこそナンセンスだ。生ける屍「ゾンビ」だとでも言うのか?
 畜生、そうなんだろうな。現に目の前で死体が動いたのだ。
 畜生、俺は何時からスプラッタームービーの中に紛れ込んじまったんだ? 夢なら覚めてくれ。
 だが、この非常識な化け物を相手にして救いがひとつだけあった。それはさすがの化け物も頭を吹き飛ばされたらおしまいと言うことだ。
 そうだ、映画で見たことがあった。ゾンビの弱点は頭と相場が決まってやがる。
 映画? 映画だと? じゃあ、この目の前に転がってる腐った死体は何だと言うんだ? 夢か幻か? 夢が人を食うか?
 ……畜生!  頭がおかしくなりそうだ! ゾンビなんて現実にありえないものと俺は現実に遭遇した。
 そう、これは紛れもない現実だ。
 俺は大きく深呼吸して心を落ち着かせた。
 もう一度目の前の死体を見てみる。完全にもとの死体に戻ったらしい。再び動き出す気配はない。
 しかし、妙だ。これだけ銃を撃ちまくったのに他の警備員や人間が駆けつける様子がまるでない。本当にこの病院には誰もいないのではないか?
 こうなると、この静寂が急に恐ろしくなってくる。
 映画のシーンが頭に浮かび上がった。
 <ゾンビになった人間の群れ>
 冗談じゃない。馬鹿馬鹿しい。だが、ついさっき遭遇した非常識を思い出すとその現実離れした想像が冗談に聞こえなくなってくる。
 落ち着こう。
 これは夢じゃない。俺の見ている幻でもない。俺は正常、ゾンビも現実、これから俺の行く先にあるものはすべて現実。
 俺は気を取り直すと、改めて部屋を物色しまわった。何か使えそうなものがないか調べてみる。
 デブがガンホルダーに同じグロックと予備のマガジンを持っていた。俺は空になったマガジンを捨ててそのマガジンを差し込み、さらにデブの持っていたグロックのマガジンも抜いて頂いておく。
 ロッカーをもう一度調べたら、銃のあった引き出しにガンホルダーと予備のマガジンがさらに一本置いてあった。
 俺はジャケットを脱いで、胸にベルトを巻いて脇の下にホルダーを固定すると、予備のマガジン二本もベルトに差し込んだ。その上からジャケットを羽織る。
 トンファー型の警棒を見つけたので、それも持っていくことにした。弾がなくなったら肉弾戦を行うしかないからだ。
 別のロッカーからいろんな機能のついたギミックナイフを見つけたが、こいつは戦闘用とは思えない。とてもじゃないが折りたたみ式のスプーンやフォークがゾンビとの戦いに役立つとは思わなかった。しかし、何かの役に立つかもしれないので一応内ポケットに入れておく。
 武器になりそうなものをあらかた入手すると、俺はテーブルの上に残っていたチョコクッキー2枚入りの袋をポケットに突っ込んだ。
 準備は万端だ。
 入ってきた時と同じように、俺は静かにドアを開いて警備室を後にする。
 出来れば、ゾンビなんて非常識な化け物がこのデブ一人だけだということを期待して。
 願わくば、病院の外に出た俺が銃器不法所持で警察にとっ捕まって刑務所にぶち込まれるという「ハッピーエンド」を期待して。
 俺は未だ物音ひとつしない廊下を渡って特別隔離病棟を後にした。




3.Lonely girl

 しばらく進むと分かれ道に出た。左に曲がる道とさらにまっすぐ進む道だ。どっちに行けばここから出られるのか迷ったが、ありがたいことにちょうど分かれ道となる通路の壁に案内板が貼ってあった。
 それによるとここはやはりラクーンシティ付属の病院のうちのひとつで、その地下1階に当たるらしい。まっすぐ行った場合は遺体安置所などの地下の別の棟に入る。もちろん、さっきゾンビなんて化け物と戦ったばかりなのだ。そんな所に進んで行こうなんて思うワケない。
 左の通路を曲がれば、その先はエレベーターとなるらしい。1階に出てロビーから外へ、これしかねぇ。
 俺は案内板の図面を頭に叩き込むと、左に曲がってエレベーターに向かった。
 もちろん、他の病院の職員や運が悪けりゃまた別のゾンビなどと出会うことも警戒して進んでいたのだが、あいにくエレベーターに至るまでの道のりの途中で俺以外の誰かに出会うことはなかった。
 少し不安になってきちまったぜ。まるでこの世に生きてる人間は俺以外いなくなったかのように錯覚する。
 俺はエレベーターまでたどり着くと中に乗り込んで1階のボタンを押した。一瞬、作動しないのでは、と不安になったが何事もなくエレベーターは上昇を開始する。
 病院というのは非常時に備えて専用の発電機を持っているのが基本だ。少なくとも電力配給がなくて作動不能ということはないだろう。
 上昇中に、俺は願った。
 ああ、どうか次にこのエレベーターのドアが開くときには何事もなく人々の行きかう病院の廊下が目に入りますように……。
 そんなことを考えてたら無情にもドアが開いて白い廊下が目に入ってきた。あいかわらず人の気配どころか物音ひとつしない。……畜生、神様はいねぇのか。
 まあいい。さて、まずはロビーへ向かって病院から出ないと……。

(……タタタッ)

「!!」
 不意に俺の目の前を何かが通り過ぎた。いや、走りすぎた。
 あのすばやい動き、ゾンビじゃねぇ。明らかに生きている人間の動きだ。第一ゾンビなら俺から逃げる必要なんてない。普通は襲ってくるだろう。
 生きてる人間だ。この病院で初めて見た。
 俺は一瞬思考をめぐらせた。追うべきか、放っておくべきか。……って、畜生! 答えを出す前に体が勝手に動きやがった。エレベーターから飛び出すと、廊下に躍り出る。
 もういねぇ。なんてすばしっこいんだ。
 俺は悪態をつきながらも逃げたと思われる方向に歩を進めていった。もちろん油断なくあたりを警戒しながら。
 畜生、放っておけるかよ。一瞬見えた姿。あれはまだ年端もいかない女の子だった。
 ほかにゾンビがいるかどうか怪しくなってきたが、この静かで誰もいない病院が異常なことだけは確かだ。あんなガキをひとりにしたらまずい。
 よくわからないが、俺は少女の姿を見た途端、何か胸を締め付けられるような衝動にかられた。恐ろしい、不安、とにかくあの子を放っておくことはなぜか俺にはできそうになかった。
 俺は結局、最初の予定とはまったく正反対に病院の奥へと進んでいった。
 廊下の曲がり角を曲がると、診察室などのドアが隣接する広い廊下に出た。くそ、このうちのどこかに隠れられたんじゃひとつひとつしらみつぶしに探すしか手がない。なんで素直に出てきてくれないんだ!?
「おーい! 誰かいるのか!? いるなら出て来い!」
 とりあえず大声で呼びかける。しかし、何の反応も返ってこない。
「!」
 いや、遠くで何か金属音が響くのが聞こえた。ガシャ―ンッという、何かが床に落ちた音だ。廊下の奥のドアの先。下で見た図面によると手術室のほうから聞こえた。
 俺は足音を殺して手術室まで小走りで近づく。
 ゆっくりと、ドアを開いた。
 俺はすぐにそれを後悔した。
 中央に置かれた手術台の上、シーツを被せられた裸の患者が横たえられている。そして、それに群がるようにしてたたずむ白衣の人間が数人。看護婦もいる。
 最初はけが人を手術しているのかとも思ったが、それはまったくの勘違いだった。手術用のメスやトロカールといった用具は床にぶちまけられている。さっきの金属音はこれが落ちる音だった。白衣の男と看護婦たちはそんなものに見向きもしないで顔を動かしている。
 ぐちゃぐちゃと気色の悪い音を立ててそいつらは何かしてやがった。聞き覚えのある音だった。そうだ、それはちょうどレアのステーキをほおばるような音だ。
 畜生! 奴ら患者のはらわたを食ってやがった!
 俺の気配かそれとも臭いかしらねぇが、そいつらは急に「食事」を中断するといっせいに俺のほうに顔を向けた。
 こいつらも同じだ。全員死人みたいな白い顔色で目は黒く濁り、顔や体の肉が一部腐れ落ちたようにこそげ落ちていたり髪が抜け落ちている奴もいる。一人が口に赤黒いチューブみたいなものをくわえてやがったが、それは食いちぎった腸の一部だった。
 くそ、さすがにこんなものを直視した日にはひどい吐き気が湧いてきやがる。悪夢はまだ続いていた。ゾンビはやはりまだいやがったんだ!
 俺は静かに懐からグロックを引き抜く。迷いはない。目の前にいるのはかつて人間だったものであって、今は人間ではない。
「……食事の邪魔をしたか?」
 俺の軽口なんて無視してゾンビどもはゆっくりとにじり寄るように迫ってくる。
 そうかい、死んだ人間より活きのいい肉の方がいいか?
「だったらこいつを食らえよ」
 俺は銃口をホールドすると生ける屍どもに向かってぶっ放した。
 こんなのろい標的を外すわけがない。数発の弾丸がゾンビの腹に直撃した。人間なら致命傷だ。だが、目の前の奴らにはそんな常識などまったく通じない。平然と進んでくる。
 畜生。やはり、脳天にぶち込まないと効かないらしい。
 俺は改めて頭に狙いを定めて引き金を引いた。
 一発、二発と銃声が鳴り響く。確実に頭部を撃ち貫いたゾンビはその場に力なく倒れ、数発の銃声の後にはもはや動く者はいなくなった。
 ……くそっ! 相変わらずひでぇ臭いだ。慣れることなんてできそうもない。
 俺は油断なく倒れた死体を避けて手術台まで歩いていった。生きてるはずがないのはわかってるつもりだが。
 手術台の患者は全身がところどころ欠損していた。食われたせいだろう。手術の途中だったのか切開された腹部から見える内臓はぐちゃぐちゃにかき回されていくつかパーツが足りない。その顔は恐怖に歪み、目玉が飛び出すくらい見開かれて、見ているこっちが怖くなるくらい壮絶な表情で事切れている。
 おそらく意識があったんだろう。だが麻酔のせいで動けなかった。
 生きたまま内臓を食われ、しかし痛みは感じない。自分のはらわたが食われる様を呆然と眺めているこいつの姿が目に浮かぶ。出血多量で死ぬ前に発狂してショック死だ。
「……畜生、こんな死に方はごめんだぜ」
 俺は神様に祈りたい気分になった。
 銃の弾は必ず一発は残しておこう。どうしようもなくなったら自殺して楽に死にたい。
 その時、不意にドアのほうから音が聞こえた。
「!」
 反射的に銃を向ける。
 だが、その銃口の先にいたのはゾンビではなかった。
 わずかに開いたドアからこちらをのぞきこんでいる一人の少女。さっき見失った女の子だ。
 一瞬、その子と目が合う。
 大きくて綺麗な碧眼だ。その瞳には憔悴しきった感情とわずかな恐怖が見て取れる。俺はあわてて銃を下ろしたが、それよりはやく少女はその身を翻して俺から逃げ出した。
「待て!!」
 今度は逃がさない。すぐに駆け出す。
 もとより大人と子供じゃ瞬発力からして違う。ドアを開けるとすぐ目の前に女の子の背中が見えた。すばやく手を伸ばす。
 ……掴んだ!!
「待て! 俺は人間だ!」
「離して!」
「落ち着くんだ!」
 乱暴に扱うわけにもいかず、その場での押し問答が続く。
 しかし、いきなり向こうが俺の手に噛み付いてきやがった。
「いてぇ!!」
 くそっ! くそっ! 心配してんのに、そりゃねぇだろうがっ! 畜生、血が出ちまってる。
 思わず手を離しちまったが少女のほうもようやく俺がゾンビとかの類じゃないとわかったのか立ち止まってこっちを見ている。まだ少し警戒しているみたいだが怖がってはいないようだ。
「へへへ、まあゾンビに比べりゃ可愛いもんか……」
 俺は安心させようと笑みを浮かべたが痛みのせいで泣き笑いみたいなおもしろい顔になっちまってたことだろう。
 女の子の顔に安堵と苦笑の色が浮かび……次の瞬間凍りついた。その視線は俺の後ろのほうに向けられている。
 突然、鼻を突く異臭。
 俺はその瞬間悟った。すぐ後ろに「来てる」
 ためらう暇はない。振り返りざまに銃を撃ったが、あいにく頭には当たらねぇ。
 くそっ、ひでぇ! さっき手術台に寝ていた患者だ! 奴がゾンビになりやがった! 開いた腹から内臓を垂れ流しながら俺の目の前まで迫ってきていた。
「うおおおっ!!」
 二発目を撃ったが、それも胸に命中するに留まった。もう、銃を撃つ暇がない。
 覆いかぶさるように迫るゾンビの腕を慌てて押さえつける。
 畜生、銃を離しちまった! おまけになんて力だ! とても腐りかけの死体に組み付かれてるとは思えない。
 俺の首に食らい付こうとするバケモンをなんとか抑えるので俺は必死だった。腐敗臭が目の前のゾンビの口から直接俺の鼻に入ってきやがる。ひでぇ口臭だ。エチケットガムがあったら噛ませてやりたいぜ。
「に……逃げろ!!」
 ここからじゃ見えないが、あの少女はきっと怯えてる。俺はそれだけ叫ぶので精一杯だ。
 くそっ、確か腰の後ろに警棒が……だめだ! 両手がふさがってる! 手を離せばあっというまにゾンビに肉を食いちぎられて死ぬ。倒れこんでるから蹴りも出せない。
 襲い掛かる力はまったく衰えない。まるでプロレスラーを相手にしているようだ。このままじゃいずれこっちが力尽きる、なんとか……なんとかどうすんだよ!?
 その時、ゴスッという鈍い音が響いた。まるで鈍器で岩をぶっ叩くような音だ。
 とたんにゾンビの力が抜けてその場に崩れ落ちるように倒れる。急に目の前に迫る半分削れたゾンビの顔とキスしそうになって俺は慌ててそいつを押しのけた。
 なんでいきなり力尽きたんだ?
 見ればゾンビの後頭部がへこんだように陥没していた。すぐ後ろには消火器を掲げたあの少女の姿があった。
 蒼白な顔色で震えていたが、俺には非常に勇ましく見えた。救いの女神ならぬ天使ってとこか。
「……ありがとよ」
 しばし呆けた後、俺は笑みを浮かべてそう告げた。今度は自然に笑うことができた。
 まったく、命の恩人だぜ。
 俺が礼を言うと、少女は恥ずかしそうに笑ってくれた。
 かわいいもんだ。花のようなとはこういうのをいうんだろう。10、いや11歳ぐらいだろうか。腰まで届く長いブロンドはほつれて艶がない。スカートの裾も所々破れて、憔悴しきった様子だ。でも確かに生きている。
「名前は?」
「……サラ」
 元々おとなしい性格の子なんだろうか。サラの声は小さくて澄んでいた。
「いい名前だ。俺は……」
 そういえば俺は自分の名前をまだ思い出してない。
「……俺は、ジャックだ。ジャック」
 そう、ジャック。今の俺はただの男<ジャック>だ。
「ジャック……怪我、ない?」
「ああ、おかげさんで。……お前のほうが傷だらけだな」
 見ればサラの膝や肘などはどこかで擦りむいたような傷がいくつもあった。たぶんこの子は俺よりずっと前からゾンビどもから逃げ延びていた。その時についたものだろう。
「とりあえず、その傷の治療をしよう。病院なんだから、医療道具はそろってるはずだ」
 俺は銃を拾い上げると、そう提案してサラに左手を差し伸べた。
 本当は両手がふさがって困るんだが、この子も不安だろう。なぜかこの幼い少女に対して優しく接する自分を不思議に思いながらも、俺はなるべく優しく微笑みかけた。サラがおずおずといった感じで俺の手を握る。
 どうしようもない懐かしい感覚を味わった。手を通じて伝わるこの子の体温がこのイカレた状況でまいってきた精神をほぐしてくれる。どうやら俺自身も相当不安だったらしい。
 妙に懐かしい気分を覚えた。俺にはこのくらいの年の娘でもいたんだろうか? いや、いくらなんでも大きすぎるな。となると妹か?
 不鮮明な記憶は相変わらずだったが、それはなぜか今は不快ではなかった。
 俺はサラを連れて、周囲を十分に注意しながら手近な診察室へと入っていった。部屋の中をくまなく調べて異常がないことを確認すると、入り口のドアの鍵を念の為かけておく。
 ひどく静かだ。再び襲ってきた静寂に、しかし今は目の前にいる一人の少女のおかげで不安など感じない。結局俺も怖かったのかもな。
 引き出しや棚を物色して救急スプレーと包帯に絆創膏まで見つけると、俺はサラを椅子に座らせて手当てを始めた。
 スムーズに俺の手が動く。銃の扱いといい、この処置の手際の良さといい、やはり俺は何か特殊な訓練を受けた人間だったのだろう。それともそれはさすがに考えすぎなのか?
 わからない。わからないなら考えても仕方ないんだが、気になるんだからしかたねぇよな。
「……両親はどこにいるかわかるか?」
 俺は治療の手を休めることなく、なるべく自然な口調でサラにたずねた。
 聞かなくてもわかったような気がした。もし彼女の親が無事なら、こんな病院に娘を一人置いておきはしないだろう。
 その考えを肯定するように、サラは俯いてしまう。
「どこかに逃げたのか?」
「死んだわ」
 搾り出すようなか細い声。
 俺は黙り込むしかなかった。
「……パパはお医者さんで、患者さんが急に暴れだしてパパに噛み付いたの……」
「……さっきの化物になったんだな?」
 サラが頷く。
「ママは?」
「ママはいないの。離婚した」
「怪物は他にも?」
 また、サラが頷く。これで事態は最悪になった。
「……俺はここで入院して眠っていたんだ。ついさっき目が覚めた。気がついたら化け物だらけさ。
 教えてくれ、その怪物になった患者さんはどういう病気で入院していたんだ?」
 俺は少なくともこのゾンビの誕生が神がかり的なものではないと確信していた。もしあれが悪霊だのといったものの類ならどうしようもない。この世の終わりだ。
 だが、あれは「殺せた」。何か説明できる理由があるはずだ。
「わからない。でも、最近街では変な病気が流行ってるって。同じような人がいっぱい入院してきてた」
「……何人ぐらい?」
 サラは少し考えて首を振る。まあ、無理もない。この子はただ医者の子供だったというだけだ。そういった事情に特別詳しいわけではない。
 さて……どういう事か。
 その変な病気とやらが人間がゾンビになる原因だということは想像に難くない。だが、人が生きた死体になるなんてくそイカレた病気がこの世にあるのだろうか?
 そして現実問題として病気にかかった患者がゾンビになるという事実だ。一体何人の患者がいたのか知らないが、そいつら全員がゾンビになったという可能性もある。10人やそこらじゃ効かないだろうな。つまり化け物はまだたくさんいるということだ。
 畜生、いい加減こんなホラー映画の世界からはさっさとおさらばしたいぜ。
 なんて考え込んでいると、不意に小さく腹の鳴る音が聞こえた。思わず顔を上げればサラが恥ずかしそうに頬を染めている。
 俺は思わず苦笑した。確かにあんな非常識な化物どもから逃げ回って食事をする暇があったとは思えない。
「そうだ」
 ふと思いついて、俺はジャケットのポケットを探った。
 あった。さっき警備員室で失敬してきたクッキーだ。
「大して腹の足しにはならないが、少しはマシだ。食えよ」
 サラは差し出したクッキーを遠慮がちに受け取ると、控えめにかじった。
 俺はその間に銃の点検をする。
 結構使ったからな。残りの弾はそう多くない。そもそも人間相手ならともかく、ゾンビにこの9ミリではひどく不安が残る。
 どうせなら50口径のデザートイーグルが欲しいぜ。あれならアフリカ像だって撃ち殺せる。ゾンビなんて粉々だ、敵じゃない。
 そこで思い浮かべた銃のフォルムが妙に鮮明にイメージできたのには苦笑する。まったく物騒な記憶だ。
「ん?」
 サラが二枚目のクッキーを半分に割って、俺に差し出していた。俺は苦笑して首を振る。
「いい。食っとけ」
「……ありがとう」
 サラがクッキーを食べ終えるころを見計らって、俺は銃を片手に立ち上がった。
 ここは危険だ。いや、それどころかこの街ももう危険だ。一刻も早く脱出しなきゃいけない。
「サラ、外はたぶん危険だろう。他にもあの怪物がいる可能性は大きい。だが、ここに留まっても危険は同じだ。俺はこの街から脱出するつもりだ。俺を信用して、一緒に来るか?」
 俺の真剣な表情を見て、しばしの沈黙の後サラは頷いた。それは思った以上に力強い仕草だった。
 こうして、この病院の生存者は俺とサラの二人に増えた。




4.Escape from the night

 病院のロビーまでたどり着いたが、ここに至るまでやはり誰とも出会わなかった。もっともゾンビどもとも遭遇することはなかったからまだマシなんだが。
 広いロビーはがらんとして、当然人っ子一人いない。
 受付は書類が乱雑にばら撒かれ、窓口が割られてる。床のそこら中には血痕が残っており、受話器のぶら下がった公衆電話などがここで「何か」との争いがあったこと証明しているかのようだった。おそらくゾンビと生き残った人間との戦いがあったのだろう。
 恐ろしいほどの沈黙がロビーに満ちている。
 ガラス張りの玄関はバリケードを張ろうとして失敗した後があり、いくつかガラスも割れていた。
 ……畜生、最後の砦って感じだな。もう生きている人間はいないのかもしれねぇ。
 俺とサラはとりあえず玄関をくぐって病院を出た。ドアの上に掲げられたプレートには「ラクーン市立中央病院」の文字。だが、ここはもう怪我人を治療する場所じゃない。生きたい死体が徘徊する場所だ。
「……ひどいな」
 外に出た俺は、視界に飛び込んできた光景に思わずつぶやいた。
 なんてこった……。地獄絵図ってのはこういうのを言うんだろう。
 ひどいなんてもんじゃねぇ。ここはもうラクーンシティじゃなくなってやがった。ここは地獄だ!
 誰もいない。それこそ街が死んだような静寂が当たりに漂ってる。
 道路には玉突き衝突した車で埋まり、一部の車はひっくり返っていたり、いつから燃えてるのか未だに炎を上げていたりしている。新聞や紙くずが風の流れのままに舞い、さながらここら一帯は廃墟と化していた。畜生、自分の目を疑うぜ。
 車のボンネットや地面にはおびただしい量の血痕が発見できたが、肝心の死体が見つからない。
 たぶん、動き出したのだ。死してもなお。
 どこかで犬の遠吠えのようなものが聞こえた。だが、今の俺にはそれが化け物の声に聞こえる。いっそ、この場で自分の頭を撃ち抜いて楽になろうか。
 だが、俺の左手を握る小さな手に気がついて俺は正気に戻った。そうだ、俺の命はこの子とも繋がっているのだ。
 この子をこの地獄に一人だけ置いていけるわけねぇ。
「……怖いか?」
 サラが小さく震えながら頷く。
「ああ、俺もだ」
 俺はここから必ず生きて帰る意思を固めると、ゆっくり歩を進めた。
 ゾンビどもの姿は見えないが、一応周囲を警戒しながら近くで停止しているパトカーに近づいていく。ひょっとしたらゾンビは日の出ている所では活動できないのかもな。
 後部のトランクを開けようとしたがあいにく鍵がかかっていたので、運転席のほうに移動する。
 開いたまま壊れたドアから中を覗き込めば、運転席のシートには警官の死体がもたれかかっていた。腹が食い破られていたが、直接の死因はたぶん側頭部にある弾痕だ。自分で頭を撃ち抜いたらしい。気持ちはわかるよ。
 俺はそれを一瞥すると、トランクのロックを外した。そのまま後部座席も物色すれば、黒い肩掛けのバッグが見つかった。中には雑誌やら着替えやら、たぶん運転席の警官の私物と思えるものが入ってる。俺はそれをひっぺ返して中身を捨てると、バッグを肩に掛けてトランクを開けた。
 どんぴしゃだ。トランクの中には大小様々な銃器が入っていた。巡回用のパトカーにはこういう火器の備えがあるのが基本だ。
 俺はトランクのハッチの裏側に固定されていたショットガンを手にした。サラが不思議そうにそれを見ている。
 こいつはスパス12ショットガン。
 グリップから後ろに伸びたストックがないタイプのショットガンで、射撃時の安定性に欠けるが、その分細かい取り回しが効く銃だ。こいつには肩掛け用のベルトが付いているから持ち運びにも便利だ。警察の装備の代表とも言えるのがショットガンだが、最近はトランクにサブマシンガンを載せるパトカーもあるらしい。
 しかし、ゾンビを相手にするならサブマシンガンなんて豆鉄砲よりもショットガンのほうがよっぽど役に立つと思う。
 俺はショットガンに弾が装填されているのを確認すると、中にあった使えそうな弾をかき集めてバッグに突っ込んだ。9mmパラベラム弾の入ったケースも一つ見つけることができた。だが、いずれも街に潜む無数の ゾンビが相手ではわずかなものだ。
 しかし、黙って死ぬつもりなど毛頭無い。生き残ってやる。必ず、二人でな。
 俺は深呼吸ひとつすると、固い決意を込めてショットガンのポンプをジャキンと上下した。
 薄く雲の掛かった空を見れば、太陽が今はまだ街を照らしてくれている。
 だが、後2時間もすれば太陽は沈み、夜が来る。
 また、遠くで犬のような遠吠えが聞こえた。
「……行こう」
 俺はショットガンを肩に掛けると、サラの手を握った。
 依然、静寂が支配する街を俺たちは静かに歩き始めた。生きてこの街から脱出するために……。








<Escape from……>






バイオなあとがき


実際に私がこんな所へ放り込まれたらまっさきに銃を探して自殺するでしょう。
ここまで読んでいただいてありがとうございます。怖がりなのにホラー好き、スリーセブンです。
メカ物を離れましてホラーを書いてみました。いかがだったでしょうか?
わかってる人にはわかってると思いますが、これはバイオハザード2と3の舞台となったラクーンシティ地獄編と同じ時間軸で別の場所で別の生存者の戦いを描いたものです。最初のシーンは映画「バイオハザード」の明らかなパクリですね。でもTウィルスに感染しないでラクーンシティにいるという設定にはどうしても病院しか思いつかなかったんです。あそこ無菌状態だから感染しないでしょ。
さて、なんか中途半端な終わり方ですが一応これで終了です。書きながらこういうのもアリかなと思いました。
でも主人公の過去は謎のままだし、一応この後の展開もぼんやりと考えてはいるので反響が大きいようでしたら続編書いてみようかなと思います。
まだゾンビとしか戦ってませんもんね。
それでは、感想お待ちしております。

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